再びホープ城を訪問したレイたちが通されたのは、正面に玉座を据える謁見の間だった。
左右の壁際には銀の仮面を被った騎士たちが武器を手に持ち、微動だにせず整列している。
王の席に幕を下ろす
大広間を見渡しても、装飾品はほとんど置かれておらず、玉座の後ろの壁に何代も前の『暁の勇者』の肖像画と、『心臓を抱く死の天使』の宗教画が一枚ずつかけられているだけだ。どちらの絵も古く、油絵具がところどころ剥がれていた。
「ガキの頃、一度だけ城内に入ったことがある。ただの庶民の見学ツアーでね。そのときはもっと豪華だったが、ここまでみすぼらしくなってるとはねぇ。ついにこの国も財政破綻か?」
軽く握りしめた拳を口に当てて、サリアは小さく笑いながら言った。
王家嫌いのサリアらしい普段通りの皮肉だったが、その口調にはいつもより強い棘を含んでいる。
仲間たちは昨日から彼の様子がおかしいことに気づいていて、誰も咎めたりはしなかった。
ガチャリと、騎士たちが一斉に武器を傾けて敬礼の形にする。
奥から現れたのは、カトラリア王国でただ一人の跡継ぎであるホープ第一王子だ。
レイとメロウは片膝を折り、右手を胸へと折り曲げで敬意をあらわにした。それを見ていたペルも、慌てて真似をする。
遅れて、サリアも表情を変えないまま敬礼の姿勢をとった。
「暁の勇者レイ殿と御一行、顔を上げてください」
目を閉じたレイの頭上に、女性的な柔らかい声が降りてくる。
顔を上げると、カトラリアの若き王子が同じ目線の高さで穏やかな微笑みを浮かべていた。
「王子、脚を……」
自分たちと同じように膝を折って床に座っている王子を見たレイは、驚いた声を上げた。
「お気になさらず。貴方たちも、姿勢を直してください」
ふふ、と小さく笑って、ホープは優雅が立ち振る舞いで玉座へとついた。
四人の勇者一行はその場に礼儀正しく立ち直すと、初めて目にする第一王子の姿を眺めた。香油で整えられた、頬にかかるくらいの髪の毛は金に近いベージュ。
そして、瞳は不思議な色を帯びている。
「わあ。きれいな色の目……」
その瞳に見とれていたペルが呟く。
バイオレット・アイと呼ばれる、王族だけが持つ紫色の瞳。ホープ王子の瞳の色は、年を召した国王よりもずっと鮮やかで美しく輝いていた。
「この世で最も高貴と言われている、王族の瞳にしか存在しない紫色。まぁ、それも権威付けのため、王族と取り巻き貴族が勝手に作りあげて流布した幻想に過ぎないけどな。違う目の王子が生まれたら秘密裏に処分してるって本当か?」
「ちょ、サリア。さすがに無礼だよ」
王子の前でそう言い放ったサリアを、メロウが慌てて注意した。
「構いません。王族だからといって、誰もが無条件に私を崇め奉るわけではない。今回の事件がよい例です」
ホープは動じた様子もなく言った。
「我々は貴方を守るために、ここに参上せよと命じられました。子細をお聞かせ願います」
レイの言葉にホープは頷き、目を閉じて話し始めた。
「このジュビリーには平民や貧民が多く暮らす性質上、王族に反感を持つ者もまた多く、小さな暴動は日常茶飯事です。今回厳重警戒されている特S級指名手配犯ダリスもまた、王家に敵意を抱くひとりでした。ですが、彼は最近まで特に危険視されていない活動家だったのです」
王子の口調は淡々としていて、物静かだった。
「ダリスは元々過激な思想の持主でしたが、彼が学徒として国に貢献してきた功績もまた大きく、私たちは彼の行動を制限していませんでした。ある事件が起きるまでは──」
それまで穏やかな表情を変えなかったホープが、苦痛の顔を見せた。
一番手前にいた騎士、鎧の形で区別はつかないが、多数の勲章と声からしておそらく宿にレイたちを呼びに来た騎士だろう。彼は王子に「わたくしが」と耳元でささやき、代わりに口を開いた。
「それはちょうど、レイ様の『勇者承継の儀』が行われた翌日……。つまり、竜魔王がこの世界に復活した次の日でございました。ダリスはホープ王子のすぐ下の妹君であらせられる第十三王女を、その手にかけたのです」
「……なんだと?」
サリアが顔色を変えた。
「第十三王女といえば、カトラリア王国でもっとも美しいと評判高かったお姫様だね……。公表されていないから知らなかったけど、殺されていたなんて……」
「お姫様、かわいそう」
メロウの言葉を聞いたペルが悲しそうな声を出した。
「王族殺しと来たら、特S級に跳ね上がるのもそりゃあ当然だな」
サリアは忌々しそうにため息を吐いて、頭を左右に振った。
騎士が話の続きを再開する。
「ダリスの真の目的はホープ王子です。国王様はもうご老齢のため御子が望めず、十五人の姫君が王位を引き継ぐことは認められていない。正王妃の実子であり、唯一の跡継ぎであるホープ王子がいなくなるようなことがあれば、実質的なカトラリア王族の終焉に繋がるでしょう」
「血統だの何だのって、目に見えない威光を守るのに必死だねぇ、王族ってやつは」
「貴様、先ほどから無礼がすぎる!」
話をしていた騎士が、皮肉を止めないサリアに怒りをあらわす。
ふたりの会話に、ホープ王子が穏やかな声で口を挟んだ。
「この国が……カトラリアが、お嫌いですか」
それは、
「嫌いだね。俺はこのジュビリーの貧民街出身だ。物心ついた頃にあんたが生まれて、跡継ぎだなんだって貴族連中が騒いでたのを憶えてるよ。露店が敷かれ、サーカス団のパレードがやってきて、街は毎日お祭り騒ぎだった。でも俺たち貧民は、ただ路上で飢えてただけだった。それは二十年以上が経った今も、なにひとつ変わっていない」
責めるというよりは噛みしめるような、諦めにも似た感情の吐露だ。
王子は真正面からサリアの言葉を受け取り、答えた。
「いまだ貧富の差がなくならないのは、私の力不足です。父である国王や元老院、貴族たちが持つ権力は強大で、いくら私自身が質素に暮らそうとも、貴方の言うとおり何も変わらない。ですが、私はきっとこの国を変えてみせます」
「……現状何も出来てないやつなんざ、信用ならねぇ。だからテロリストがのさばってるんだろ」
「やる前から信用しろとは言いません。私には志があります。雄図半ばで死ぬわけにはいかない。ですから、勇者の一行よ」
柔らかくも、力強い声でホープは言った。
「私を、テロリストから守ってください」
紫色の眼差しは、真っ直ぐに勇者たちを見つめていた。
***
その頃、
昼間でも陽当たりの悪い部屋の中は真っ暗で、ところどころに何かが潜んでいそうな闇が落ちている。
棚には様々な薬品の入ったガラス瓶が陳列されていた。褪せた紙の散らばった床。端の欠けた木の机の上には、怪人の仮面が放り投げたように置かれていた。
部屋の主が、戻ってくる。
胸に抱えた紙袋にはたくさんの道具や材料を詰まっている。それらをひとつひとつ大事そうに取り出して、眺める。
開きっぱなしの扉から入る光で、部屋は少し明るくなって陰影ができていた。
紙の散乱した床に映る男の影。その横顔は、怪人のように大きな口を開けて笑っていた。