「先生。やっぱり名前がいけないんじゃないですかね」
「ん?なに言ってんのさ。あたしは庶民的な名前にしたかっただけよ」
そう言って、
「だからって、『デコポン探偵事務所』じゃ依頼人も今一つ信頼できないっていうか。素直に『不知火探偵事務所』にしとけばよかったと思いますけどね」
「う~ん。やっぱりデコポンはおいしいわ。甘くて酸味が少なくて・・・・・・後味がすっきり。片桐、でもね、不知火探偵事務所の所長が、こんなに若くて美人だったらお客さん引くし」
「それ、自分で言いますか」
意外と知られていないが、不知火はデコポンの品種名でもあるのだ。
まだ若いのに額の禿げ上がった片桐が、コーヒーを淹れに事務所の奥のキッチンに立つ。その時事務所の扉が開いた。品の良い中年女性が顔をのぞかせる。
「いらっしゃいませ」知子はデコポンのような爽やかな笑顔を作った。
「あの、こちら探偵事務所さんでいらっしゃいますでしょうか」
“デコポン探偵事務所”とはちょっと言いにくいらしい。
「はい、どうぞこちらへ」知子が満面の笑顔を婦人に向ける。「片桐、紅茶をお出しして」
「へぇい」奥から返事が聞こえた。
事務所の片隅には、パーティションで仕切られた応接セットがある。着衣からすると、相当お金持ちのご婦人と見受けられる。こういう貴婦人には、コーヒーよりも上等な紅茶をお出しすることにしているのだ。
「よくいらっしゃいました」知子は名刺を差し出す。「不知火知子と申します」
受け取った婦人は、うやうやしくそれを一読してテーブルの上に丁寧に置いた。
「東郷佐知子と申します。この“デコポン”という名前に惹かれまして、思わず入って来てしまいましたの」
そら見たことか、と知子は紅茶を運んできた片桐を睨みつける。
「おかしな名前でしょう」片桐が微笑ながら紅茶を置く。
「いいえ。わたくし熊本の出身でして、とても懐かしい想いがしたんですのよ」
「そうですか。実はわたしの実家も九州なんです」と、知子が神妙な顔をして言う。
よく言うよ。先生、依頼人ごとに出身地が変わるんだからまったく。苦笑いしながら、片桐も席に着く。
婦人の依頼内容は以下のようなことであった。
東郷家は代々財閥の家系である。現在は大学生のひとり息子と二人住まいだ。夫は1年前から海外に長期出張中とのことだ。依頼の内容としては、最近息子の洋一よういちが、夜な夜な外出して朝方まで戻らないことがあるのだという。
そして時には怪我をして帰宅することもあるというのだから尋常ではない。本人にそのことを尋ねても、「別に」と言うだけで、ちゃんとした返答がかえって来ないという。二十歳を過ぎた息子のことだから、親としてこれ以上口出しすべきか迷うところである。
しかし、今まで素直に育ってきたのに、ここにきてなにか凶悪犯罪などに加担するようなことがあったのでは、東郷家のご先祖に顔向けができない。事の真相の解明と、息子が夜間に出歩くのをやめさせて欲しいというのである。
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「どうせ金持ちのドラ息子でしょ。悪さしてるに決まってますよ」
知子と片桐は車で待ち伏せをしている。息子の洋一には、婦人にお願いしてGPSのビーコンを秘密裏に付けてもらっていた。動きがあれば尾行する予定である。
「どうだろうね」デコポンを食べながら知子は答える。「もし悪ガキじゃなかったら、片桐あんたお仕置きね」
「そりゃないでしょ。それにしても夜もデコポンですか。ぼくはどうせならポンカンの方が好きですけどね」
「デコポンはポンカンと清美をかけ合わせたフルーツだよ」
「え、そうだったんですか。どうしてポンカンて言うんだろう」
「インドのPoona(プーナ)と柑橘のカンを足した名前らしいよ」
「プーナカンが訛ってポンカンになったんですか。先生、博識ですね」
「まあね」
その時、洋一のGPS信号が突然動きだした。
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「それで、調査の結果なのですが・・・・・・結論から申し上げますと、息子さんは悪い遊びをしているわけでも、犯罪行為に手を染めているわけでもございませんでした」
デコポン探偵事務所に東郷佐知子が報告を受けるためにやって来ていた。
「それを聞いてほっとしました。で、息子は何をしていたのかしら」
「友達の工場で、交通事故で片足を失ったワンちゃんの義足を作っていたのです」
「あら、そんなこと。どうして夜中にする必要があるのかしら」
「昼間は工場が稼働しているからだそうです。どうしてもワンちゃんの誕生日に間に合わせたかったらしいのです。夜出かけるのを母親に止められると思い話せなかったと言っていました」
「それを訊いて安心しました。あの子は本当に優しい子なんですね」
「旦那さんも来週には海外から帰国されるそうですね。その頃には義足も完成すると言っていました」
「そうですか。本当にありがとうございました」
東郷夫人は適正な料金を支払って帰って行った。
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「あれ、おかしくないですか。洋一の前に誰かいますよ」
「尾行する相手が、誰かを尾行してるわね」
「その先の人物・・・・・・あれは」
「東郷佐知子」
東郷佐知子は夢遊病者であった。そして、本人が知らない間に窃盗を繰り返していたのである。佐知子が家に帰った後、母親が盗んだものを洋一がこっそり元の場所に返しに行っていたのである。いつもは父親の役目であったが、海外出張の間だけ洋一が任されていたそうである。
「片桐くん。こっち向いて」
「は?」
不知火知子の中指が、片桐の広いおでこをパチンと弾はじく。「お仕置きよ」
「痛!ひどいなあ。これじゃデコポンじゃなくて、デコピン探偵事務所じゃないですか」