時に、人の視線というものは言葉以上にわかりやすいものだ。いい意味でも悪い意味でも。
先程までジュリアを非難していた人達が、今度はステファニアとアルベルトに懐疑的な視線を向けてくる。『やはり二人は怪しい仲なのではないか?』そんな声が今にも聞こえてきそうだ。
リタ王女とは場所を変えてゆっくりと話したいところだが、これだけ注目されている中でそれは悪手。
しかたなくステファニアは口を開いた。
「国王陛下」
「どうした?」
「今この場でリタ王女殿下の誤解を解いてもよろしいでしょうか?」
「ああ。いいだろう」
ジュリアの件もだが、本来ならばこの場で話すべきことではない。だが、『筆頭聖女』としてこの場に立っている以上。他の『聖女』達、ひいては『教会』の為にもこの場ではっきりさせなければならない。
国王陛下もステファニアの意図に気づいているのだろう。鷹揚に頷きはしたが、その目には申し訳なさが宿っていた。
まさか、国王陛下もこのようなことになるとは思っていなかったのだろう。
国王陛下からの承諾は得た。改めてリタ王女と向き合う。
リタ王女は心底不快だとでもいうように眉を吊り上げた。
「まずは、リタ王女殿下にご挨拶を申し上げます。私は、この国で筆頭聖女を任されておりますステファニアと申します。姓は……今はまだ伏せさせていただきますがご容赦くださいませ」
「ふんっ。おまえのような泥棒猫の名前などどうでもいいわ。そんなことよりアルベルトのことだ! アルベルトに目をつけたその慧眼だけは褒めてやるが、あたしからアルベルトを奪おうとしたことについては絶対に許さない。おまえが仕える神が許したとしても私は許さない。絶対にだぞ! 覚悟しろ!」
並の騎士なら震え上がるような覇気を含んだ音圧。それに対してステファニアは怯えもせず、感嘆の声を漏らした。
「そこまでですか……そこまでリタ王女殿下はアルベルト様のことを深く愛しているのですね」
例え神が相手でも抗おうとする強い
「当たり前だ」と頷き返すリタ王女に羨望の眼差しを向けるステファニア。堪らずアルベルトが吠えた。
「ちょ、ちょっとまて! おまえ達はいったい何の話をしてるんだ?! そうじゃないだろっ。いや、違わなくはない(?)んだが、今はそうじゃないだろ!」
羞恥心からか顔を真っ赤にしたアルベルトが二人の間に割って入る。
「なんだアルベルト? まさか……あたしの邪魔をする気なのか?」
訝しげな表情からショックを受けた表情になるリタ王女。アルベルトは慌てて首を横に振った。
「だから早とちりをするなって! 俺のことになるといつもそうだ。リタ、落ち着け! 落ち着いて話を聞いてくれ。大丈夫だから。俺にはお前だけだから! な?!」
「ほ、本当か?」
「ああ、だから、落ち着いて話を聞け。いいな?!」
「あ、ああ。アルベルトが、そう言うなら」
アルベルトの勢いに押されて頷いたリタ王女が、なんだか可愛く見えてきた。
「ステファニア。できるだけ簡単に、短く説明してやってくれ」
どことなく疲れた顔で、でも真剣な表情でアルベルトはお願いした。ステファニアも真面目な顔で頷き返す。
「では、結論からお伝えしますね。私は、今まで一度も、リタ王女殿下からアルベルト様を奪おうとしたことはありません。そのような対象として見たことも一度もありません」
端的に事実だけを述べたのだが、リタ王女の目がかっぴらいた。
「そんなはずはないだろう! この男前だぞ?! いかにも聖女が好みそうなワイルド系じゃないか!」
アルベルトの顔を両手で挟んでぐいっとステファニアの方に向けるリタ王女。おかげでアルベルトは反論できなくなっている。
確かにリタ王女の言いたいことはわかる。けれど、とステファニアは首を横に振った。
「私の好みではありません」
「ええ?!」
そんなまさかと声を上げるリタ王女。
「じゃ、じゃあなぜわざわざ隣国にいるアルベルトを呼び戻したんだ?」
「呼び戻してなどいませんが……」
「嘘をつくな! でなければ、アルベルトが私に何も言わず帰国するはずがないだろう! 本来なら今頃私達はこのパーティーで結婚報告をしているはずだったんだぞ? それを邪魔しようとして呼び戻したんじゃないのか?! 実際、アルベルトは帰国してまずおまえに会いに行ったそうじゃないか!」
おまえが犯人に決まっている! とでもいうような目でステファニアを睨みつけるリタ王女。
思わずステファニアの口から深いため息が漏れた。いつもより低めの声色でアルベルトの名を呼ぶ。
「おぅっ」
アルベルトの声が裏返ったが、誰も笑う者はいない。
ヴェール越しでもわかる程の冷たい視線をアルベルトに向けるステファニア。
「これは……及第点どころか、落第間違いなしですね。せめて書置きの一つでも残してから来るべきだったのではありませんか? しかも、リタ王女殿下は未だに理由を知らないようですし」
暗に『その後の連絡も怠ったんじゃないのか?』と責めれば、アルベルトが目に見えて動揺した。
「そ、それは……だ、だが俺だって今回のパーティーで結婚報告するなんて話聞いていなかったぞ! どういうことだリタ?!」
「そ、それはサプライズでしようと思って……ええいっ話を誤魔化すな! そんなことよりおまえ達の浮気」
「していません」
不敬は承知でリタ王女の言葉を遮って否定した。それについてははっきりさせなければならない。
「アルベルト様が急遽帰国した理由は、アルベルト様の弟であるルカ卿との婚約を私が
「あ、ああ。まあ……俺がしたことといえば最初の門を突破することくらいだけだったけどな」
『結局自分が帰ってこなくてもステファニアはルカを許していたんじゃないか?』と目で訴えかけられる。ステファニアはさりげなく視線を逸らした。
「その意味はあったと思いますよ。他の方はお断りし続けていましたから。……一応説明しておきますと、
ステファニアの発言にリタ王女だけでなくアルベルトも驚いたような表情を浮かべる。
「『聖女』っていうのはそんなことまでわかるのか?! 俺はてっきり
「そう、ですね。少なくとも
「なるほどな。……で、リタ?」
「な、なんだ?」
「なんだじゃないだろう?」
アルベルトがリタ王女に厳しい視線を向ける。先程までの威勢はどこへやら。すっかり大人しくなっているリタ王女は、叱られた子供のような顔でアルベルトを見上げた。慣れているのかそれでもアルベルトの表情は変わらない。
「これだけ大きな騒ぎを起こしたんだ。俺もだが、リタも聖女様に言うことがあるだろう?」
「あ、ああ。そう、だな」
アルベルトに促され、リタ王女はステファニアと向き合う。その隣に、アルベルトが並んだ。先にアルベルトが頭を下げる。アルベルトに倣ってリタ王女も頭を下げた。
「
「勘違いをしてしまいすまなかった」
リタ王女はステファニアよりも身長も歳も上だったはずなのだが、こうやって見るとまるで年下のようだ。怒る気も責める気も起きない。そもそも、最初からそんなつもりはないが。
――――アルベルト様も今回のことは『夫婦喧嘩』で収めたいようですし。
ステファニアはまさに『聖女』のお手本というような笑みを二人に向けた。
「お二人の謝罪を受け入れます」
「「ありがとう」」
「そして、お二人には祝福を」
「え」と二人が顔を上げた時にはすでにステファニアは祈りの体勢に入っていた。
祝福の光がアルベルトとリタ王女に降り注ぎ、二人の身体を包み込む。そして、身体の中に吸い込まれていくようにして消えていった。
教会で祝福をかけてもらう光景は珍しくはないが、それ以外で、しかも会場にいる全員が視認できるほどの光の量が降り注ぐ光景はかなり珍しい。
これが筆頭聖女の祈り、と皆が息を吞む中、国王陛下が最初に手を叩いた。我に返った皆も、国王陛下に倣って二人を祝うように拍手する。一気にお祝いムードが流れ始めた。国王陛下が指示すると、音楽隊がダンスにぴったりな音楽を奏で始める。
「さあ、本日の主役は君達二人だ」
国王陛下が二人を促す。けれど、リタ王女はステファニアに視線を向け、ためらいを見せた。一応今日のステファニアのパートナーはアルベルトだからだろう。しかし、ステファニアは気にする必要はないと微笑み返した。
「行くぞ、リタ」
「ああ」
アルベルトが手を差し伸べれば、今度こそリタ王女がその手を取る。二人は会場の中心で踊り始めた。隣国特有の情熱的な踊りに圧倒される。踊り終わった二人がお辞儀をして見せれば皆興奮したように手を叩いた。
◇
と思っていたのだが、出口付近で男性が数人固まっているのを見て足を止めた。全員ステファニアを見ている気がする。なんならじりじりと近づいてきている。
ど、どこか別の場所から抜け出そう。と視線を彷徨わせていると、名前を呼ばれた。今、今なの?! でもある意味助かった! という複雑な心境で振り向く。
なぜか、愛しのアルベルトと踊り終えたばかりのリタ王女が頬を紅潮させステファニアに駆け寄ってきていた。警戒心や敵対心が無くなったことは良いことなのだが、いきなり好意的な感情を向けてきているのはなぜなのか。……獣の耳とぶんぶん振ってる尻尾が見える気がする。
「もう帰ってしまうのか?」
「はい。残る理由もないので」
「ああ、そうか。聖女だもんな。……そう考えると聖女ってつまらないんだな。踊りも食事も楽しめないし」
そうなんですよ。とは思っていても言えない。アルベルトの肘がリタ王女に入った。
「ぐっ。ま、まあ、でも任期終了まであと少しなんだろ?」
「はい」
「じゃあ後少しの辛抱だ。その後はぜひ、うちの国に遊びにきてくれ。ステファニアならいつでも歓迎するぞ。美味しいものも楽しいところも私直々に案内してやろう!」
「ふふふ。その時はよろしくお願いしますね」
「ああ! 絶対だぞ!」
「ステファニア。安請け合いしたら後悔するぞ。リタは本気で言っているからな。……女友達が欲しいってずっと前から言っていたんだ。こう見えて寂しがり屋なんだよ」
最後は三人に聞こえる小声で話すアルベルト。
「なっ。おまっ!」
「なんだよ。本当のことだろ」
「そ、それはそうだが」
リタ王女は顔を真っ赤にしてチラチラとステファニアの様子を窺う。そんなリタ王女を見て、嫌だとは言えなかった。というか、むしろ還俗した時に女友達が欲しいと思っていたのはステファニアも一緒だ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ヴェール越しで表情はよく見えなくても声色でステファニアの気持ちは充分に伝わったのだろう。リタ王女の表情がパッと明るくなる。
「おう! こちらこそ、よろしくな!」
王城に泊まるという二人に見送られ、ステファニアはロザンナと共に馬車に乗り込んだ。
なんだか、色々ありすぎて疲れた。車内でうとうとしているとロザンナが隣に座り、そっと上着をかけてくれた。
「ありがとうロザンナ」
「いえ。よければ、どうぞ」
身体を引き寄せられ、頭はロザンナの膝の上に。遠慮する余裕もなくステファニアはそのまま眠りに
◇
手に持っていた花束をステファニアの部屋の前にそっと置く。本当は手渡しで渡したかったが、ステファニアはまだ帰ってきていないのだから仕方ない。
メッセージカードがきちんと入っていることを確認してからその場を離れた。
「エディ」
「……こんばんは。聖女様」
「こんなところで何をしているの?」
「なんだか眠れなくて、見回りをしていたところです」
エディは人好きのする笑顔を浮かべて答えた。
「そう。……ステファニア様のところに行っていたわけじゃないのよね?」
「?」
聞こえなかったフリをして首を傾げる。
「ステファニア様は王城にいるものね。さすがに、ないわよね。……そうよね」
まるで自分に言い聞かせるように呟く聖女。エディは眉一つ動かさずにじっと聖女の次の言葉を待った。
「ご苦労様。でも、もう遅いし、そろそろ戻った方がいいんじゃない?」
「そう、ですね。でも……まだ眠くなくて」
「そっか。……なら、見回りついでに部屋まで送ってくれる?」
「……もちろんです」
二人並んで聖女の部屋まで歩く。隣から熱い視線と何か言いたげな雰囲気を感じるが気付かないフリをした。
何を言いたいのかなんてわかっている。これまでも何度も言われてきたから。
「私の専属聖騎士になってほしい」
大抵の人なら喜んで受け入れるだろう。でも、エディは決して首を縦に振らなかった。
孤児でその日暮らしをするしかなかったエディを拾い、別の生き方を教えてくれたことには感謝している。でも、それだけだ。
誰かに縛られたくない。自分は自分。その考え方は聖騎士となった今も変わらない。だからこそ、わざわざ神に忠誠を誓ったのだ。例外があるとしたらそれは……
「ステファニア様?」
「あら、エディ……だったかしら?」
「は、はい。僕のこと知っていたんですね?」
「ええ。ロザンナから教えてもらったの。あ、そうだわ。コレ、ありがとうね」
そう言って掲げたのは先程ステファニアの部屋の前に置いてきた花束。
「い、いえ」
「今ロザンナに花瓶を探してきてもらっているところなの」
「え、前にお渡しした花はまだ枯れていないんですか?」
「そう。実はね、あの花があまりに綺麗だったからもったいなくて少しだけズルをしたの」
「こうやって」とステファニアは聖女の力を花に使った。先程よりも活き活きとしている花。そんな使い方もできるのかとエディは目を丸くした。
というより、自分が贈った花がそこまで大事にされていたことにびっくりだ。同時に、なんだかむずがゆくも感じる。
「そ、そうなんですね」
「ええ。だから、この綺麗な花も長持ちさせる予定だからしばらく花は遠慮しておくわね」
「え?」
「だって、このペースだと部屋の中がお花だらけになっちゃうでしょう?」
クスクスと笑うステファニア。想像してエディも確かにと笑った。
「じゃあ、別のものを考えますね」
「ありがとう。でも、結構よ。自分のお金は自分の為に使ってちょうだい。私なんかに使ったらもったいないわ。ねえ、ロザンナ?」
花瓶を持って現れたロザンナが気まずげな表情を浮かべる。
「う、いや、ですが私は特に使うあてがない無駄なお金をステファニア様に使っているだけなので」
「もう。そういうのはいいから。私だってお給料はちゃんともらっているのよ。というか、『聖女』でいるうちはお金なんて使うことほとんどないんだから。だからもう止めて。わかった? 二人とも?」
「「……はい」」
「なんだかあなた達……似てるわね。まるで姉弟みたい。そうは思わないダリラ?」
エディの斜め後ろに隠れるように立っていた
「そ、そうですね。聖騎士同士通じるものがあるのかもしれません」
「そうね。あ、ダリラももう部屋に戻るの?」
「は、はい」
「そう。じゃあ、はい。おすそわけ」
「え?」
渡されたのは花束から引き抜いた一輪の花。
「この花の香りには癒しと安眠の効果があるの。効力は聖女のそれとは比べ物にはならないでしょうけど。私達は自分の為に力を使うことはほとんどないでしょう? だから、はいこれ。いい夢を、ダリラ」
「はい。おやすみなさい。ステファニア様」
ロザンナを連れて去っていくステファニアをぼうっと見送るダリラとエディ。
「……行きましょうか」
「ええ……」
エディはダリラが持つ花をちらりと見た後、何も言わずに歩き始めた。
エディの方が先を歩いているので彼の表情は見えない。それなのになぜだかいつもにこやかなエディが今は酷く冷めた顔をしているような気がする。ダリラは無意識に花を持つ手に力を入れた。