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小さな遺産

 この世の最期という時に、あなただったら家族に何を残しますか。


「マーク。悪いのだが、郵便配達をたのまれてくれないか」

 その日局長は、英国から逓信省ていしんしょうに派遣された、青い目のマークを呼んだ。

 逓信省とは、現在の郵政省の前身である。

「イエス。ミスター前島。どうかなされたのですか?」

 マークは短く刈った金髪を、丁寧に撫でつけながら配達帽子を被った。

「実はだな・・・・・・」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 その日、西園寺さいおんじ家は騒然としていた。西園寺家の当主である宗孝むねたかが病死したため、顧問弁護士の佐々木が遺言を読み上げていた。

「・・・・・・よって、一部を除き、私財の一切を恵まれない子供達に寄贈することとする」

「ちょっと待ってくれ」長男の一郎が叫んだ。「それじゃあ、遺産のほとんどを寄付するってことになるじゃないか」

「冗談じゃないよ」二男の次郎が激昂した「それを当てにして投資していたおれはどうなる」

「いい加減にしてちょうだい」今度は長女の揶揄子やゆこが騒ぎ出した。「そんなの無効よ、無効!」

「でも、法的取り分ぐらいはあるんでしょ」三男の三郎が泣き出しそうな顔をする。

「もちろんです」銀縁のメガネを拭きながら、弁護士は答えた。「奥様は昨年お亡くなりになりましたので。最低限ではありますが」

「納得できないわ。わたしがどれだけ父に尽くして来たかわかる?」

 揶揄子が嚙みつかんばかりに佐々木に詰め寄る。

「なに言ってんだか。女中にほぼ任せっきりだったくせに」

 二男が姉に攻撃を始める。

「まあ待て、ここは長男の俺が仕切る。佐々木、ところでその遺言にはちゃんと署名があるんだろうね。それ、無効にできないかな」長男がそう言って笑いかける。「そうすれば、きみには法外な報酬を用意できるんだが・・・・・・どうだ、悪い話じゃないだろう」

「ウホン。わたくしはそのようなことをできる立場にございません。この遺言書は不備の全くない公正証書でございます。ですので法的に完全に有効なものでございます」

「だからって・・・・・・」


 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

 女中が部屋に入ってくる。そして佐々木に耳打ちをした。

「ただいま郵便が届きました」

「それがどうした」と一郎が言う。

「亡きご主人様からみなさんへのメッセージが届いたそうです」

 ドアが開き、長身のマークが帽子を脱いで笑顔で部屋に入ってきた。

「やあ皆さん。ぼくは逓信省のマークといいます。この度は大変ご愁傷さまでございます」そう言うとマークは鞄の口を開けた。「故人様からお預かりしたお葉書をお持ちいたしました。皆様おひとりに一枚ずつございます」

「葉書?」

 各人がそれぞれ自分宛の葉書をマークから受け取った。そこには一人一人の想い出と感謝の気持ち。各人の長所と短所。兄弟姉妹を大切にしろ。そしてこれからはこのように生きよ、と人生の指針が達筆でしたためられていた。

「ああ、これはなによりもの財産だな・・・・・・」長男の一郎が言った。

 ほかの兄弟もはがきを見ながら悄然としている。

「額縁にでも飾っておくか」と二郎がつぶやく。「これを見ながら、またいちからやり直すとするか」

 揶揄子に限っては、涙さえ流している。

「マークさんありがとう」一郎が頭をさげる。「おれ達、金にばかり目がくらんで・・・・・・これからは兄弟助け合いながら生きて行くよ」

「・・・・・・それはなによりです。その葉書こそが西園寺宗孝さまが残された、みなさんへの財産なのですよ」郵便配達人のマークはドアに手をかけ、最後に振り向いた。「あ、それから。その葉書に貼ってありますそれぞれの切手のことですが、時価にして億は下らない“ブルーモーリシャス”の切手だということを言い忘れておりました」

「!?」

「本日はぼくがお届けにあがったのも、あまりにも高額な郵便切手でしたので、ピストルを携えて配達させていただいたのです」

 マークは快活に笑って去って行った。

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