目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

笛を吹く死体

 よほど機嫌が良かったのだろう。月村はその夜、工場の中を口笛を吹きながら歩いていた。

 彼が角を曲がったとき、背後に人影が現れた。影は月村の脳天めがけて金属バットを振り下ろした。ラジオのスイッチを切ったかのように、ふいに口笛が消える。夜の工場に静寂が舞い降りた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「で、あなたは、父親が殺害されたときには日本にいなかった。そういうことですか」

 三島警部は社長の息子、月村勝つきむらまさるを参考人として聴取をとっていた。

「はい。久しぶりにハワイに行っていました」

 勝は長身で痩せていて、長く伸びた金髪を後ろで束ねていた。

「サーフィンでもやられていたのですか?」

「まあ、そんなところです。あと観光も」

「観光ねえ・・・・・・」

「警部さん。おれが親父を殺したとでも言うんですか。ひと月も日本にいなかったんだから、そりゃいくらなんでも無理でしょう!」

「まあ、そう興奮しなさんなって」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「ご遺体の腐敗の状況から推察しますと、被害者が殺害されたのは1週間から2週間の間といったところですね」と、鑑識官が言った。

「撲殺か」

 三島警部は被害者の後頭部の傷をみている。「被害者はしばらく行方不明だった資産家だったそうだな」三島は部下の刑事に訊いた。

「はい。10年前に家族から捜索願いが出されています」

「家族とは?」

「ひとり息子です。かなりやんちゃな若造だって話しです。被害者の奥さんと両親はすでに他界しています」

「資産家のようだな」

「いくつも会社を経営していますね。不動産会社、広告代理店、印刷会社、缶詰工場などを多角経営していました。現在は息子が社長で、実際には部下の役員達が切り盛りしているようですが」

「手広くやっているんだな。その新社長とやらに話を訊いてみるとするか」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「月村勝さん。あなたのお父さんが失踪する前のタイプで打たれた遺言書と、その後更新された手書きの遺言書の中身についてどうも気になっているんです」

「遺言書?」

「10年前には法定相続以外をある宗教団体に寄付するという内容だったのが、最近になって書き換えられた。ほぼあなたが相続することに変更されています」

「それがどうかしましたか?ひとり息子が相続するのは当たり前のことじゃないですか」

「念のため、私たちは遺言書の筆跡を鑑定しました。昔の日記などをすべて参照してね」

「ふん。それで?」

「すべて一致しました」

「はは。それはそうだろうよ」勝は笑顔を作った。

「でも」三島は人差し指を立てた。「分からないことがあるんです」

「・・・・・・」

「お父さんのご遺体の骨が異常に脆くなっていたこと。体内がほぼ無菌状態だったこと」

「ああ、そう言えば親父は骨粗鬆症とか言ってたな」

「勝さん。あなたは幼少の頃は左利きだったそうじゃないですか」

「それがなにか?」

「お父さんの遺言状、日記、手帳、メモ・・・・・・過去に遡って確認したのです。その全てをあなたが左手で書き直したのではありませんか?」

「馬鹿な。なにを証拠にそんなことを」

「あなたの小学校の時の文集の文字と一致したからですよ。あなたは10年かけて父親の手書き書類をすべて左手で書き直したんだ」

「知らんね」

「最後にもうひとつ・・・・・・」三島警部がポケットからガムの袋を取り出した。

「傑作な話をしてあげましょう。お父さんの胃の中から、これと同じものが見つかりました。消化される前に殺害されたということです」

 三島は口に入れると笛を吹き始めた。

「これは笛ガムというお菓子です」

「それがどうした」

「お父さんの体内から出てきた笛ガムのフレーバー、実は10年前にメーカーの製造が終了しているんだそうです。要するに、お父さんは最近殺されたんじゃない。10年前に殺されたんですよ」

「そんなことあり得ないでしょう」

「いいえ。あなたなら可能です。密閉した金属容器にお父さんの死体を入れて、缶詰工場の殺菌釜で加熱殺菌してしまえばいいのですから。無菌状態のご遺体は永久に腐敗しません」

「警部さん。今さらながら・・・・・・」勝は肩を落としてうなだれた。「親父の工場が缶詰じゃなくて冷凍食品の工場だったらよかったとつくづく思うよ」

「検死解剖医がたまげてましたよ。解剖中に体内で発生したガスで笛がピーッと鳴ったって言うんですからね。どうです傑作でしょう?」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 ポケットに両手をつっこんだ三島が口笛を吹きながら警察署の廊下を闊歩していた。

「おや警部。今日はまたごきげんですね。事件解決おめでとうございます」

 若い刑事が三島の姿を見て笑いかける。「ところで本当なんですか?解剖中にご遺体の笛ガムが鳴ったっていうのは」

 三島警部はあきれた顔で刑事を見返した。

「バカ。冗談に決まっているだろ」

「じゃあ・・・・・・」

「いくらなんでも、加熱殺菌されたらガムなんてグチャグチャさ」

「やっぱり・・・・・・笛じゃなくて三味線を弾いたってわけですね」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?