「近年この界隈で不審死が多いのをご存知ですか」
ブロンク警部は後ろ手に調度品を眺めながらそうぼやいた。ここはぼくの探偵事務所である。
「不審死?」
ぼくは読んでいた新聞を降ろして、パイプをくわえた。
「そうなんだアレン。そのほとんどは心臓麻痺で片付けられている」口髭をいじりながら警部がこちらに向き直った。「それも影で暗躍していた極悪人ばかりだ」
「法の網をくぐり抜けて犯罪を繰り返す連中のことかい」
「そうなんだ」
警部がぼくのデスクに近づいて来る。「ずる賢くて警察の手には負えない連中だよ」
「わかった」ぼくはパイプをくゆらせながら言った。「だれかが殺人の依頼を受けて殺しているのではないかと・・・・・・そう言いたいんだな」
ブロンク警部はあいまいに頷いた。
「探偵料は支払えるのかい」
「公費では難しいのだが・・・・・・それなりに調査費は持っているのでね」
警部は額の汗を拭っている。
ぼくは微笑んだ。
「まあいいだろう。明日署にそれらしい調書があったら観せてもらえるかい」
警部がにんまりと笑う。
「そう言うと思って」ソファーの上のブリーフケースから何冊かの報告書を取り出した。
「これはまた準備のいいことで」
「アレン。どうせきみは暇なんだろう?」
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調書によると、死亡した人たちには外傷らしきものは存在していなかったという。そして一様に健康状態は良好で、患っている持病もなかった。当初は毒殺が疑われたが、検視の結果、体内からそれらしき物質を発見することはできなかったという。
ただしブロンクが疑うのも無理はない。死亡したのは法で裁くことができなかった極悪人ばかりである。麻薬の密売人、連続婦女暴行魔、闇金融業者、人身売買などで逮捕されては証拠不十分で釈放されている者ばかりなのである。
ぼくは考えた。仮にこれが殺人だとしたら、次に狙われるのは誰だろう。ぼくは裁判所に行き、近年裁判で無罪になった極悪人を調べてみることにした。
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「あらアレン。どういう風の吹き回し。あなたが証人以外で裁判所に来るなんて」
ぼくの知っている裁判所の秘書官のテレサはブロンドの超美人だ。タイトなスーツとスカート、それにピンヒールを履きこなし、真っ赤な唇が官能的である。
「ちょっと調べて欲しいことがあってね」
「だめよ。いくらアレンが有名な私立探偵だって、裁判記録は手続きを経て閲覧することになっているの。分かっているでしょう」
「じゃあテレサ。こうしないか。今日のランチをぼくがおごる。きみはボーッとしているぼくにひとり言をつぶやく。ぼくは呆けたように口をポカンとあけたまま空を眺めている」
テレサがいたずらっ子のようにぼくの顔を覗き込む。
「わたし、たまにはフランス料理のコースが食べてみたいなあ」と言って片方の瞳を瞑ってみせた。
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テレサの情報によると、めぼしい人物は3人。
借金のはげしい取り立てにより、両親を自殺に追い込んだ高利貸しの男。保育士でありながら、影で子供たちに性的虐待を繰り返していたとされる男。不慮の事故で夫を相次いで亡くす度に、どんどん大金持ちになっていった女。
マークするとしたら、どの人物だろう。ぼくはコーヒーを飲みながら、じっくり思考にふけっていた。
その時電話が鳴った。ブロンク警部からだった。
「どうだね。捜査の具合は?」
「そうですね。まだなにも」
「そうか。わたしの取り越し苦労かもしれないから、あまり気を張らんでいいからな」
「ありがとう警部。ひとつ意見を訊いてもいいかな」
「なんだ」
「もし警部が殺人依頼をするとしたなら、悪どい金貸しと、幼児虐待の保育士、保険金目当ての殺人者のうちの誰を始末したい?」
「なんだって。そりゃあ、一番この世に生かしておきたくないやつだろうな」
「保育士?」
「おれならな」
「ありがとう」
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保育士の名前はロバートと言った。
ぼくは朝6時に起床すると、ロバートを四六時中見張ることにした。ロバートは無罪になったところで、さすがにもとの保育所には勤務できないらしく、現在は隣町の保育園で仕事を請け負っていた。どこか薄暗い感じのする男だった。
一週間尾行を繰り返して彼と接触した人物は3人。花売りの少女と新聞配達の少年、それに車椅子の老婆であった。どれもロバートを殺害するような気配すら見当たらなかった。これは空振りかもしれない。また最初に戻って捜査をやり直す必要がありそうだ。
そうだ、今晩テレサでも誘ってバーでバーボンでも一杯飲みに行こう。そんなことを考えていると、ロバートが道で車椅子の老婆とすれ違うところが見えた。
老婆が挨拶をすると、膝の上から茶色い毛糸の玉が地面に落ちてしまった。きっと編み物の途中だったのだろう。ロバートは微笑を作って老婆の毛糸の玉を拾いあげようと屈んだ。ロバートの後頭部に老婆が手を伸ばす。ロバートはそのまま動かない。老婆は毛糸をたぐり寄せると、車椅子を発進させた。
ぼくは走った。
「待て!」
すると車椅子に座っていた老婆はすっくと立ち上がって、全速力で走り去ろうとするではないか。老婆のかぶっていたグレーのローブが激しく上下に揺れた。だが100メートルを11秒で走り抜けるぼくの走力にかなうはずもなく、僕の手は老婆の肩にかかっていた。
老婆が振り向く。フードが落ちる。そこに金髪で赤い唇のテレサの驚いた顔が現れた。
「きみは!」
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「それでアレン・・・・・・」ブロンコ警部はぼくに訊いた。「テレサはどういう方法で彼らを殺害していたのだ」
「極細の針で、後頭部のツボを刺したのです。あまりに細い針だから、出血もしないし、息がとまるまでに穴は塞がってしまう・・・・・・」
ぼくはため息をついた。
「それにしても彼女は正義感で殺しをやっていたのか」
「わかりません。幼少の頃は中国に渡った両親を強盗に殺害され孤児だったそうです。そのとき彼女を拾って育ててくれたのが針使いの名人だったということです」
あのときぼくは叫んでいた。
「きみは!・・・・・・ミス・テレサじゃないか」
テレサの大きな瞳が見開いて、いたずらっぽく微笑んだ。
「アレン、わたし達もう親しい間柄じゃなくって。テレサじゃなくてテリーって呼んでくださる?」
「なんということだ・・・・・・ミス・テリー」