それはシュバインとイザベルが出かけた一週間後のことだった。
以前は部屋に閉じこもっていたイザベルは屋敷の外を運動がてら散歩するようになった。シュバイン自身も、グレイの監視のもと、ダイエットは続いていたため、二人で歩くことも増えた。
全てがうまい具合に歯車が合わさって前進している時だった。
王都から突然王家の封蝋がしてある手紙が届いた。
「これ……完全に何かあるよ」
「……何が目的なんでしょうね」
執務室にて椅子に座り天井を見上げるシュバインと手紙を再度読み直し眉を顰める補佐のグレイがいた。
シュバインが何かあると警戒した理由は王太子……リヒト=シュタールブルグからの手紙だったからだ。内容は王太子の婚約発表会に招待すると言うもの。
そこにはシュバインとイザベルの名前が記載されており、任意となっているものの封蝋が王家の家紋になっているところから参加が強いられている。
「嫌がらせじゃないかな」
「そんな、一国の王となるお人が公の場でそんな子供じみたことを……いや、なんでも」
シュバインは思いついたことをそのまま口にした。グレンは否定しようとしたが、イザベルの件を思い出し、口を閉じる。
グレンはあいつならやりかねない、そう言いたげな顔をしていた。その表情を察したシュバインは頭をガックリと下に向けた後、立ち上がる。
「まぁ、ここでうだうだ話していても仕方がないから……準備だけはしないと」
とりあえず一番にしなきゃいけないのはイザベルに伝えなければいけないことだろう。
断れない苦行に誘われたら人はどんな反応をするのやら。
シュバインは重い足取りで彼女がいるであろう、屋敷の庭園へ向かう。
庭園でイザベルはダイエットティーを飲みながら休憩をしていた。
服装は少し動きやすいラフなワンピースの格好をしている。安物の服装だが、彼女が着ると一国の姫君のような神々しさすら感じられる。
そんな優雅に過ごす彼女にシュバインは伝えることへの罪悪感を抱きつつ手紙の件を聞く。
「わたくしは……過去と向き合いたいと思います」
イザベルの瞳からは決意の表れが見える。シュバインの視線を射抜くようなまっすぐな視線に、一瞬たじろぐが、心配のため再度聞き返す。
「……今回の件は君への当てつけか、報復だよ?婚約発表会に元婚約者を呼ぶなんて正気の沙汰じゃない。それでも君はいくのかい?」
意地悪な聞き方なのは自覚している。だが、やはり心配なのだ。リーヴ男爵領にきた時、かなり自暴自棄になっていた。
もし、シュバインがイザベルを立ち直らせることに失敗していたら酷い惨状になっていたかもしれない。それほどまでに危険な状態だった。
「わたくしは……わたくしは、区切りをつけたいと思います。このまま逃げ続けたら、いつまでも貴方に頼るだけの卑怯者に成り果ててしまう」
「別に逃げることは悪いことじゃない。戦略的撤退、逃げるが勝ちなんて言葉がある。わざわざ仕込まれた渦の中に飛び込まなくても、事が静まってからでも――」
「――どれほど先の話ですか?」
「……それは」
イザベルは話を遮る。シュバインは即答できないあたり、噂がどれほど続くか予想はできていない。
イザベルは両手を胸につけ、目を閉じる。
「わたくしはここへ来ることができて幸せです。毎日が新鮮で……初めて知ることができました。……しかし、いくら時が過ぎてもわたくしの心には遺恨が残り続けてしまっています。時たま目を瞑るとあの日の出来事を思い出してしまう」
「イザベル様……」
イザベルは目を閉じる。彼女の勇姿に……決意にこれ以上物申すわけにはいかない。彼女の決断を尊重したいと考える。だが、シュバインは彼女の異変に気がつく。
「……手が震えていますよ?」
「……口では言えてもダメですわね」
イザベルは自身の震えている両手を眺める。
恐怖は少なからず感じている。彼女はゆっくりとシュバインに眼差しを向け、震える両手をゆっくりと前に出す。
「男爵様……不躾な我儘ですがその……手を握ってもらえませんか?」
「……それは構わないけど」
シュバインはイザベルの手をゆっくりと優しく包むように彼女の手を取る。
すると、震えていた手は次第に収まる。
「……不思議ですよね……何故か男爵様に手を握られていると落ち着くのです」
「そ、それは嬉しいことを言ってくれるね」
優しく微笑むイザベルに目を見開くシュバイン。照れ隠しで発言したものの、これから先、何を話せば良いかわからなくなる。
頭が真っ白になってしまっているのだ。シュバインはイザベルが自分を頼ってくれていることに嬉しく思う。
そんな混乱しているシュバインを無視し、イザベルは言葉を紡ぐ。
「わたくしは、過去に区切りをつけなければ先に進むことはできません。社交界の噂に怯え、一生しがらみに付き纏われる人生は送りたくない。何より、わたくしは――」
――貴方の隣を堂々と歩けるようになりたい。
その言葉を素直に伝えられたらどれだけ良いだろうか。まだ2月と短い付き合い。だが、イザベルにとってその期間はとても長く感じた。
「――堂々と人生を歩みたい」
まだ、確信を持てないイザベルは本心を隠す。
確信を持てたらその時、必ず伝えたいと思っている。
「……わかった。一緒に戦地に向かおうか」
シュバインはイザベルの覚悟を受け入れた。その言葉を聞き、彼女は嬉しさが込み上げた。
だが、決意の現れの瞳は僅かに緩む。
「……男爵様、烏滸がましい願いがございます」
「なに?……言ってみて」
「もしも……また、震えてしまった時……今日のように手を握ってくださいませんか?」
「……もちろん、僕でよろしければ」
最後、敬語になってしまったのはむず痒かったからだろう。
このやりとりで、二人の心の距離は一気に近づくきっかけとなる。
その日以降、二人は準備を開始した。
まず、シュバインにとって社交界に出ることは数年ぶりのことだった。
グレイとイザベル主導の元、礼儀作法からダンスなど徹底的に鍛えられた。
何より二人は思いの外、気が合ったのか指導は日を追うごとに熱が入る。
「男爵様、姿勢が崩れておりますわ。もっとあごを引いてください」
「こ……こうかな?」
「はい。それから背筋を伸ばす!」
「は…はい」
「男爵様!歩き方がガニ股に戻っております。もっと正しい姿勢を意識して歩いてくださいまし」
「わ……わかった。で……長年蓄積された太っていたことの弊害か」
「旦那様!だからあれほど痩せろと言ったのです!時間がないのでやる気を出してください!」
「わたくしと共に参加するのです。社交界では恥ずかしくない凛とした姿を見せていただかなければ!」
幸い、二人の指導の甲斐あってシュバインは二週間という短い期間にも関わらず及第点の仕上がりをした。
シュバインの体型も解消され、以前とは比べ物にならないほどシュッとしている。
おそらく昔を知っている人ならばシュバインだと気付かないだろう。
グレイ本人曰く、シュバインとイザベルが二人並べば絵になるなという言葉をもらえるほどに。
何より、シュバインとイザベルの距離感は大いに縮まったのだった。
リーヴ男爵領から王都までは一週間ほど。
いくつかの村や街を通過し、途中宿に泊まる。ところどころで馬車を停車させ馬を休ませたりを繰り返し7日ほどで王都に到着した。
道中、馬車の中でパーティに関して繰り返し予習復習を繰り返す。
時たまに雑談、二人が共有する思い出話をする。
貴族学院では、今と昔ではどんな違いがあるのかなどなど。
会話は盛り上がりあっという間の一時だった。
そんな二人は王都に到着した後、数日借りた貴族用の宿に泊まりパーティの対策を必死に続けたのだった。
そして、二人は万全の準備を済ませ婚約お披露目会を迎えたのだった。