「貴様がリーヴ男爵か。……豚だと聞いていたが、痩せたのか……まぁいい。今宵のめでたい日に遅刻とは……貴族としての自覚が足りぬな。愚か者が。貴様は我が王国の恥であるな」
リヒトがシュバインにかけた言葉は罵倒であった。
どっちが愚か者だよ……内心そう思ったシュバインは気にすることなく言葉を発する。
「お初にお目にかかります殿下。少々手違いがあったようで――」
「言い訳とは無礼甚だしい。不快だ。少し口を閉じたらどうだ?」
「……承知いたしました」
自作自演がすぎる。何が目的なのだろう。
シュバインは思考を巡らせる。
リヒトのわざとらしい言動から推察しようとするも、まだ答えに至れない。
とりあえずは何を言っても無駄か。吐き捨てるように言葉を遮られたことでシュバインはしぶしぶ了承した。
「久しいなイザベル」
次に向いた矛先はイザベルだった。……シュバインに口を閉ざすように言ったのはイザベルと話をするためのようだ。
「はい。お久しぶりでございます殿下。ご壮健で何よりでございます」
イザベルは作り笑みを浮かべる。
「随分と表情が豊かになったものだ。以前の貴様は死人のようであったからな」
「その節は大変失礼しました。お恥ずかしい限りですわ」
「いいさ。気にしていない。それで、僻地では質素な生活を送っているのであろう?物資も滞ることもあり、満足な生活が送れていないのではないか?」
「そんなことはございません。毎日新鮮な食材の料理はもちろん、定期的に物資の配給もございます。何不自由ない生活を送れております」
「そ、そうか。だが、ど田舎では苦労することが多いのではないか?娯楽もろくにない。暇を持て余しているだろう」
「自然と戯れるのも一興。毎日が新しいことの発見の連続で楽しい日々を送っておりますわ。ご心配なさらずとも大丈夫ですわ」
「た……たかが数ヶ月過ごしただけで、今後辛い思いをするのは貴様だぞイザベル。そろそろ王都での生活が恋しくなることだろう?」
ただの世間話。だが、話し方に徐々に焦りを感じているリヒトにシュバインは疑問を持つ。
イザベルは少し考えるそぶりを見せる。
リヒトはその姿に何を思ったか、焦りはなくなり笑みをこぼす。
「考え込むと言うことは不便に感じているんだろうな。俺の愛しのブルーメにした行為は許せないが、追放というのも少々やりすぎであったと反省してな……少し貴様に慈悲をかけてやろうと、条件次第だが、俺の権限でフィスターニス公爵に籍を戻してやっていい」
「条件……でしょうか?」
脈絡のない提案にイザベルは目を丸くした。
偉そうな物言いをするリヒトにシュバインは煮え繰り返るような怒りを覚える。人一人の人生を潰しかけたリヒトの愚行、そう簡単に許されるはずはない。
リヒトがした愚行は社交界では非常識な行い。
シュバインが怒りを覚えるのは、初めてイザベルがリーヴ男爵領に来た時の絶望したひどい姿を見ているから。
リヒトは自分の横暴な言動に構わず言葉を紡ぐ。
「イザベル、お前を第二夫人として娶ってやろうと考えている。ブルーメは努力をしているが、平民故公務をするには荷が重いだろう。ブルーメには俺の近くで支えて欲しい。だが、王妃としての公務をしなければならない。だから、代わりに王妃としての公務をしろ。さすれば過去のことは水に流し、再び婚約者に迎えてやろう」
「……は?」
呆れた声を出したのはシュバインだった。
あんまりな自分勝手な物言い。
ブルーメが王妃としての公務ができないから、一度切り捨てたイザベルにやらせようとしている。
身勝手な行動で生んだ問題を。自分の感情を優先して行った愚行の責任を。横暴な物言いで、さも救ってやろうと言っている。独自解釈で一度壊した人の人生を。
全てを自分勝手な解釈で同じ過ちを犯そうとしているんだ。
「殿下、失礼ながらあまりにも身勝手ではございませんか?」
シュバインは黙っていろと言われたが口を挟まずにはいられなかった。
「口を挟むなと命じたはずだ。……これ以上恥の上乗せをする気か?」
「……しかし――」
支離滅裂としているリヒトにさらに進言しようとして止める。シュバインの服の袖を引っ張る感触があったから。
視線を向けるとイザベルであった。
大丈夫と、意味を込めて彼女はシュバインに微笑む。
何か考えがあるのか、察したシュバインは、
「……失礼しました」
大人しく引き下がることにした。この場はイザベルの意思を尊重することにする。
「ふ……」
不機嫌ながら鼻で笑ったリヒトは再びイザベルへ視線を向ける。
それは彼女が断るはずがないと確信しているかのように。
「戯言はおやめください殿下。わたくしの婚約者は男爵様でございます」
「……は?」
リヒトの笑みが崩れる。予想外のことだったようだ。
「殿下が心配なされることは何一つございません。王都での暮らしも素晴らしいでしょうが、最近ではリーヴ男爵領で自然と触れ合うゆっくりとした日々を気に入っておりますの」
イザベルは満面な笑みを浮かべ言い切る。自らの因縁をバッサリと断ち切るかのように。清々しい顔をしていた。
リヒトは一種の放心状態になる。
無言でイザベルを眺める。唇が僅かに震える。
「何を言っているんだ貴様は!昔のことは忘れろ。ブルーメも許していいと言った。だから、お前は気にせず俺の元へくればいいんだ!」
「殿下、わたくしの過去はそのように簡易に済ませられるものではございません。婚約破棄とは重く、追放とは本来ならば二度と王都に踏み入れることすらできぬことなのですが?」
「だから、気にするなと言っている!貴様は黙って俺に従えばいいんだ!」
傍若無人な物言い。話が通じない。
静まり返っていた会場にリヒトの怒声が響く。一連のやりとりを見ていた貴族たちがヒソヒソと話し始める。
次第にざわつきが大きくなり会場全体は騒がしくなる。
一体何が起こっているんだろう。
少なくともリヒトはイザベルを娶ることを焦っている。
リヒトは慌てふためき、おかしな言動を繰り返す。
「殿下、勝手に婚約者を代えることは――」
「んなこと、俺の権限でどうとでもなる。そこのろくでなしの婚約者は俺が見繕う。これは命令だぞ」
「……ですから」
「俺は次期国王だ。俺の発言は最上位の言葉だと思え。断ることはできないはずだ!」
息を切らしながらリヒト。
額には汗がつたっている。
その終わりのない平行線のやり取りはイザベルにとって耐え難いのだろう。
視線を向ければ手も震えていた。
「で、ですからわたくしは男爵様と」
「口答えをするな!貴様は――」
イザベルは再びリヒトを拒絶しようとする。しかし、状況は悪化の一方。
リヒトは怒鳴りながらイザベルに手を出そうとする。
イザベルは一歩たじろぎ身構える――その時だった。
「これ以上は口を閉ざしていただきたく存じます」
シュバインはイザベルに歩み寄る。彼女の震えた手にゆっくり手を添えるとリヒトとイザベルの間に割って入る。
「……は?」
「……男爵様」
シュバインはイザベルの肩を抱き寄せる。ふと視線を向けると涙目であった。
リヒトは今自分が何をされたか分からぬのか片手を弾かれたことに目を見開いた。リヒトは何をされたかをすぐ自覚するとシュバインを睨みつける。
「失礼を承知で言わせていただきます。殿下は少々身勝手が過ぎるのではないでしょうか?」
シュバインは限界だった。
リヒトの傲慢な物言いもあるが、イザベルが怯え、悲しむ姿は何よりも見たくなかった。
だが、この発言はリヒトの火に油を注ぐ行動。
「黙れ……」
「あなたの身勝手で人生を壊された人がいるのですよ!それをわかっているのですか!」
「……黙れ」
「彼女は幼少期より、国を支えるために人生を捧げた。あなたの隣に立つために!それがなんです。別に好きな人ができたから婚約破棄?ふざけてる!」
「黙れと言っている!」
「いいえ黙りません!あなたは王族にあるまじき無責任すぎる!」
「黙れぇ!」
「男爵様!」
突然シュバインは頬を殴られ後退する。
その拳はリヒトのものであった。顔は真っ赤で呼吸を荒げている。
イザベルは倒れたシュバインに寄り添う。
「男爵様……もうおやめください。これ以上は……もう」
イザベルは腫れた頬を撫でながら涙を流していた。
だが、その制止を聞くことなく、シュバインは――。
「そう簡単にやめられないよ。僕はこれ以上君の悲しむ顔を見るのは耐えられないから」
ゆっくりと立ちあがろうとする……だが体勢が崩れる。
「あ…あれ」
顔を殴られたせいか、脳が揺れてしまったのだろう。
「け、俺に不敬をするからだ、情けない」
そんな姿をリヒトはいい気味だと見下し笑った。
イザベルが一度リヒトに視線を向けた後、シュバインを見つめる。
彼女は俯いた。
この状況で最悪の出来事を想像しているのだろう。
このままではシュバインが危ない。
そして、雰囲気に流されては再び婚約する流れになってしまう可能性がある。
それは絶対避けたい。
だからこそ彼女は思考を巡らせる。
この状況を収める最も最善な方法を。
イザベル自身の願いを叶える方法。
答えは簡単だった。
最も望んでいることは彼女の胸の中にあったようだ。
いつもは口に出そうとしても、過去に想い人から捨てられた不安から答えを濁していた。シュバインを目の前に口にすることが怖かった。
だが、今この場で口にすべきだろう。
「男爵様。あなたの隣にいることをお許し願えますか?」
イザベルは不安が募る中、質問を投下する。
突然の質問に目を丸くするシュバインだった。意味もわからない。この状況で聞くことではないだろう。
だが、真剣さは伝わってきた。彼女の射抜くようなまっすぐな視線。
だからこそ。
「もちろん。僕からお願いしたいくらいだよ」
本心で応えるのが礼儀だろう。
すると、イザベルは不安が吹き飛んだのか笑みを浮かべた。
ゆっくりと立ち上がるとリヒトに向かい合うように立つ。凛と佇むその姿に迷いはなく、震える様子もない。
「殿下、お伝えしなければならないことがございます」
「……どうした?」
自分に対する態度が一変したことにリヒトは警戒する。
「わたくしは王家に嫁ぐことは出来かねます。資格がないのです」
「……は?いや、だから、過去のことは気にすることは――」
「わたくしのこの身は清くございませんもの」
「「……は?」」
予想外の発言からリヒトとシュバインの声が重なった。二人はあんぐりと口を開いたまま固まる。
会場のざわめきはさらに増した。
王族へ嫁ぐものは清らかであることが条件。つまり、イザベルが非処女であれば嫁ぐことはできない、それを公の場で宣言したのだ。
「い、イザベル様」
脳震盪が治ったか、シュバインは震えた声でゆっくりと話しかけていた。
シュバインが気にしていることは今後のこと。もともと自分以外に嫁ぐと考えていた。
だが、イザベルのしたこの宣言はそれがもう許されない。
「よ、よろしいのですか?」
「わたくしが心から望んでいることですもの」
イザベルの迷いのない言葉、満面の笑み。シュバインはドキリと鼓動が跳ねた。
「ふざけるなぁぁぁぁ!」
そんな二人を目の前にリヒトは突然発狂した。
全てが目が泳ぎ、表情が消える。息遣いも荒さが増す。
正直気味が悪い。
シュバインとイザベルはリヒトに怯えを感じる。
だが、その状況も終わりを告げる。
「殿下、それまでです」
低くくぐもった声音に周囲のざわつきも収まる。
シュバインは声の方向へと視線を向ける。
その人物はイザベルと同じ髪色に目。
だが、威厳ある一声でこの場が静まり返ってしまうほど。
その人物の名はストリクト゠フィスターニス。イザベルの実の父親にして、シュタールブルク王国の宰相その人であった。