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2 第三首都グルオシ

「あっぶなぁ……。来たのが僕だけでよかったよ。普通の人間だったら海に真っ逆さまじゃん……この高さから落ちたら死んじゃう……」


 その街は、あきらかに『飛べること』を前提として造られていた。

 地上から地底へと繋がっている穴を抜けると、岩壁に囲まれた巨大な空間に出て、下には海が広がっている。真ん中あたりに、竜巻に包まれた街が浮かんでいた。


 ぐるっと飛んで竜巻を調べると、一か所だけ風の弱まる入り口を見つけた。

 以前ブリオレットアカデミーに魔物が押し寄せたときにも使用したセイレーンの術、『隠者ハーミットの詩』で気配を消しながらメロウは街の様子を観察した。


 その街では、地上では見たことのない原始的な姿をした魔物たちが暮らしていた。

 体の大きさはさまざまだが、住人に共通しているのは羽の形状をした部位を持っており、飛行可能な魔物だということだ。

 そしてどの魔物も、戦闘能力も魔力も持っていないように見えた。戦闘に適した姿をしたものは一体もおらず、ただ静かに生活をしているだけだった。


「孤島にたどり着くまでの魔物のほうが強くて逃げるの大変だったし、地底に入ってしまえば意外と安全そうだな……。問題は、どうやって飛べないレイたちをここに連れてくるかってことか……な……って、なに……このすごい水の音……」


 自然神を祀っているらしい浅い緑色の神殿は、街の最奥部にあった。

 小さく質素な造りで、建物内はがらんとしており苔生こけむして植物が茂っている以外は何の気配もしない。

 自然神はここに棲んでいるのではないのかとメロウが引き返そうとしたそのとき、神殿の外で滝が氾濫したような轟音が鳴り響き、思わず独り言を詰まらせた。


 そっと外に出ると、鋭い眼光と視線が合った。それも、とてつもなく大きな眼。

 浮遊する街よりずっと下のほうに広がっている地底の海から、輝くような薄青色をした蛇型の竜が姿を現していた。


「す……水竜神、ウンディーネ様……?」


 レイの父に聞いていた名を呼んでみるが、大きさが違いすぎて声が届いているのかわからない。

 その巨大な体に海水が流れ落ちているせいか、濃い潮の香りが漂ってくる。竜はしばらくの間じっとメロウを眺めたあと、地響きが起こりそうな声量で言葉を発した。


『……………あなた』

「は、はい……」

『あなた、結構な美男子ですわね』

「へっ!? ええっと……どうも……これでも旅芸人なので……なんといっても人気商売だし?」


 まさかそんなことを言われると思ってもみなかったメロウは、驚いた声で答える。

 動揺しているが、表情はどこか自慢げでもあった。


『でも、なよっとしていて男らしくありませんわ。ちゃらちゃらした服装も好みではないですし。チェンジで』


 水竜神はふいっと横を向く。それだけの動きで激しい風がおこった。


「えっなにこれ。なんで僕、街中に聞こえる大音量でダメ出しされてるの……?」


 評価を一転され、すっかりといつもの憂うつそうな顔に戻った。


「チェンジって言われてもさ……僕よりもっと美形連れてこいってこと? そんな男、そうそういなくない……?」


 落胆して、自信があるのかないのかわからない言葉をぼやいていると、すぐ背後の地面にふたつの黒い影がにじんだ。


 夢魔の空間魔法によって、竜魔王の城から送り込まれてきた二体の魔物が頭をだした。

 メロウが再び驚いたのは、徐々に全貌があきらかになっていく人間の女性に似た魔物たちが、予想よりずっと大きかったからだ。


 両手の拳を合わせてぽきぽきと関節を鳴らすと、犬のように垂れた耳を持つ狼少女が叫んだ。


「おおーい、色ボケババアー! 聞こえっかー!? 竜魔王様の使者だぞー!」


 鱗の肌を持つ女性がそばにメロウがいることに気づき、冷たい眼つきで見下ろす。


「あら。マー、亜人って初めて見たわ。本当に魔物と人間、両方の臭いがするのね。食べれるのかしら。美形は美味しそうよね。まあインキュバス様の足下にも及ばないけれど」


 水竜神ウンディーネと二体の魔物が三角形となって、メロウはちょうどその中心の位置にいた。どの方向からも、凄まじい魔力と威圧を感じる。


「もうやだ……大きくて強そうな女の人に囲まれてるし、よくわかんないけどさっきから無駄に貶されてるし、みんなどうにかして助けにきてくれないかなぁ……しくしく」


 瞳を伏せてその場に座り込み、メロウは嘆いた。



 ***



 ──魔工まこうの要塞・第三首都グルオシ


 現国王の弟であるオズ・オルロフ=グルオシが統治する街である。

 彼は三大貴族の残りひとつ、グルオシ公爵家の当主でもあった。


 カトラリア王国に三つある主要都市のうちの一つだが、二十二年前までは第二首都とされていた。

 跡継ぎのホープ王子が誕生し、第二首都ジュビリーを与えられたため繰り下げで第三首都と定め直されたのだ。


 現国王と王弟は、兄弟仲が非常に悪いことで有名だった。先代の父王が崩御して国王に即位した途端、兄はほとんど厄介払いのように弟に辺境の街を与え、さびれた北の土地にとばしてしまった。

 そしてこの王弟がまた曲者くせものであった。好き勝手に法制度を作り上げ、ほとんど独立国家の形相を呈して、カトラリアとは国交断絶状態になっている。国民なら誰もが知っている話だ。


 ──魔物贔屓びいきの変人、魔物に魂を売った悪魔。


 魔物を退治すると懸賞金が与えられるこの国で、実害のない魔物の乱獲を厳しく取り締まり、積極的に保護している王弟はそのように呼ばれていた。


「着いたわよぉ、第三首都グルオシ」


 御者席のアマリリスが、馬車内にいる仲間たちに声をかける。

 ペルが風よけの布をめくると、漆黒の壁に囲われた円形闘技場コロシアム型の大都市が目の前にそびえ立っていた。


「すっごい大きい! 黒いかべだー」


 はしゃぐペルの後ろから、カフカが顔を出す。


「この壁はすべて鉄です。これだけの大きさと強度を持つ製鉄を行えるのは、とてつもない技術なんです。カトラリア国内どころか、諸外国と比べても数歩先を進んでいるでしょう。街の中には魔法をエネルギーとする工場がたくさんありますよ。魔法と工業を組み合わせた、門外不出の魔工まこう技術……『魔工の要塞』と呼ばれる由縁ですね」


 さらにその後ろから、サリアが出てきて馬車から飛び降りた。


「そんなにすげえ技術を持ってんのに、なんで自分らだけのもんにしちまうんだろうな。普及すれば国はもっと豊かになるんじゃねえの? 兄弟喧嘩もほどほどにしてほしいぜ」

「もし現国王陛下がグルオシの魔工技術を手に入れたとしたら、貴族以上で独占して支配の道具にすると思いますよ。そういう意見の相違で争っていたらしいですから。それに兄弟仲に関してはサリアさんも人のこと言えな……」

「ああ?」

「っと、噂をすれば、あそこにいるのはダリス教授じゃないでしょうか?」


 サリアを軽くかわして、カフカは門の前にいる男を指差す。白衣を着た背の高い赤髪は、間違いなくサリアの兄であるダリスだった。


「よぉ、なんで南にいたはずのあんたのほうが着くの早いんだよ」


 背後から声をかけられてダリスは振り返った。


「おお、愚弟よ。あいかわらずひょろいな」

「んな短期間で変わんねーよ。メロウにはもう会ったか?」

「詩人? いや、見てねえ」

「とっくに着いてるはずなんだけどな」

「亜人は紹介状なしで街に入れるはずだから、中じゃねーの」


 御者席から降りたアマリリスが近づいてきて、ダリスに言った。


「ねえちょっと、そこの前髪ピョロリ筋肉オジさん。誰だか知らないけど、レイちゃんを運ぶの手伝ってくれない? この馬車、大きすぎて宿区の狭い道は通れないのよぉ」

「おー誰だか知らんが、活きのいいお嬢さんだ」

「魚みたいに言わないでよ」


 初対面でも怯む様子をまったく見せない若い娘に対して、ダリスは後ろに流した髪から一房だけ飛び出ている前髪を掻きあげて、やれやれと肩をすくめた。


「僕、オズ様とは顔見知りなので街に入る許可証を申請してきますね」


 カフカは仰々しい門へと申請をしに行った。

 第三首都グルオシは、住民以外は紹介状か許可証がなければ出入りすることはできない。魔工技術の漏えいを防ぐためと、領地内の魔物や亜人を保護するためだ。


「で、勇者様はいったいどうしたってんだ」


 馬車の中で眠っているレイを見て、ダリスがペルに聞く。


「ペルたちは、火竜神サラマンダーの神殿で魔王さんと会ったんだけど、レイはへんな魔法に取り込まれそうになって、それからずっと眠ってて目覚めないんだ」

『うーん、これは……』


 ダリスの白衣から体毛のある小型竜、通称ファードラゴンがもそもそと顔を出した。


「わあ、ちびドラゴン!」


 驚くペルに向かって、ダリスが得意げに言う。


「自然神の一角、風竜神シルフだよ。こいつと空を飛んでここまで来たんだ。いいだろ? ふかふかだし肉球もあるしすげえ可愛いのに、じつは結構うさんくさいヤツだから見た目に騙されんなよ、坊や」

「撫でまわしながら言うなよ……」


 風竜神をしっかりと抱いて、片手で撫でている動物好きの兄にサリアは呆れた声で言った。


『う、後ろ足は嫌いなので触るのやめてください。そんなことよりですね、この方が当代の勇者どのですね。ボクが中に入って語りかけてみましょうか?』

「中? 中って、どういうことだ?」


 眉をひそめて、サリアが聞き返した。


「んと、ボクたち自然神は、言うなればこの世界に存在する魔力の源流なのです。五体……いや、現在は四体で、それぞれ火・風・水・地の四元素を司っています。なので、中に入るというのは勇者どのの魔力に同化するイメージですね。もともと、自然神はそのようにして歴代の勇者あるいは竜魔王に力を貸してきたのです」

「あ、そうだ。魔王さんは地竜神ノームって神様と一体化してたけどあんなかんじ?」


 目の前でその光景を見ていたペルが、風竜神に尋ねた。


『ですです。地竜神ノームは人間嫌いですから、だいたいの場合は竜魔王側につきます。ここ百年くらいは人間が劣勢なので、説得すれば味方してくれるかもですが』

「ふーん。ころころと立場を変えやがって。てめぇらは実際人間が勝とうが魔物が勝とうが、どうでもよさそうだよな」

『うっ、そんなことないです。ボクはちゃんと味方です。とにかく、勇者どのの意識に入ってみます~』


 ダリスに視線を注がれた風竜神シルフは、慌てて肉体を淡いエメラルドグリーンのオーラに変え、一瞬でレイの右腕にもぐり込んでいった。

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