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救急救命士

「・・・・・・路上で人が刺されて倒れているという通報あり。至急救急搬送願います」

「了解。第4救護隊、現場に向かいます」

 サイレンを鳴らし、緩やかに救急車が動き出した。

山崎やまざきチーフ。だいじょうぶですか?」と救急隊員の田川たがわが訊いた。「もう20時間働き詰めでしょう」

「なに問題ない」山崎が苦笑する。「仕方ないさ、交代要員が風邪で寝込んじまったんだから」

「無理しないでくださいよ。山崎チーフにまで倒れられたら、わが署の救急班はお手上げなんですから」

 救急隊員の佐野さのが声を掛けてくる。まっすぐ前を見ながら運転に余念がない。

「ひとりでも人の命が救えれば本望さ」

「山崎チーフは相変わらずカッコいいですね」と田川がマスクの下で笑顔を作った。


 基本的に救急隊員は3名1組で動くものだ。そのうちのひとりは、山崎のような救急救命士でなければならないと法律で定められている。

 救急救命士とそうでない救急隊員との違いは、彼らは国家資格者で、病院に着くまでの間に、重度の傷病者に対して救急救命処置を施すことができることである。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 現場は騒然としていた。人だかりの中にパトカーが停まっており、制服警官が野次馬を下がらせていた。

「ご苦労様です」

 警察官のひとりが山崎に挨拶をする。

「けが人は」

「意識はありません。左腹部にナイフが刺さったままです。身元が分かるものもとくに持っていませんでした」

「わかりました。すぐに病院に搬送します」

「よろしくお願いします」

 田川と佐野が静かにけが人を担架にのせる。

 サイレンを鳴らすと、モーゼの十戒の海のように人混みが左右に割れた。

 山崎は腹部を確認した。こういう場合、凶器を抜いてはならない。傷ついた太い血管から大量に血液が噴き出してしまうことがあるからだ。清潔な布で凶器を固定して、ブドウ糖溶液を投与した。

「チーフ、受け入れ病院が見つかりません」無線を操作していた田川が言った。

「なぜだ」

「わかりません。どこも病床が空いていないとの返答です」

「参ったな」

 そのとき救急車がゆっくり停まった。

「どうしたんだ?」

 山崎が運転手の佐野を振り返った。

「道路工事のようです」佐野が山崎を顧みる。

「そんな連絡は入っていなかったぞ。幹線道路の工事予定は事前に連絡が入るはずだろう」

「どうしたんですか?」

 佐野が窓を開けて工事関係者に訊く。

「すみません。緊急工事なのです」

 黄色いヘルメットの男が頭を下げる。

「工事って、まだ始まっていないようじゃないですか。先に通してもらえませんか?」

「それがだめなんですよ」

「なぜ」

「不発弾が見つかったんで」と無表情の男がそう言った。

「時間がない。ほかの路に回ろう」と山崎が促した。

 佐野はステアリングを回して迂回した。田川は無線で別の病院を当たっている。

 その時、ふいに山崎の携帯電話が鳴りだした。だれだこんな時に・・・・・・。

「山崎か、おれだ斉藤だ」救急救命士の同期からだった。「いまお前が搬送しているのは懺悔下三朗ざんげげさぶろうだぞ」

「なんだって!」

 懺悔下三朗とは、幼女連続殺人犯の名前である。彼は子供を誘拐しては凌辱し、残虐に殺害したあと、バラバラにした死体を遺族に送り付けるという異常犯罪者であった。

「搬送直後に身元が割れたんだ。人相も変わっていたからすぐに分からなかったのだろう。先ほど指紋を照合して判明したらしい」

「だからって、人命には変わりないだろうが。受け入れ先がないのはそういうことか」

「悪いことは言わない。そのまま走り続けるか、警察病院にでも駆け込め」

 そのとき、救急車のひだり側で爆発音が炸裂した。

「なんだ!」

 山崎が携帯電話を耳から離して佐野に訊く。

「この救急車。いま空爆にあっています!」

「なんだって!」

 山崎が目を剥く。

「どうしたんだ」

 携帯電話から斉藤の声がする。

「爆撃だ。我々はいま空爆にあっている」

「だから言っただろう。懺悔下三朗には幕僚長のお孫さんも殺されているんだぞ。そんな患者、とっとと捨てて逃げろ」

「バカを言うな。じゃ切るぞ」山崎は電話を切って佐野に言った。「とにかく速度を上げろ。田川、受け入れ先はどうなった?」

「いま一件見つかりました!私立景愛病院です」

「よし佐野、そこまで突っ走るんだ!」

 次々と落とされる砲撃の中を、白い救急車が爆風にあおられながら疾走して行ったのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「ありがとう。よくご無事で」

 病院の緊急搬入口には、医院長がみずから出迎えてくれていた。

「無事でもありませんがね」

 山崎があちこちボコボコにへこんだ救急車をながめながら言った。

「あとはこちらで処置しますから。ご苦労様でした」

 医院長が笑顔でキャスターを見送る。精悍せいかんな顔の医院長の眼が生き生きとしている。頼もしい限りだ。

「助かりました。よろしくお願いします」

 緊急搬入口の扉が閉まり、鍵のかかる音がした。

「なんとか間に合ってよかったな」

 山崎がふたりの隊員をねぎらう。

「チーフ・・・・・・」

 パソコンの画面を見ながら田川がつぶやく。

「なんだ?」

「いま調べたのですが、被害者のひとりにあの医院長の娘さんが・・・・・・」

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