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第22話

「元気そうで、なによりだ」

「お、お父様……これは」


 ミンミンゼミが求婚アピールの鳴き声が響く真夏のある日。

 米を植えるための作業服を着て、汗を払ったような泥の跡を頬にのこし、顔を真っ赤にするイザベル。

 その初々しい娘の姿を見て嬉しがる父、ストリクト。貴族のきっちりとした正装だが、薄生地の服を着込む彼は悪戯が成功したようにニヤリと微笑む。


 その姿は公務に赴くフィスターニス公爵の姿でなく、ただ一人の父親。

 このような一幕が起こった理由は一週間前に遡る。











 梅雨が開け、夏本番を迎える頃、 晴天が続く暑い猛暑日のある日。


「……これは一大事だ。……誰か、グレイとメアリを呼んでくれ!」


 フィスターニス公爵家の家紋の封蝋が押してある文書を読んだシュバインは執務室で声を荒げていた。

 慌てるのも当然である。

 ストリクトから出された文書には、このような内容が書かれていた。


 国王陛下が退位される故、息子に爵位を譲り、育成に専念することになったこと。

 ゆっくりと田舎で休養を取りたい旨。

 並びに娘のありのままの姿を見たい為、秘密裏にそちらに伺いたいとのことだった。

 最後に今度王位を継ぐ第二王子も視察も兼ねて同伴するということ。


 情報量の多さに戸惑うシュバインはすぐに意見をもとめるため、グレイを呼んだのだった。







「……しかし、こうなってもおかしくないのではないでしょうか?」

「……まぁ、そうだよね」


 グレイが来てから冷静に話し合った後、最終的にこうなるのは必然であったと話になった。

 第二王子が王位を継ぐにはまだ若く、ストリクトが統治の権限を有すると言うこと。

 ただ、いくつか問題があるとすれば、第二王子を連れてくるのにただの休養はありえないと言うこと。


「……不安だよ。公爵様のことだから、絶対ただの休養じゃないよ」

「ああ、確かに以前も前触れもなく……でしたもんね」


 二人はイザベルの一件を思い出し、ため息する。

 休養ならリーヴ男爵領まで足を運ぶ必要はない。

 フィスターニス公爵家ならば、別に避暑地はある。

 それに、何故第二王子も連れてくることが引っかかる。

 何かあるという先入観があった方が後々気持ち的に気楽である。

 どうするべきか悩んでいた二人。


ーーコンコン。

 このタイミングでノック音が聞こえる。


「旦那様、メアリでございます。遅れて申し訳ござません」

「入っていいよ」


 遅れて入ってきたのはメアリ。別用で手を離せず来るのが遅くなった。


「申し訳ありません旦那様」

「いいよ。急に呼び出してごめんね」

「いえ、それは大丈夫なのですが……何かございましたでしょうか?」


 深刻な空気を察したのか、メアリは要件を聞く。それにシュバインは説明をする。


「ーーてなことがあってね。公爵様たっての願いだし、蔑ろにはできない。メアリにも協力をして欲しいんだ」


 シュバインはメアリにかいつまんで伝える。


「……お嬢様を騙すようで心苦しいですが。旦那様たっての願いであるならば……」

「ごめんね、どうしても君にしかお願いできなくて」


 心苦しいのはシュバインもまた同じ。

 なるべく意向に沿うべく、行動を開始した。






 そして、2週間後。

 リーヴ男爵領、稲作地帯にて。

 慶穀祭の一件以来、領民たちと交流のため、イザベルは進んで領を知りたいと考えた。

 そのため、早朝よりメアリを連れて稲作地域にきていた。


「……ほ、本当にこれをわたくしが着なければ……」

「そうだべ!そんな華やかなドレスなんて着てたら、汚れちまうべ!」

「そうですお嬢様」


 稲作の時期になり、それを手伝う流れになったが、イザベルは悩んでいた。

 農夫もメアリもやるからには着替えなければいけないと説得を続ける。

 目の前に出された少し年季の入った作業服。

 今までドレスしか着たことしかない、イザベルはどうしても着ることに躊躇してしまう。


「だでば、手伝いをお願いすることはできねぇだ」

「……わかりましたわ!初めて着ますので、どなたかご教授願いますわ!」


 意を決したイザベルは、頼んだ。

 こうして、イザベルは生まれて初めて稲作を手伝い始めたのだった。


 その間に秘密裏にシュバインは手紙を返し、イザベルにバレないように慎重に事を進めたのだった。

 また、屋敷の者に通達し、第二王子が来ることを伝えて粗相のないように準備をした。

 ちょうどイザベルが日中外出することが多かったため、円滑に進めることができた。


 そして、現在に至る。

 ストリクトは馬車でリーヴ男爵領に着くと、村を通過し、活気の良い民、のどかな自然に心を癒されながら進んでいた。


 稲作の作業中の民たちの中でイザベルの姿を目にして驚いた。


「イザベル様、お顔が汚れちまって」

「そんなの今更ですわ!どうせ汚れてしまうのなら、キリの良いところまで終わらせましょう!それにしても、苗を植えるのは結構腰にきますわね」

「休み休みやらねぇと。腰を伸ばすのもいいかもです」

「……こうですの?……あ、確かに疲れた腰に効きますわね。……それにしても眩しい。帽子がなければ日焼け……を」


 イザベルは疲れた腰を伸ばしたときに空を見上げる。眩しい日差しが目に差し掛かり、思わず視線を下げる。

 そして、ふと視線を向けた先にいたのは……自分の父親であるストリクトがいたのだった。


「……少し日差しにやられてしまったのかもしれませんわね。ずっと動き続けたせいか、幻覚が」

「あれ、またお貴族様だべ?」

「……もう、おじいさんも疲れて」

「いや、確かに見たべ……」


 一度現実逃避をしたものの、イザベルはぎこちない動きでもう一度視線を戻す。

 そこには見慣れたフィスターニス公爵家の馬車。入り口前にストリクトが立ったいた。


「……お、お父様」

「元気そうで何よりだイザベル」


 数ヶ月ぶりの親子の再会。

 イザベルは恥ずかしさのあまり顔が真っ赤に。ストラストは娘に悪戯が成功した喜びと、普段見れない一面を見れたことに微笑んでいた。


「ご老人、すまないが娘に用がある。申し訳ないが切り上げさせてもいいだろうか?」

「そ、それはどうぞ……」

「すまないな。イザベル。行くぞ」

「は、はい。お父様。では、おじいさん。今日はありがとうございました」


 穴があったら入りたい。イザベルは恥ずかしさのあまり、そう思ってしまった。

 だが、逃げたくても逃げられない。

 そんな複雑な心境でイザベルはストリクトの元へ向かった。


「……お父様、お久しぶりでございます。このような姿で申し訳ありませんわ。しかし、何故お父様がこちらに?そのようなお話し存じておりませんでしたが?」


 当然の疑問、イザベラはまず状況整理から始める。


「気にすることはない。それが目的であったからな。いやはや、お前の意外な一面を知れて良かったぞ?」

「……お父様、話を逸らさないでくださいまし!」


 茶化され顔を真っ赤にするイザベル。

 だが、そこでふと一つの疑問が過ぎる。


「シュバイン様もご存知で……」

「ああ、私が頼んで協力してもらった。このことを知らないのはお前だけだな」

「な?!」


 プチーー

 ここでイザベルの理性がとびかける。

 顔を真っ赤にして、唇を噛む。騙されたことに悔しさを感じる。

 心の底から怒りが込み上げた瞬間であった。


「……お父様はこれからどのくらい滞在されるのですか?」

「一週間ほど世話になる予定だ」

「そうですか。詳しいことは後ほど窺いますわ。ですが、今はやらなければならないことがございまして。失礼しますわ」


 シュバインに文句を言いに行かなきゃ、気が済まない。この屈辱、どんな仕返しをしてやろうか。

 イザベルはその気持ちで一杯だった。


「好きにするといい。屋敷にはのんびり行くとするさ」

「お気遣いありがとうございますわ」

「お嬢様!お待ちください!」


 イザベルは一礼して屋敷に走って向かい、その後をメアリが追いかける。


「……令嬢らしからぬ言動……シュバインのやつに随分と毒されているようだ」


 社交界では普通令嬢が走ることはない。

 優雅とは程遠い姿。貴族では花を愛で、優雅に茶会を楽しむのが当たり前だ。


 だが、今のイザベルは少年のように駆け出し、格好に気にしない装いをしている。


「後で後悔しそうだな……だが、それも一興か」


 ストリクトはイザベルの走り去る姿を見て頬が緩む。

 イザベルは現状を気にすることなく、1秒でも早くシュバインに文句を言いたいのだろう。

 だが、冷静になったあと取り乱す娘の姿が浮かぶストリクト。


「娘の変わりようには驚いたな」


 だが、もともと感情的になりやすいイザベル。思い立ったらすぐに行動してしまう姿は変わりなくて安心したストリクトだったが、周りの目を気にしなくなっているのは意外だったと感じた。

 以前ならば、ドレスに着替え、最低限の身支度を整えるだろう。

 それをしないあたり、リーヴ男爵領での生活が良い意味でも悪い意味でも影響を及ぼしている。


「いや、もともとあの姿がありのままなのかもしれないな」


 ストリクトはシュバインの影響を受けて、変わったというより、今の姿がイザベルの自然体の気がした。


「……本当にシュバインに任せてよかった」


 過程はどうでもいいか。

 とにかく娘が元気にしているのならば、些細な問題だとそう結論づけた。

 ストリクトは馬車へ戻った。


「……ストリクト。彼女は本当に変わった。以前の高嶺の花の彼女からは想像ができないな」


 ストリクトが馬車に戻ると10歳前後の黒曜石のように艶のある髪の凛とした青年が迎える。


「ハルト様、お待たせして申し訳ありません。久々に再開した娘の姿が愛おしくて」

「ストリクト、お前も変わった。これもお主の言うリーヴ男爵の影響か?」

「ええ、そうですな。私も娘もシュバインがきっかけです」

「そうか……それは、楽しみだ」


 会話を交わしたハルトと呼ばれた黒髪の少年は場所から見える広大な畑を見て期待を膨らませていた。

 二人は馬車に乗りリーヴ男爵家に向かった。

 もちろん、時間をかけてゆっくりと。


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