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盲目探偵と盲導犬シャロンの冒険

 その不可思議な盗難事件は、ツインタワーの24階で発生した。世界でもっとも有名なルビーのひとつ『ヴィーナスの瞳』が白昼堂々盗まれたのである。


「ご機嫌いかがですか。佐久間お嬢さん」

 舞島警部は瀟洒な喫茶店を訪ねていた。

「よくここが分かりましたわね」

 盲目の佐久間草子さくまそうこは、相棒である盲導犬のシャロンの首を優しく撫でている。

「お宅にお邪魔したらお手伝いさんが、午後のお茶に出かけたとおっしゃっていましたので。盲導犬が同席できる喫茶店といったら、この辺りではこの店しかありませんから」

「いい推理ね。わたし達にとっては、彼女を受け入れて下さるお店を知っておくことはとっても重要なことなんですのよ」

「いつ見てもかわいい犬ですな。クッキーでも食べるかい」

 舞島がポケットから丸いクッキーを取り出した。

「だめよ警部。盲導犬は主人からしか食べ物をいただかないように躾けてあるの」

「そうなんですか」

 舞島はクッキーをポケットに戻した。シャロンはなごり惜しそうな顔で警部のポケットをながめている。

「それで、今日は何のご用ですの」

「実は、美術展で盗難事件が発生しましてね」

「お座りになったら」

「ありがとうございます」

 舞島は草子の向かいの席に座り、コーヒーを注文した。

 佐久間草子は美人である。これで目が見えていたならば、周囲の男性が放っておかないことだろう。彼女は財閥の娘であり豊富な財力があるため、何不自由なく優雅な生活を送っているのである。

 そして、普通の女性と違うところがもうひとつあった。人一倍の推理力が備わっているのだ。彼女のおかげで解決した難事件がいくつもあったので、最近では舞島が事件に行き詰まるといつも彼女に会いに来るようになっていたのである。

「事件は特設会場の美術展で起こりました。とても高価な宝石を展示していたのです。しかも万全の防犯設備を施した展示台と、24時間体制の監視カメラ、つきっ切りの警備員が配備された中での盗難事件です」

「それはどういった宝石ですの」

「ヴィーナスの瞳という馬鹿でかいルビーです」

「ああ、霧ヶ峰グループが所有しているものですね」

「ご存知ですか」

「見たことはありませんけど」と、草子は冗談を言って微笑んだ。「その展示台の防犯設備とはどのようなものなのですか」

「扉にタイマーが内蔵されておりまして、展示初日から展示終了日までは、オーナーでさえも解除することができない仕組みなのだそうです。うっかり開こうものなら、警報が鳴り響くことになります」

「宝石がなくなったのはいつですか」

「それが白昼堂々。展示中の午後二時ぐらいだというのだから驚きなのです」

「ツインタワーとおっしゃってましたわね」

「ここから車で20分ぐらいのビジネス街にあります」

「シャロン、ちょっと高いところだけど行ってみようか?」

 ラブラドールレトリバーのシャロンが愛くるしい顔をかしげていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「このビルは地上何階まであるのですか」

 シャロンに誘導されながら、草子は舞島に尋ねた。

「その先に段差がありますから気をつけて。48階建てですね」

「ありがとうございます。ところで、もうひとつのビルの24階には何が入っているのでしょう?」

「たしか、23階から24階は霧ヶ峰グループが使っていると聞いています。会議室か何かなのでしょう」

「そうですか」

 草子とシャロンはビル風に耳を傾けながら建物に入っていった。


 美術展は黄色いテープで封鎖されていた。会場には、まだ多くの警察官や鑑識官が忙しく立ち振る舞っている。

 草子とシャロンはルビーの展示台に近づいて行くと、周りの警察官が草子とシャロンに気づき率先して道を開けてくれた。

「展示台は四方から観れるタイプでしょうか?」

 草子が舞島に尋ねた。

「いいえ、壁際にありまして、観覧者は正面と左右から鑑賞することになります」

「そちらはどちら様?」

 霧ヶ峰グループのトップ、霧ヶ峰晋太郎が声をかけた。

「こちらは捜査協力者の佐久間草子さんと盲導犬のシャロンです」

 舞島警部が草子たちを紹介した。

「一般人ですか」

「はい、しかし今までも色んな事件を解決に導いてくださっているのです」

「そうですか。それではこちらも事件解決のプロをご紹介しましょう。おい、良樹」

「はい叔父さん」

 背の高い聡明そうな若者が現れた。

「わたしの甥で、霧ヶ峰良樹といいます。私立探偵をしています」

 晋太郎が紹介する。

「とは言っても、まだ駆け出しです。佐久間さん、お噂はかねがね聞いています。しかしこれほど美しい方だとは存じませんでした」

 良樹は草子の手を取って握手を交わすのだった。

「それで、どうです。事件の進捗は」

 晋太郎が舞島警部に尋ねる。

「正直言いまして、今のところは、まだ手がかりを捜しているところです。犯人がどういう手を使って盗み出したのかが皆目わからないのです」

「そうですか・・・」

「ぼくは、事件のあとに怪しい人物を見かけたのですが」

探偵の良樹が言った。

「本当ですか。どんな人物です?」

「そうですね、あれはぼくが隣のビルから事件を知って、こちらに向かう途中でした。ぼくの事務所も霧ヶ峰グループのオフィスにあるものですから。それが、ちょうど佐久間さんのように盲導犬をつれた背の高いサングラスをした男性でした」

 草子の隣に座っていたシャロンは良樹を気に入ったのだろう。良樹に寄り添うように近づいて行った。良樹もしゃがんでシャロンの頭を撫でる。

「彼は1階でエレベータを颯爽と降りて来て、ビルの前の信号が青になったのですが、なかなか渡って行かないのです。何かを待っているかのようでした。ぼくが思うに、彼は盗まれたルビーを安全な場所に運ぶために一味に雇われた運び屋なのではないかと考えたのです。目の不自由なひとを犯人グループの一味だと考える捜査員はいないでしょうからね」

「なるほど、周囲の防犯カメラを調べさせましょう」

「おや、良樹」霧島晋太郎が声をかけた。「そのワンちゃんのせいでブレザーが毛だらけになってしまったぞ」

「あ、本当だ」

 良樹は上着を脱いで近くの椅子にかけた。

「誰かエチケットブラシを持ってきてくれないかな」

「ごめんなさい」

 草子が謝ると、探偵はニッコリと笑った。

「とんでもない。親愛なるシャロンさんとお近づきになれて光栄ですよ」

「ちょっとみなさん座りませんか」

 草子が舞島警部に言った。「事件を整理したいと思います」

「どうぞ」

 近くのテーブルに草子たちは席を移した。

「じきにルビーは戻ってくるでしょう」

「本当ですか」

 舞島が驚いた声を上げる。

「この事件で考えられることは2つです。1つは会場ごと入れ替わった。もうひとつは、最初からルビーなどなかった」

「ちょっと待って下さいよ」探偵の良樹が口を挟んだ。「それって、ツインタワーのもうひとつのビルの24階に同じ会場を作って入れ替えたということですよね」

「はい。でもそれは可能性として薄いでしょう。そんなことをしたら、誰かしら必ず気がつくものです。ですので、この場合は最初からルビーなどなかったということになります」

「それも無理でしょう。だって今まで展示していたのを大勢の人間が見ているのですよ」

「展示する直前まではあったのでしょう。皆さんがご覧になっていたのはフルHD3面タイプの3DCGホログラム映像だとしたらどうです?」

「なんですかそのスリーディーCGホログラムっていうのは」舞島が尋ねる。

「最新の立体映像技術ですわ。しかも霧ヶ峰グループがその技術をお持ちのはず」

「バカなことを言わないでいただきたい。いったい何のためにそんなことをする必要があるのかね」

 晋太郎が不機嫌な声を出す。

「最初は保険金が目当てなのかと思いました。でも今回は、霧ヶ峰探偵事務所を有名にするため・・・そうですよね、良樹さん」

「デタラメだ」

 その時、シャロンが良樹のブレザーを咥えて揺さぶり出すと、ポケットから大きな赤い宝石がゴトンという音を立てて絨毯の上にこぼれ落ちた。

「良樹さん。わたしとシャロンを見てとっさに思いついたのでしょうが、あなたの証言には偽りがありました。わたしたち盲目の人間は、エレベータが停まりましても、いま何階にいるのか判断することができません。ここのエレベータは階数の音声案内はありません。そしてもうひとつ、盲導犬は信号を判断することができないのです。だから青信号になったからと言って、すぐに渡らないのはごく自然な行動なのです」

 シャロンが「ご主人様もう帰ろうよ」と言いたげにすり寄ってきた。

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