長いようで短い7日間はあっという間に過ぎた。ハルトはシュバインと話した次の日から、心から楽しみ、民と接した。無邪気に笑うハルトの姿は年相応だ。途中リーヴ男爵領の子供たちと楽しく遊んだり、シュバインに悪戯を仕掛け、怒られる。その様子をストリクトとイザベルは心配そうに見ていたりと、そんな充実した日々を過ごしたのだった。
そして、最終日シュバインたちはハルトとストリクトを出迎えていた。
「男爵、私の相談役として王宮で務めて見ませんか?待遇は今の10倍は保証しますよ?」
「……ふぁ?」
最後の別れの挨拶でハルトは微笑みながら言った。
唐突の勧誘で目を白黒させる。
「ダメですわ殿下!」
だが、イザベルが二人の間に割って入る。
「シュバイン様は渡せません。この方はわたくしのですから」
「いや、イザベル人を物みたいに。殿下もご冗談は程々に」
「冗談ではなかったのですが」
慌てるイザベルにシュバインは苦笑いをする。
数日過ごし、イザベルとハルトは打ち解けていた。今ではこんなふうに冗談を言うようになるまで。
……冗談だよね?不安になるシュバインだった。
「ま、一旦保留ということで」
「……殿下?」
「……ふ、慌てるイザベル嬢も面白いものですね」
「あまり、年上を揶揄うものではありませんわよ?それに、本人を目の前に言うのはどうかと」
「立場は私の方が上ですが?次期国王ですよ?」
「……」
ハルトの煽りに言葉に詰まるイザベル。
ーーいや、殿下変わりすぎでは?イザベルと親しくなりすぎのような。
シュバインの疑問はご最も。
シュバインの知らないところでイザベルとハルトはシュバインに関する談義をしていた。
それが白熱して仲良くなっていたのはここだけの話。
「イザベルよさないか。ハルト様も程々に」
だが、ハルトとイザベルのやり取りは平行線になりそうだったのをストリクトが待ったをかけた。
だが、ストリクトはニヤリとする。
「まぁ、娘を揶揄うと面白いことは否定しません」
「お、お父様まで。酷いですわ!」
プイっと顔を逸らすイザベル。
いや、本当にこれいつまで続くんだ?シュバインは収拾がつかなそうと判断する。
「程々に。あまり長引かせては帰りが遅くなってしまいますよ?次の目的地までは距離がありますので」
皆はそれもそうだなと納得する。
ストリクトは悪ふざけが過ぎたと軽く謝罪をした。そして、改めてシュバインにお礼を言う。
「世話をかけてすまなかったな。実に充実した時間であった」
ストリクトはシュバインに感謝を述べた。
「いえ。僕も久々に公爵様と過ごすことができ、嬉しく存じました。……また、いつでもいらして下さい。歓迎いたします」
「ほう、ではまた一月後にでも来ようか」
「え?……いやぁ、それはそのぉ」
「……そういうところは相変わらずだな」
「お父様!冗談はほどほどに!シュバイン様が困ってしまいますわ!」
イザベルはストリクトの戯れを一喝する。
その姿にストリクトは笑が溢れる。
「女子に守ってもらう男とは……お前たちの関係は歪だな」
「あはは……やはり、僕は貴族失格ですね。社交界にいたら足元掬われっぱなしです」
「一人で社交界にでたら、鴨にされそうだな」
「その時はわたくしがお守りしますわ!」
「立場が逆ではないか」
「あははは」
呆れ顔のストリクトにシュバインは苦笑いする
つくづく自分には社交界は向いていないと。社交辞令は言えるものの、冗談を言われると返しができず、動揺してしてしまう。
「僕の貴族としてのあり方は、この小さな領を守り抜くだけで精一杯です」
「その割に……王族相手にもの落ちしていませんでしたが?」
自嘲気味に言ったシュバインにハルトが茶々を入れる。
だが、また長引きそうなので、ストリクトが話を切る。
「っと、これ以上長居はダメだな。出発予定時間を過ぎてしまっている」
ストリクトはそう話を切り出し、帰る旨を伝える。自嘲気味に言葉を続ける。
「老人は話しが長いというがまさにその通りだな。空いた口が塞がらん」
「いや、公爵様はまだまだお若いでしょうに」
「少なくとも私の生い先は長くはないのは確かだ……だから、早くみたいものだな……孫の姿を」
「……ふぇ?」
「また会おう……と言っても、そう遠くないかも知れないな。娘を頼んだぞ?」
意味ありげなストリクトの言葉に、顔が真っ赤になるイザベル。前々から言われていた言葉なのでシュバインはさほど動揺はしなかった。
その姿を見てストリクトはフッと笑いその場を後にする。
ーーそろそろかって思っていたけど……お見通しだったわけか。
内心思ったが、今はストリクトの送り出しを優先しなければならないと思い直す。
ストリクトが馬車へ乗り込む。だが、乗り込もうとして片足を乗せたところで動きが止まる。
「シュバイン、最後に言いたいことがある。ちょっと耳を貸せ」
「なんでしょうか?」
シュバインはストリクトのそばに寄り、耳を貸す。
「チョコレートの取引先を私にも教えるように」
「……あ」
シュバインはストリクトの少し距離を取り目を合わせる。サーッと顔が青くなる。
「あの、公爵様」
「隠し事はほどほどにな。7日前のことを忘れたか?バレたら娘は怖いぞ?」
「は……はい」
最後に小声で交わして、馬車は出発した。
シュバインはその馬車が遠くなるまで見送り続けていた。
「最後、お父様と何があったのですか?」
「……あ、イザベル。いや、特には何も……」
「……何をしでかしたのですか?」
「なんでもないよ!」
「……シュバイン様、また何かわたくしに隠し事でもされてますか?」
慌てる姿に視線が厳しくなるイザベル。どうにか言い訳を考えているシュバイン。
「旦那様!」
と、その時慌てて走ってくるグレイとメアリが来た。
絶妙なまでのタイミングにシュバインは内心ガッツポーズをする。
「どうしたんだい?何か忘れ物でも?」
このまま答えをあやふやにしてしまおう。そんな魂胆があった。
「忘れものがありまして。こんなものが……」
だが、その希望は刹那に消えてしまう。
グレイが手に持っていたのは……お土産にと渡した高級チョコの入った缶とその取引先が書かれたメモ用紙。
顔色がさらに青くなる。
「ぼ、僕の方で殿下に送っておくから」
グレイの手から奪い隠すように預かる。
安心したシュバインだが、一つミスを犯す。
「……シュバイン様、なぜそれが殿下のものとわかったのですか?」
「……あ」
その一言が命取りとなった。
「お話……お聞かせ願えますか?」
「……はい」
イザベルの笑顔の威圧に耐えかね、シュバインは頷くしかなかった。
その後、二人はイザベルの自室に向かい、洗いざらい白状させられたのだった。
7日間の賑やかな日々が終わり、今度は穏やかな日常になる。
半年前に比べて穏やかな日常であった。
職務も人材が増えたことで仕事漬けの毎日もない。
教育の体制も整ってきているため、後継も育てることができる。
今までは忙しすぎて、伝えることができなかった。だが、今はストリクトのおかげで充実した環境が整った。
伝えられる。覚悟もできた。
「シュバイン様、見せたいものがあるとお聞きしましたが、なぜ目隠しをしているのですか?」
早朝、シュバインとイザベルはカルデラ湖に向かっていた。
イザベルは目隠しをして、足元はおぼつかず、シュバインに手を引かれながらゆっくりと進む。
「さ、着いたよ。これから目隠しを取るから、ゆっくりと瞼をあけてね」
「はい。……?!」
目的地につき、イザベルは目の前に広がる景色に言葉を失う。
「覚えているかい?ここの湖の名前」
「七色の湖でしたわね」
「そう。その名前の由来がこれなんだよ」
目の前に広がるのは以前と変わらぬカルデラ湖。だが、広がる湖の端と端を結ぶように大きな虹の橋がかかっていた。
「な……なぜこんなことが……まるで女神が舞い降りて祝福をくださっているような」
「あはは、そんな大層なことじゃないよ。夏になると湿気が多くなるし、湖は大きいから遮るものがない。だから、虹が出来やすいんだよね」
「もう!雰囲気を壊さないでくださいまし!」
「ごめんて」
悪気なく解説したら怒られてしまったシュバインは謝罪をする。
イザベルはそんなシュバインに微笑むとゆっくりと前へ進む。
「目隠しをした理由はありましたの?」
「……この景色を見る時、目隠しをした方がより綺麗に見えるんです」
「そうでしたのね。……でも、もっと早くに見たかったですわ。……なぜ教えてくれなかったのですか?」
最もな疑問だろう。
なんとなく気になったから聞いたイザベルだったが、シュバインの表情が固まる。
呼吸が大きくなり、汗が額に垂れる。
「あの、どうされたんですか?」
「なかなか決心がつかなかったんだよ」
シュバインの雰囲気が一転し、しんぱいになったイザベルの表情が曇る。
自分は何かしてしまったのだろうか、そんなことを気になる。
数秒沈黙の時間が続く。
「僕たち、出会って……もう半年経ったんだよね」
「……言われてみればそうですわね」
イザベルさ唐突な問いかけに、首を傾げるが同意する。
シュバインはイザベルに体を向け、真剣な眼差しを向ける。
「色々あったよね。一緒にカルデラ湖を見に行ったり、公爵様から急遽王都に行ったり、麦畑を一緒にみたり、祭りにも参加したり」
「あっという間ですわね……昨日のように覚えておりますわ」
「本当だよね。僕の隣にはいつもイザベルがいて……僕を支えてくれて。君がいるから僕は日々が楽しかった。……支えてくれたから僕は頑張れた」
「わたくしも同じですわ。当たりまえ過ぎて、もうシュバイン様のいない日常はあり得ないですわ」
先ほどの沈黙はなんだったのか、イザベルは疑問に思うも、思い出に浸り自然に言葉が出る。
言葉にして初めて思ったが、当たり前の日常で毎日が新鮮で楽しい。
今までの思い出を思い出し、自然に笑顔が溢れる。明日はどんな楽しい時間をシュバインと過ごせるかと思うと胸が高鳴る。
そんなこと未来の日々を期待し出した瞬間だった。
目の前にいるシュバインは懐から手のひらに収まるほど小さい箱を取り出し、箱を開きながら、前に出す。
「……あの、こ……これは」
「……イザベル、僕と結婚してくれないかい?」
中の指輪のリングを見てイザベルは察した。嬉しさのあまり言葉に詰まる中、シュバインは気持ちを伝える。
実は沈黙があったのは、どのように言葉を伝えようか迷っていたからだった。
悩んだ挙句、シンプルな一言を添えることにした。
そのあとは自然に言葉が紡がれる。
「僕は甲斐性がないし、男気もない。……君に高価なドレスを着させられないし、アクセサリーも買ってあげられない。……それでも、僕は君を幸せにする。この当たり前の日常を僕の伴侶として……生涯を共にして……」
「もちろんですわ?!」
「ーーえ?ちょ?!」
瞬間、暖かい風が強く吹き上がった。
シュバインは突然なことで尻餅をつき、芝生の上に倒れてしまう。
その上にはイザベルが地面に押さえつけるように馬乗りになっていた。
「……イザベル?」
シュバインの頬に雫がポタポタと垂れる。
イザベルはどんなに心待ちにしていたことか。女子ならば、誰もが夢見たプロポーズ。
もちろんイザベルも夢を見る一人の女の子。まだか、まだかと待ちに待ち焦がれていた。
イザベルはシュバインの言葉を受け取った瞬間、嬉しさが込み上げて我慢できず抱きついてしまった。
「……どう言葉に表せば良いのでしょう?……嬉し過ぎて……わたくしは……わたくしは……何から伝えればいいのか。お伝えたいことが多過ぎてーー」
イザベルは嬉しさのあまり混乱してしまい、頭の中がごちゃごちゃになってしまっている。
どうにか言葉を絞り出す彼女だが、興奮は治らない。
だが嬉しさのあまり、涙が止まらず、このあとどうすれば良いかも分からなくなってしまっていた。
恋した人はバカになる。
以前シュバインから言われた言葉、まさにその通りだ。
目の前にいる人がどうしようもないほど愛おしい。
シュバインは彼女の頭にスッと手を乗せて優しく撫でる。
「それは……僕にもわからないよ」
「……え?」
「……だから、慌てずゆっくり言葉で伝えてくれればいいよ。僕たちはこれからも多くの時間を共に過ごす。だから、その一時、その瞬間に感じたこと、思ったことを一つ一つ言葉でしていこう。……忘れそうだけど、僕たちはまだ出会ったばかりなんだから」
正直、シュバイン自身もわからないのだ。
この先はシュバインは自身も未知の世界なのだから。
「わかりましたわ。……ですが、これだけは伝えさせてくださいまし」
「わ、わか……え?」
イザベルは顔をゆっくりと近よせる。
困惑しているシュバインは抵抗することなくそれを受けいれる。
二人の唇がゆっくりと重なった。
ゆっくりと二人の顔が離れる。
イザベルの顔は耳たぶまで真っ赤であった。
「愛しております、シュバイン様」
最後にイザベルは今、この場で最も自分の気持ちを表せる言葉を伝えた。
急な出来事にシュバインは唇が震えてしまった。
「僕も……あ、愛して……いる」
「もう!そこは噛まずに仰ってください」
「む、無理言わないでよ。ぼ、僕も急なことで」
互いに向かい合いながら、あたふたするシュバインにムッとするイザベル。
シュバインは大きく深呼吸をする。
「……イザベル、君を愛している」
「……はい」
シュバインは最後にそうこぼした。
イザベルは嬉しさを噛み締めながら小さく返事をしたのだった。
彼女は花咲くような満面な笑みを浮かべたのだった。
シュバインとイザベル。この二人のその後の物語は本来、エピローグでしか語られない。
乙女ゲームではその後の二人の物語は謎に包まれ終わりを告げ、物語から退場した悪役令嬢のその後の人生は語られない。
だが、人生という名の物語は生涯生き続ける限り死ぬまで続く。
イザベルは乙女ゲームにおいては悪役令嬢という役目が与えられ、ヒロインの当て馬として物語から散った。
だが、エピローグで語られたデブ男爵と出会ったことで彼女だけの物語は始まった。
イザベルが主人公となった人生という名の物語はまだ……始まったばかり。
これは悪役令嬢の断罪後の物語。