シュバインがリーヴ男爵領を継いだのは、リーヴ男爵家の本家の人間が借金から夜逃げしたことがきっかけである。
リーヴ男爵家は王都から最も離れ、衰退を続けていた。若者が外に放出されるため、老人だけが残され、少しずつ村は崩壊の一途を辿るだけであった。
餓死者は出なかったが、明日の心配より、その日の飢えを凌ぐのに重きを置く。
リーヴ男爵領は見捨てられた土地、その言葉が最もしっくり来るだろう。
そんな土地を継ぎたいと思う人間はいない。
だから、リーヴ男爵家の家系をたらい回しにされた。もちろん当時24歳、フィスターニス公爵家で働くシュバインも同様だった。
「当時、公爵様からその話を聞かされた時、誰がこんなハズレクジ引くんだよって思いましたよ」
リーヴ男爵領は自然に恵まれている。だが、衰退するのみで復活が見込めないその土地は捨てるべきだと当時のシュバインは考えるが、昔は食糧自給率トップの栄光ある農村地だったので、手放せず。
そんな誰も関与しようとしない、中途半端な状態だった。
当時、宰相の立場であったストリクトはリーヴ男爵領に国が見捨てる中、唯一援助を続けていた。そんな中、領主夜逃げ事件が起きた。
「でも、公爵様はその土地を見捨てたくない。そこへ住んでいる人たちの気持ちを無碍にしたくない。そんな中、たまたまリーヴ男爵領を継げる人間であった僕が働いていたことを知り、声をかけたのです。……初めは3年間だけでいいと、それが終われば代わりの人間を派遣すると言われました。失敗しても良いからとやってみないかと」
あまりに面倒なことであったが、これも良い経験になる。自分の成長という目先の利益を優先させたシュバインは少し悩むもストリクトの説得により、領を引き継ぐことになった。
「初めて見たリーヴ男爵領はひどい有様でしたよ。手入れの行き届いていない田に畑。雑草が生え、昔の栄光は皆無でした」
到着していた後、状況整理をしたシュバインはやる気を失う。自分の成長のためと来たものの、ひどい有様に心が折れそうになっていた。
「でも、僕は諦めて帰ることはできなかった……」
シュバインの心が折れなかったのは、彼自身の人間性であった。
シュバインという人間は目の前に困っている人がいたら放っておけないお人よし。
『あなたが新しい領主様ですか?……はは、若いですなぁ』
『こんな老人ばかりの村ですがゆっくり過ごされてください』
リーヴ男爵領の民は縁もゆかりもないシュバインにその言葉をかけた。もちろん期待はされていない。どうせ、見捨てられるのだろうと大半が思っていた。
「僕は殿下がおっしゃるような人間ではありません。僕は経験という目先の利益だけを目的とした汚い人間でした。でも、現地でその人たちに触れ、関わる中でこの人たちを守りたいと思った。もちろん、ただ関わるだけじゃそうは思いません。彼らの生きる姿勢に惚れたのです」
シュバインは民たちにこう問うた。
『失礼を承知でお聞きします。何故領を放棄しないのですか?他に移り住めば今の暮らしをより豊かになるというのに』
この地に暮らす者にとって、失礼この上ない言葉。だが、怒ることなく笑ってこう返した。
『わしらはこの地に生きることに誇りを持っている。昔から育って、守ってきた故郷。老い先短いとわしらの人生、最後までこの地で共にありたいと思っている。幾ら領主さんに言われても、わしらに故郷を捨てるなんて愚かなことはできん。ご先祖様に顔向けできねぇ』
絶望しかない、この地で。
民はここに住むことを誇りと言った。
頑固で誇りを大切にするその姿にシュバインは感銘を受けた。
「僕は目先の利益にしか、手を出さない連中の中で生活をしていて、心が汚れていたんでしょう。民たちの語った姿が新鮮だった。……何より、憧れを抱いた。僕もこの人たちのように胸を張って誇れる人間でありたいと」
だから、シュバインはなんとかして、助けたいと思った。
「まぁ、僕に信頼はない。たった数日の付き合いではね。だから、僕は頭を下げました」
『僕は未熟な人間です。欠点だらけで、この地を復活させることができる保証はありません。ですが、僕にあなた方の誇りを……故郷を守るために協力させてください』
今も昔も貴族が平民に頭を下げるなど当時は愚行とされていた。
だが、正直すぎるシュバインの姿に民は応えた。
『こんなおらたちのために頭を下げてくれるんだ。なら、おらたちは領主様のその誠意に応えたい!』
それからシュバインは民も共に手を取り合った。
「これだけなら美談に聞こえるかも知れませんが、領を継いだその年の収穫はゼロ、その次の年も同じ。全くうまくいかなかったんです。民と対立もしました。でも、公爵様に頼り切りになったり、知識を溜め込んだり、文官時代のコネをフル活用して3年目からようやく結果に結びついた」
シュバインは文官としての経験はあれど、農業の知識も統治するための経験も皆無。
ひたすら貪欲に人に頼り続け、失敗を重ねて、次の教訓にした。
知識を得るために専門家に頼ったり、商人に頼んでいろんな肥料を試した。
試行錯誤の故に今の繁栄を手にした。
「これが、リーヴ男爵領にあった出来事です」
全てを語り終え、時計の針は9時を回っていた。シュバインは黙って聞いていたハルトの様子を窺うも、どこか納得できない表情だった。
「どうでしたか?……殿下の求めていた答えはありましたか?」
そう問うたがハルトは首を横に振る。
その様子にシュバインはゆっくりと語り続ける。
今から言うことは一人の領主としてでなく、あくまで一人の大人として。
失敗を繰り返した経験者からの言葉。
ストリクトから無礼は気にしなくて良いと言われた。ハルトも今からいう言葉を聞いたところで気にしないだろう。
シュバインは小さく深呼吸した。
「……殿下は完璧な王にならなけらばいけない。そうおっしゃいました。失礼を承知で言わせていただきます。公爵様から話を聞き、今日1日だけ関わっただけなので、僕の主観的な意見にしかなりません。もしかして、殿下は自分にはできると言い聞かせ、心の奥底では失敗することを恐れていませんか?自分が求める理想に現実が追い付かず、焦っているのではありませんか?」
「な、何故そう言い切れるのですか?」
「簡単ですよ。殿下の今の姿は昔の僕に似ているからです」
確信を突かれたハルトは大きな目を見開く。シュバインはその姿に今日一日過ごして分かった人間性、ストリクトの話から得た事を通して確信を持った。
「……なら、私はどうすれば良いのですか?……確かに私は焦っているのでしょう。言葉にされてようやく実感しました。ですが、この先の民が安心して暮らす国を作りたい。……1日でも……いや、1分1秒でも早く立派な王とならなければならないのです」
焦りと苛立ちからすぐにカッとなったのは、王族らしからぬ言動であると本人もわかっている。
……一度口が開くと不満は止まらなかった。
シュバインは聴き続ける。
「民は兄のしでかしたことで不安がっている者が多い。国王の退任が決まり、子供の私が国王になることの不満は大きい。僕はこの国が好きです。……民が好きです。……明日必ず来る明日のために必死に働く姿が好きです。愛する家族と幸せな日常を過ごしている姿が好きです。……それは明日が必ず来ると信じているから。私はその明日を守りたい」
「……随分と詳しいですね」
「お忍びで視察をしていますから……視察の中で不安がる民の声を聞きました』
「だから、早く王になりたい……と?」
「そう……です」
一度カッとなっても徐々に冷静さを取り戻すハルト。だが、話すうちに不安が胸を満たす。
「私には兄のような飛び抜けた能力はない。……生まれ持っての差……なのでしょう。だから、私は人の何倍も努力しなきゃいけない……」
努力をしなければいけない……最後に発した声は徐々に弱々しい声になる。
ハルトは現状に満足することなく、努力を惜しまない子供だ。周りの9歳と比べ早熟した思考を持ち、知識量は大人と比べ遜色ない。
それは幼い頃から積み重ねてきた努力の量。
だが、育った環境故に自己肯定感が低く、自信がない。
国王にならなければいけないと自分に言い聞かせているが、根っこのところは国王になる不安が勝る。
話を聞き、ハルト=シュタールブルクはまだまだ子供なんだなとシュバインは思った。
うろたえるハルトにシュバインは……彼の弱さ、心に抱える原因がわかった。
シュバインは過去の自分に照らし合わせる。驚くほど、過去の自分に似ていた。
領主就任1年目は独りよがりな努力を続け、痛い目を見た。
2年目は先走り周りを置いて民と対立したこともあった。
ーー考えすぎだよ全く。……でも、それだけ責任感が強いということかな。
シュバインは俯いてしまったハルトを見て小さくため息をする。
「殿下、どうしたら民に認められる存在になれるとお考えですか?」
「それは……わかりません」
ハルトは言葉に詰まる。問いかけをされるが具体的な考えは浮かばかった。
その姿を見てシュバインは言葉を紡ぐ。
「僕も皆目見当つきません」
「……はい?」
3年目でようやく結果に結びついた。5年目になって誇れるほど領地を繁栄させた。
それでも、シュバインはどうすれば認められるかなんて微塵もわからない。
でも、少なくともわかることはある。5年で培った経験から、わかったこと。
「人に認められるっていうのは相当な年月がかかるのですよ。小さい男爵領ですら5年です。国王ならば数百倍難しいものですよ。僕は上に立つもの資質とは常に冷静で、余裕のある人だと思うんです。今の殿下を見ていると、昔の自分を見ているようです。独りよがりで、自己中心的、周りを置いていっていたそんな自分を」
過去を語った後だから、少し恥ずかしそうにするシュバイン。4年前、一人だけで全部やろうとして、民の反発を買った。
頼ることをしなかったから疲労困憊で倒れた。
「一人で無理を続けても良いことがないんですよ」
シュバインは苦笑いをする。話を聞き、ハルトは言葉を失う。
シュバインに指摘された言葉はまさに現時点の自分を指していた。
「私はどうすれば良いのですか?」
数秒後、ハルトは弱々しい声で問いかける。
「……気長にやればいいと思いますよ。殿下はまだ、9歳なのですから」
温かい笑みを浮かべシュバイン。
「僕は失敗を繰り返して、それを糧にしたから今があります。失敗しない人間はいない。少なくとも僕が成果を出すまでに多かれ少なかれ5年の歳月がかかってしまった。殿下はこの先20年30年先を見通さなければいけない。だから、これから失敗を繰り返して、ゆっくり成長すればいいと思います」
「躓いてしまったたら」
「その時に考えればいいですよ。それに、もしもの時は公爵様がなんとかしてくれますよ」
「人任せなんですね」
「人に頼ってるだけですよ。言ったでしょう。政策が失敗して収穫ゼロになった年もあったと。それでも、公爵様が解決してくれました。前々から失敗してもいいからお前の最善を尽くせ。私がどうにかすると言ってくれたんです。僕はそれを信じた」
やや呆れ顔のハルトだったが、瞳に不安と焦りは薄まっている。
そして、目の前のハルトを見て、言葉にしてみて、シュバインは自分が伝えるべきことがわかった。
リーヴ男爵領にしかできないこと。
田舎で食料自給率がトップの領主だからこそ言える言葉。
「何かあったら公爵様がなんとかしてくれます。これは保証します。でも、これから衰退が続けば、民の不安が募るのは必然です。……ですが、これだけは約束します。10年、20年先。シュタールブルク王国は食べ物で心配することは絶対ありません」
シュバインはストリクトのようなカリスマ性はない。
だから、自分にできることでハルトを支えていこうと思った。
「人間、明日食べるものに困らなきゃ不安が爆発することはありません!人間が最も恐れること、それは何だと思いますか?」
「……」
ハルトは首を傾げる。
シュバインはニカっと微笑む。
「僕は飢えだと思いますか。人間、腹が満たされることが1番の幸せです。栄養あるものを食べて、腹が満たされれば人間は暴動なんて起こそうなんて思わない」
「し、しかし今後10年20年先安定して食料供給できる保証など何を根拠に。リーヴ男爵領はかつて繁栄し、衰退した。また、それを繰り返す可能性も」
ハルトはリーヴ男爵領の過去を知っている。
昔は気候変動で、作物が育たなくなってしまった。
「それも、大丈夫です!言ったでしょう、失敗を糧にすると。それは5年間だけのことではありまそんよ!最近、気候に変動されない作物の研究もしています。他の国や領地から苗木や種を仕入れたりしているのです。結果が出て、作物が気候に影響を受けても作物を育てられるように準備を着実に進めています」
「そ……それは」
ハルトは言葉を失う。
過去の失敗から学ぶ、シュバインの言葉の真髄を見た気がした。
そして、目先のことではなく数十年、数百年先を見据えている姿に驚いていた。
「殿下は安心して失敗をしてください!少なくとも殿下が国王であり続ける間は絶対に食料の供給は止まりません。僕がどんな手を使ってでも、達成させてみせます。任せてください!」
右手の拳を握り宣言をしたシュバイン。
ストリクトが自分にしてくれたように。今度は自分がハルトにできることをしようとした。
その姿に、ハルトは大きく息を吐く。肩が小さく震える彼の瞳は潤っていた。
「こんなに頼もしいことを言われたのは初めてです」
ハルトは俯いた。
シュバインはそんなハルトを見て、最後に言葉をかける。
「殿下、失敗や挫折を知らぬ人間は成長できません。人は失敗を糧に次に活かすことで初めて成長につながると僕は思います。これからの人生、いつか挫折により、どん底に落ちる時が必ずきます。その時に殿下がどう立ち向かうか、真髄に向き合うか。そこが大切です」
シュバインの経験からどんなことが起きても向き直り解決したこと。
「でも、そこで一人で抱え込んではいけません。僕は家臣と、民と共に解決し、互いに影響し合い、成長していった。その過程で信頼と信用を培ったのです。それは容易なことではありません」
ハルトは大きく深呼吸をした。
全ての不安と焦りを吐き出すように大きな深呼吸。
「殿下、焦らずゆっくり成長していきましょうよ。ただの男爵の僕でもよければご相談に乗りますので!」
元気付けるようなシュバインの言葉に、ハルトは。
「……ありがとう」
呟いた彼の声は、少しだけ震えていた。
「あ……殿下、一つ聞きたいことが。僕の将来に関わる重要なことなのですが?」
しんみりした時間の中、シュバインの問いかけにハルトは身構える。
「偉そうに言ってしまいましたが、僕って不敬で罰せられませんよね?」
「男爵、本当にあなたは締まりがありませんね。台無しですよ」
「……あはは」
ハルトは厳しい視線を向けたのだった。
二人は、その後空気に耐え切れず、笑い合ったのだった。
ハルトはシュバインと話したことで全てどうでも良いと思えるようになってしまった。
王族の責務という重圧と1秒でも早く国王になりたいと焦りはなくなった。
ハルトは次の日から滞在期間が終わるまで充実した日々を過ごすことができたのだった。
今日の出来事がハルトにとってのターニングポイントである。
ハルトが政権を取り始めたのは王位を継いで10年後である。だが、一旦は衰退を辿ったシュタールブルク王国は数百年続く大国に繁栄をした。
その第一歩を切り拓いた、賢王は呼ばれたハルト=シュタールブルク。彼は、全国民から慕われる国王であった。
だが、伝記に記された書物には今日に記載はなかった。
シュバイン=リーヴは片田舎の男爵領主でしかない。
だが、国を繁栄を最も支えた人物の一人として、後世に語り続けられたのだった。