これはイザベル=フィスターニスが11歳の頃の話である。
イザベルは自室に篭り、王妃教育の勉学に勤しんでいた。
日は完全に沈み夜遅い。部屋の明かりは灯すことなく、蝋燭の僅かな明かりをつけ過ごしていた。
何故彼女が勉強していたかはとある悩みが原因だった。
「……お腹が……減りましたわ」
空腹である。
イザベルは11歳の誕生日を迎える頃からずっと空腹が悩みの種であった。
いつも出される食事は栄養、見た目重視のコース料理。
食べ盛りの女の子には少々物足りない。
日に日に空腹度が増すイザベルはその日……限界を迎えた。
いつもは水を飲む、勉強に無理やり集中する、軽い運動を行うなどすれば紛らすことができたのだが――。
――クー…クー…クー。
お腹の虫が鳴り止まない。
イザベルは空腹の限界に達したのだ。
「……これは……スープの匂いかしら?」
ふと、気がつくとどこからか美味しそうな匂いを感じ取る。
空腹の限界を迎えたイザベルの嗅覚は普段の数倍跳ね上がっていた。
結果、自室から遠く離れた食堂から食事の匂いを嗅ぎ取った。
「ですが……もうこんな遅くですのに」
イザベルは時計の針を見つめる。
針は22時を指していた。
就寝の時間。
本来なら彼女も寝ている時間。
勘違いかと思った。
もしもこのまま一人で部屋を出たらストリクトに怒られてしまう。
罰則を喰らってしまうかもそれない。
だが……だがそれでも、食べ盛りのイザベルは己の欲求には――。
「あくまで確認しに行くだけですわ」
――勝てなかったのだった。
薄暗い真っ暗な廊下。月明かりが唯一の光を灯す廊下、イザベルは歩み足で進む。
「やはり勘違いではありませんわね」
厨房に近づくほど匂いは明確になる。
食べ物があると確信したイザベルは次第に早歩きになる。
「……どなたかいるのでしょうか?」
イザベルは疑問を浮かべる。
厨房に着くとドア越しに僅かな光が漏れ出ていた。使用人はもう専用の借屋にいるはず。
気になりドア越し耳を傾けると数人の男女の声だった。
『はぁ、これだからやめられねぇな!』
『そうそう!お貴族様ってのはこんな美味いモン食ってるのか!』
『はぁ!良い部位だけ食べて残りは捨てるとか勿体ねぇ事してんなぁ』
『そこは私たちが責任を持って食べてあげてるんだから良いじゃない!』
愉快な声。
イザベルは話している内容はよくわからなかったが、部屋越しからは美味しそうな食事のにおいが漂う。
――じゅるり。
無意識によだれが溢れる。
一体彼らは何をしているのだろう?
この食欲そそる正体はなんだろう?
浮かぶ疑問と空腹の欲求からイザベルはドアに限界まで耳をつけたり、鍵穴から覗けないか覗いたりしていた。
――ガチャ!
「きゃ!」
体重をかけすぎた結果、ドアが急に開いてしまう。
可愛らしい声を漏らしたイザベルは倒れる前に両手を床につける。
膝をついてしまう形になったが大事は避けることができた。
先程まで騒がしかった部屋はシンッとした。
不安げな声が聞こえたイザベルはゆっくりと視線を上げた。
「……あ」
「お……お嬢様」
「う、嘘だろなんでここに」
恥ずかしさから、小さく声をこぼすイザベル。
イザベルが来たことで危機感を覚える男女。
男女の正体、夜遅くに料理をしていたのは公爵邸で雇われている料理人たちと数人のメイドだった。
イザベルはゆっくりと立ち上がると、美味しそうな香りのするテーブル目掛けて歩み進める。
「これは……」
イザベルは目を輝かせていた。
テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていた。普段テーブルマナーが必要な格式あるコース料理でなく、見たことのない家庭料理の数々。
イザベルは視線を上げ固まっている料理人とメイドたちを見上げる。
彼らは顔を真っ青にして固まっていた。
それもそうだ。隠れて料理をしていたことがバレてはいけない人物の一人にバレたのだから。
だが、彼らは食材を勝手に使っていたわけではない。イザベルたちが食べた食材にあまり……廃棄するはずの食材を有り合わせ料理をしていたにすぎない。
だが、本来捨てろと命じられたものを無視していたわけで、下手したら首が飛びかねない。
だから、皆表情が暗かった。
そんな心情をイザベルは理解していなかった。いや、余裕がなかった。
今にも倒れそうなくらいに空腹な彼女には。
――クゥぅぅ。
「「「「「……は?」」」」」
ご馳走を見たらイザベルの腹の虫は鳴り止まなくなってしまった。料理人たちは目が点になる。
「わたくしに……ご飯を恵んでくださいませんか?」
恥ずかしさがあり顔を真っ赤にするイザベル。涙目で訴えるその姿は庇護欲をそそる。
「……よかったらお嬢様も……食べますか?」
料理人の一人が耐えかね、イザベルに声をかける。
「……はい!」
その誘いにイザベルは目を見開き、元気に返事をした。
こうして屋敷の料理人とイザベルとの秘密ができたのだった。
こうして、イザベルはストリクトに内緒で厨房を訪れるようになった。