「いったい何がどうしたっていうのだ。わたしにはさっぱり分からない」
大富豪のジャクソンがハリソン警部に訴えていた。頭が
「まあ、ジャクソンさん。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるものか!」
「結局なにがあったのです?」
「婚約者のマリアが初めて逢った若い男にさらわれたのだ。しかも一言も言葉を交わしていないのにだぞ」
「会話がなかったというのですか?」
「そうだ。おかげで著名人を集めた婚約パーティーは台無しだ」
「さきほど市街地に検問を張りました。運がよければすぐに奥さん・・・・・・いや、ご婚約者は確保できるでしょう」ハリソン警部はジャクソンの肩に手を置いた。「ところで、防犯カメラはありますか。確認しておきたいのですが」
「ああもちろんだとも。隠しカメラがこの屋敷のあちこちに設置されているはずだ」
「マリアさんとその若い男とは本当に初対面だったのですか?」
「ああ。少なくともわたしの知っている限りではな」
「警部」若い刑事が奥の部屋から出てきた。「ビデオ再生の準備ができました」
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「ジャクソンさん。これは・・・」
隠しカメラは各部屋に設置されていたようだ。寝室のビデオにはマリアを突き飛ばして、平手で女の頬を殴っているジャクソンの姿が収められていた。
「いや、これはちょっと」
ジャクソンは慌ててモニター画面の前に立った。「いささかお見苦しい所をお見せしてしまったようだ。ほんのささいな痴話喧嘩だよ」
ジャクソンは額の汗を拭った。
「ジャクソンさん、もしかしてあなた・・・・・・」
「ちょっと待て、いま問題なのは拉致された婚約者を取り戻すことじゃないのかね」
「それなんですが、こっちのモニター録画を観ていただけますか」
そこにはマリアと背の高いブロンドの男性が映っていた。距離にして約5m離れている。
「いいですか、ふたりの目をよく見ていてください」
ハリソン警部はビデオを一時停止にして、スローモーションで再生しはじめた。
男はマリアに向かってゆっくりと右目をつむった・・・・・・。
マリアは両目を閉じた・・・・・・。
男は右目をつむった・・・・・・。
マリアは左目を閉じた・・・・・・。
男はもう一度右目を閉じた・・・・・・。
マリアは左目で二回瞬きをした・・・・・・。
男はさらに右目を閉じた・・・・・・。
一瞬マリアはためらった表情をすると、左目をゆっくりと閉じた・・・・・・。
男は深く頷くと、出口を見て右目を瞬いた・・・・・・。
男の後にマリアが続いた。出口では車両係をしていた執事のマイクが立っていた。
男とマリアの姿を確認したマイクは、なにも言わずに右目を瞬いた・・・・・・。
マリアが執事に対して右目をつむった・・・・・・。
門を出た男とマリアは手に手を取って走りだした。
「なんだこれは」ジャクソンがモニターを指さして怒鳴った。
「ジャクソンさん。いまの彼らの行動に音声をつけて差し上げましょうか?」
「こいつら何も言葉を発していないではないか」
「かれらのウインクの意味ですよ。昔新聞の記事で読んだことがあります」
「聞かせてもらおうか」ジャクソンが腕を組んで言う。
ハリソン警部が録画を巻き戻して再生を始めた。
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青年はマリアに向かってゆっくりと右目をつむった・・・・・・「あなたは美しい」
マリアは両目を閉じた。・・・・・・「誰かに見られているわ」
青年は右目をつむった。・・・・・・「好きです」
マリアは左目を閉じた。・・・・・・「あなたなんて嫌いよ」
青年はもう一度右目を閉じた。・・・・・・「愛してるんだ」
マリアは右目で二回瞬きをした。・・・・・・「わたし婚約しているのよ」
青年はさらに右目を閉じた。・・・・・・「でも愛してるんだ」
一瞬マリアはためらった表情をすると、左目をゆっくりと閉じた。・・・・・・「わかったわ、わたしを愛してみて」
青年は一度深く頷くと、出口を見て右目を瞬いた。・・・・・・「よし今だ(合図)!」
男の後にマリアが続いた。出口では車両係をしていた執事のマイクが立っていた。男とマリアの姿を確認したマイクは、なにも言わずに右目を瞬いた。・・・・・・(頑張ってください。応援してますよ)
マリアが執事に対して右目をつむった。・・・・・・(内緒よ)
門を出た男とマリアは手に手を取って走りだした。
「ジャクソンさん」ハリソン警部は微笑んだ。「目は口ほどに物を言うっていいますからね」