「やっぱりか」
シュバインは自室にある、とっておきのお菓子を取り図書室へ向かうと扉の隙間から光が漏れていた。
時計の針は8時を周り、寝静まる時間。
「旦那様」
「メアリ、ありがとう」
扉の前に到着したタイミングで、お茶を用意したメアリも同様到着していた。
「……大丈夫でしょうか?」
メアリは扉に視線を向ける。
「……大丈夫とは言い切れないけど、少し話すよ」
安心するよう促すがシュバインは自信がない。だが、このまま放置した場合、夜明けまで起きているだろう。
今日の疲労に加えて徹夜、倒れるかもしれないと危惧している。
辛さはシュバイン自身が身をもって体験したことでもあった。
「用意してくれてありがとう。……あとは僕に任せて」
最後にメアリにそう言うと、カートを受け取る。
メアリは一礼して去った。
シュバインはなるべく音を立てないようにゆっくり扉を開けて入室。
ハルトの夢中になっているようで気が付いていない。
「殿下、捗っておりますか?」
「……男爵、何ようか?」
ハルトは声の方は向くとバツが悪そうな態度を取る。
邪魔されたくなかったのだろうなと察しつつ、シュバインはティーポットに被せてあったティーカバーを外し、ゆっくりとお茶を入れる。
「うん、いい匂いだ。殿下もいかがですか?」
「……結構だ。気を遣ってくれたのはありがたいが今は時間が惜しい」
ラベンダーの香りが部屋中に広がり、ハルトは少し考えるも断る。だが、ここで引き下がらないのがシュバインである。
シュバインは過去の苦悩した出来事を思い出し、苦虫を噛むような表情に曇る。
「あまり、根を積めない方がよろしいかと。多分明日、倒れますよ?」
ハルトはため息をつく。
シュバインが引かないとわかり、諦め話をすることにした。なんとなく興味を持ったのも理由だった。
「……何故言い切れる?」
「体験談ですよ。僕がここの領を継いだ時のこと。睡眠時間を削りながら、今の殿下のように徹夜してたんです。次の日に肉体労働が控えているのに……どうなったと思いますか?」
「……どうなったのだ?」
「鍬を振り上げた瞬間に眠気と疲労で意識が飛んでしまったんです。しかも、無理が祟って3.4日寝込みましたよ。ああ、辛かったです」
「そ、それは大変だったな」
過去の失敗談を語るシュバインに引き攣りながら、労いの言葉をかけるハルト。
それほど壮絶だったのだろうと察した。
「まぁ、その話はさておき……いかがですか?少し休憩を挟むのは?」
突然の苦悩話からシュバインのペースになる。ハルトは断る雰囲気でもなくなったため、厚意に甘えることにした。
無意識にラベンダーの良い香りのよい飲み物を体が欲していた。
「いただこう」
「よかったです。あ、これもよろしければ。僕のお気に入りなんですよ。これは隣国で扱っている、高級なチョコなんです。文官時代たまたま手に入れて以降、贔屓にしてるんです。僕の知り合いの商人でないと手に入れられないものです。いつも、小遣いを貯めて内緒で取り寄せた高級チョコです!美味しいあまり独り占めしたくて、誰にも教えていないんです。もちろん、イザベルにも」
「いいのか?そんな貴重なものを」
「是非是非。もし、殿下がお気に召せば取り寄せ先を紹介しますよ!」
渋々承諾したハルトだったが、話をどんどん振られていくうちに、表情が緩む。
シュバインが用意したチョコレートは、シンプルな正方形な小さなもの。それが計16個並んでいる。
缶の蓋を開けた瞬間、甘い匂いが広がる。
ハルトはその香りに唾を飲む。体は疲労が溜まっていて、甘いものを欲していた。
「……お主は不思議な男だな」
「……何がですか?」
「拒絶していた相手の懐に溶け込む。……なんとも不思議だ。王族の私に物怖じせずに接する。不敬と取られてもおかしくないのに、それを思わせない……。それが、お主の強みなのだな」
「え?違いますよ。僕にそんな特殊能力なり、処世術はありません。強いて言うなら、そうですね」
「ほう、ではなんだと言うのだ?」
ハルトはシュバインの話に興味がそそられた。
注がれたお茶を一口飲みながら、耳を傾ける。
真面目な雰囲気でシュバインは言った。
「ただ、空気が読めないだけです」
「ぶふ?!ごほ!ごほ!」
「殿下、大丈夫ですか?!」
ハルトは予想外の返答に吐き出した。
シュバインはむせるハルトに慌ててハンカチを渡し、背中をさする。
それから数十秒経ち、ハルトのむせ込みが落ち着く。
「真面目な顔をするから……なんなのですかあなたは?!」
落ち着くと、ハルトはシュバインを睨みつけ文句を言う。
先ほどの落ち着いた様子はなく、少し感情が露わになる。
「え?……」
急な態度の変わりようにキョトンとするシュバインにハルトはため息をした。
「はぁ……もういいですよ。あなたの前だと気を張るのが馬鹿らしくなります」
「それは……誉めていただけていると言うことでしょうか?」
「……そう受け取っていただいて大丈夫です」
ーーああ、これがこの子の素なんだな。
シュバインは柔らかい表情のハルトを見て自分の疑問は正しかったと思った。
ハルトは人前でお茶を吹き出すのは人生で初めてのことだった。
今日の視察や徹夜の勉強の疲れも相まって気を張るのが面倒になった。
ハルトはお茶を一口飲み、咳払いをする。
温かい目で見ているシュバインに向き直る。
「王族相手にそのような目で不躾に見るものではありませんよ」
「……す、すいません」
「あなたのことはストリクトから聞いていましたが、その通りでしたね」
指摘をされて、挙動不審になったシュバインを見てハルトは優しい笑みが溢れる。
「ち、ちなみになんとおっしゃっていたか、お聞きしても?」
「そうですね。……国1番の苦労人」
「く、苦労人?」
「無礼で、人の懐中に無断で踏み込んでくる無礼者。超がつくほどのおせっかい焼きとか……」
「う……」
「目が離せないトラブルメーカーともーー」
「殿下、そのくらいでご勘弁を」
色々言われ、胸を抑えるシュバイン。
「だが、人に親身になれる優しい人物で、私が最も信頼を置いている人物とも言っていましたね」
「そ……それは」
「あなたは態度に出やすい。ほんと貴族らしくないですね。ストリクトは社交界では足元を掬われやすいとも言っていました」
「あの、褒めるのか貶すのかどちらかにしていただけないでしょうか?喜んでいいのか、悲しめばいいのかわからないので」
「それはすいません」
シュバインは、評価されたことに嬉しさのあまりニヤけてしまった。だが、すぐにマイナスの評価をもらいショックを受ける。
その様子にクスリと笑うハルトだった。
ハルトは数回言葉を交わし、意を決したように真剣な表情となる。
「失礼を承知で言わせてもらいますが、あなたは貴族としては落第点でしょう。社交界ではあなたのような人は搾取されてしまう」
「あはは、おっしゃる通りなので否定出来ません」
ハルトの急な失礼な物言いだが、遮ることはしなかった。実際事実であり、シュバインもそのことを認めている。
「ですが、あなたは上に立つ者として満点の人間です」
「……殿下?一体何を」
淡々とシュバインを評価するハルトにシュバインは困惑した。
ハルトは続けて言葉を紡ぐ。
「そんなあなただから、話を聞きたいと思ってここに来ました。もともとは捨てられたこの地を救った貴方の手腕、縁もゆかりもなかった民からあそこまで慕われる人望……。今日共にして確信しました」
自分の手をギュッと握り、シュバインに向けてハルトは問うた。
その真剣な眼差しにシュバインは動きが固まる。
「これは無理を承知でのお願いです。貴方の在り方はは私が思う、上に立つ者としての資質。……求めている理想そのもの」
ハルトの瞳には期待と願望が映っていた。
「私は国民が望む完璧な王とならなければなりません。リーヴ男爵領の過去は知っています。後学のため、廃れたこの地をたった5年で建て直し繁栄させたことを、その背景をお聞かせ願えないでしょうか?」
その質問はハルトがリーヴ男爵領に足を運んだきっかけであった。
ハルトは王位を継ぐことになり、身につけたいと思った資質であった。
自分には知識はあれど経験や実績がない。
だから、ハルトはいろんな文献や本を読み漁った。
過去から得た知識は糧となると信じて。
だが、王国の資料保管庫では、貴族たちが残した実績がある。普段どのように統治をしているか。残した成果や栄光が記されている書物がある。
ハルトは以前から貪欲に知識を吸収し続けた。王位を継ぐことが決まってからは、より一層知識を吸収した。
それはストリクトが危機感を覚えるほど必死にだ。
その中でハルトが興味を持ったのが、リーヴ男爵領についてだった。
5年と言う短期間で成果を出した稀有な例。
ストリクトがリーヴ男爵領に赴いた理由はハルトの見識を広げるためでもある。
今の無理をするやり方では、いつか潰れてしまうと危惧していた。
ストリクトはシュバインの過去を一番知っている。ハルトに詳細を問われても、答えることはしなかった。
知りたいのであれば、自分の目で確かめるように言った。
それがきっかけでハルトとストリクトはリーヴ男爵領に足を運んだ。
「……殿下が期待するほどの実績ではありませんよ。……苦悩に満ちた、苦い体験談です」
シュバインは過分な評価を聞き、過去を思い出しながら苦笑いをする。
「でも、そんな話でよければ話しましょう。5年間での出来事を」
ハルトは完璧を求めすぎている。
だが、そのままでは自身を滅ぼしかねないと思った。
今のハルトの姿を見て、ストリクトの危惧していたことがわかった。
ーー僕の話で少しでも役に立つなら。
確実性はないが、目の前の危うい子供にシュバインは寄り添えるなら。
「ただ、一つ約束してください。僕が話し終わったら、すぐに寝てくださいね。徹夜の畑仕事はお体に響きますので」
「……わかりました」
約束を取り付けて、やめさせると言う当初の目的は約束できた。
シュバインは一口お茶を飲み、語り始めた。
「きっかけは5年ほど前になります。当時、公爵様の元で働いていた僕は、突然リーヴ男爵の領主の地位を継げと、そう前触れもなく公爵様から言われたんです」
昔を思い出し、今の自分の姿を重ね合わせて、自然に笑みが溢れる。
昔の自分はこんなに出来た人間でないと。
「……まぁ、当時の僕はまだ若かった。……今はなんとか、領主としていますが、当時の僕はこの領と民を見捨てるつもりだったのですーー」
シュバインは過去はハルトの想像するような英雄譚ではない。