次の日、シュバインとイザベルは朝早くから身支度を整え屋敷を発った。
その日は日差しが眩しく、初春の弱い北風が吹き付けるお出かけ日和である。
二人は季節にあった新しい服に身を包み、出かけていた。
シュバインは白の木綿のシャツに黒色のパンツ。紺色のジャケットを羽織る。
イザベルは純白のワンピースにベージュ色のカーディガンを羽織る。日差しよけに少しつばの大きい白い麦わら帽子をかぶっている。
シュバインは1月前とは脂肪が減り、筋肉がつき、ガッチリとした体型のため新調した服を。指摘されなきゃ気が付かないがイザベルは少し太ってしまったため、体のラインが目立たぬような服に、縁の大きい帽子は小顔効果を期待しての格好だ。
「……ここは何を植えておりますの?」
「ここら一体は小麦畑だよ」
「小麦……」
屋敷から一番近くの村に続く、横幅のある馬車が2台は余裕で通過できる太さの一本道の両端には緑の麦畑が広がっていた。
あまりの広大さに驚くイザベルはキョロキョロと辺りを見渡していた。
「とても和みますね」
イザベルは口角を上げ微笑み、言葉を続ける。
「……小麦畑がそよ風に揺られ、心地の良い音を奏でる……わたくしはこんな素晴らしい景色を見過ごしておりましたのね。……勿体無いことをしました」
「イザベル様……」
少し感傷に浸るイザベル。シュバインはそんな彼女にニヤリと得意げな笑みを浮かべる。
こんなことで満足してもらっては困るということだった。
「この程度で満足されるとは……勿体無い」
「勿体無い……ですか」
「ええ。……今は緑一色だけど、一月経てばあたり一面金色となる。ここから見た景色はまさに黄金の国にいるのでは、と錯覚するほど!」
「それは……是非とも見てみたいですわ」
イザベルは自信満々に自分の領を自慢するシュバインに呆気を取られるが、胸を撫で下ろしていた。
自然と笑みが溢れる、彼女は少し胸が温かくなるのを感じていた。
そんな彼女の様子にシュバインは嬉しく思っていた。
「実は屋敷から小麦畑を一望できるテラスがあるのです……よろしければ今度ご一緒しますか?」
その流れで交流目的で約束を取り付けようとするシュバイン。
断られる覚悟をしていたものの返答はというと。
「是非……」
……二人は少しは進展しているのかもしれない。
イザベルは全て言い切れなかったものの、照れながらも了承したのだった。
それから二人は歩き進むほど数分。
麦畑を過ぎると村の建物が遠目で見えてき、野菜畑が広がる道を通った。
「あら、お前さんら、みない顔だねぇ」
「新しい人かい?」
野菜畑から声をかけてくる農作業着ご老人がいた。
畑には同じように作業をしている老人や、若者。そして小さな子供までも作業をしていた。
まるで初対面みたいな反応をされたシュバインはすぐに誤解を解く。
「いやいや、僕だよ。この前も来たばっかじゃん」
「……そ……その声、まさか領主様なのかい」
「いや、なんでそんな幽霊を見たような顔するの。顔真っ青だよ?大丈夫?」
「ど、どうしたべ……まさか、病気!」
声をかけた老人はシュバインは顔馴染みのはずだが……何故か老人は震えていた。
そして、その場にいた者はその声に反応しシュバインの元へ集まる。
心配で声をかけられるシュバインだったが。
「いや、僕ダイエットして痩せただけだから!健康優良、ご心配なく!」
一喝することで辺りはざわついたものの、農夫たちは安心した様子をしていた。
それから、シュバインは集まってきた領民たちに現在に至る経緯を説明した。
「いやぁ、やっと領主様……一生結婚しないと思ってたべ」「こりゃすごいべっぴんさんだ!」「これで安泰ですな!」
返ってきた言葉はほとんどが祝いの言葉であった。特に高齢者のおじいちゃんおばあちゃんあたりからはそう声をかけられた。
だが、一部若い世代の人たちには。
「領主様、一体どんな弱み握ったんですかい?」
「まて、攫ってきた可能性も」
「領主様、最低」
「豚に真珠じゃねぇか。あ、もう痩せたから違うか」
揶揄うように、ニヤニヤ笑いながら言葉が飛んできた。
それに対してシュバインはというと、頬をピクピクとさせていた。
「きみたち……僕のことをなんと思っているんだい?……領主権限で君たちだけ税を倍にしてもいいんだよ?」
「職権濫用だ!」
「それでも領主かよ!彼女いない歴=年齢だったくせに!」
「変な誤解しているようだからちょっとあっちで話をしようか?」
シュバインの周りに集まった人たちは茶々を入れたり、笑いが絶えなくなる。
だがそんな中、この輪に入れず戸惑っている人がいた。
「あの……男爵様……これは一体?」
「だから、婚約は正式な手順を踏んでだね。……あ」
シュバインは話に熱中しすぎてしまい、イザベルに説明を忘れてたことを思い出す。
気がつくとイザベルは戸惑っていた。
若い領民たちに弁解をしていたシュバインだが、熱が入りすぎてしまったようだ。
シュバインは何故彼女が困惑しているか、察した。
普通、貴族と平民の身分差は一線が引かれている。
平民は貴族に関わろうとせず、貴族は平民を見下している者が大半である。
それがこの世界の常識である。
だが、今のシュバインは平等に接している。それどころか、不敬罪と取られてもおかしくない発言をしていた。
シュバインはイザベルを連れてその場から一度離れる。
「すいません、うちの領民は少し特殊でして。……失礼な物言いをする可能性があるんだけど。お気に障ったら言ってほしい。罰することはできませんが改めるよう促すから」
「……一つお聞きしてもよろしいですか?」
「はい?」
突然話題の質問に戸惑うシュバイン。
「何故男爵様は、あのような態度を取られても平然とされているのですか?」
確かに常識ある貴族が見たら異様だ。
シュバインは内心思考を巡らせる。
「僕がそうするように頼んだんだよ」
「……え?」
「貴族と平民では身分が違う。しかし、僕たち貴族が生活ができているのは平民が汗水垂らして税金を収めてくれているからなんだよ。……僕の領主としての役割は皆が住みやすい環境づくりが仕事だからね」
イザベルが戸惑うのも無理はないだろう。
普通の領地は何かしら領主と領民には壁が存在する。
シュバインの領地経営方針は、領民ファーストである。
無理に税を取ろうとすれば領民は減る。
実際、シュバインが領主になった頃は若い者は都会に働きに出ることが多かった。
だが、住むのに不自由のない生活を目指した。
識字率100%を目指す。高い金を払い商人に定期的に物資を届けてもらう。リーヴ男爵領に続く街道の整備や定期便を用意するなど。
領地で取れる作物を他領と売買して領地を潤す。
リーヴ男爵領は広大だ。それゆえに、人さえいれば畑で作物を育てることができる。
初めは赤字続きであったが、シュバインの手腕と領民の協力で黒字にできた。
そうやって積極的に領民たちに直接関わる中で、意見を言いやすい関係を築く。
初めは動揺していた者たちも今では立場関係なく接してくれるようになった。
そうやって数年間かけて築き上げ信頼関係が今のような気楽な関係なのだ。
「初めは栄えていない領地だったけど、こうして皆と協力して良い領にすることができた。そのためには領民の声を聞くのが一番だった。繰り返すうちに、なんでも気軽に相談してもらえる今みたいな関係を築いてきた。良い領主とは領民と手を取り合い、円満に関係を築くことが大切なんだと思う」
シュバインは話し終えたあと最後に一言加える。
「まぁ、僕の持論なんでそんな考えもあるんだなくらいの認識で構わないから。……貴族らしくないよね」
この考えは少し珍しい。
自覚しているゆえ、シュバインは未だ口を閉ざすイザベルに自嘲気味に伝えた。
「いえ……わたくしはそのようには思いませんわ。領主と領民が互いに助け合える、というのはなかなかできぬことですわ」
「……大袈裟だよ」
突然のイザベルの賞賛に頬をかくシュバイン。妙な空気になってしまい少し無言になってしまった。
「領主様!」
「こら、カンド!お待ち!」
沈黙を破ったのははしゃぎながら駆け寄る活発な子供であった。
少年の後ろからは、母親らしい人物が止めようとしてきたが間に合わず。
「見てみて領主様!これ、俺が収穫したんだぜ!すげーだろ!」
「どれどれ?」
カンドと呼ばれた7歳前後の子供をみてシュバインは感謝した。偉そうなことを言ったせいで少し気まずい雰囲気になってしまっていたから。
シュバインはカンドが収穫した野菜を見る。彼は泥のついた両手で自分の顔くらいの大きさのカブを持っていた。
シュバインに自慢し、見せつけるように両手を掲げる姿は無邪気で明るい姿だった。
「これを一人で?……カンドくんはすごいな」
「えへへ!」
カンドは素直に褒められて土がついた手で頬をかいたため、顔に土がついてしまう。
「領主様、申し訳ありません。息子が失礼を」
すると、少しふくよかな女性が慌てて近づく。カンドの母親だろう。謝罪の意味はシュバインとイザベルの二人の雰囲気を壊してしまったことを気にしていた。
「そんなことはない。……子供は無鉄砲なくらいがかわいい。子供は宝だからね」
「す、すいません」
「なんだよ母ちゃん、らしくない。いつもなら引っ叩いて来るのに」
「こら!ちょっとおだまり」
「怒った!母ちゃんの化けの皮が剥がれた!」
「一体どこでそんな言葉覚えたの!……あ、領主様、すいません。少々失礼します」
「気にしなくていいさ」
カンドは母親を怒らせ畑の方に逃げていった。彼の母親はその場で一礼すると逃げた方向へ進む。
「……ふふふ」
「……イザベル様?」
その背景をみて、イザベルはフッと笑う。
「……申し訳ありません。賑やかでつい」
恥ずかしがるイザベルだったが、笑みを浮かべる。
そんな彼女にシュバインは。
「我がリーヴ男爵領は笑顔が絶えないのも自慢の一つ。……ほら、イザベル様も笑ってるから」
「あ……」
そのことに気がついたイザベルはハッとした。
「確かに……その通りですわね」
そう言った彼女の笑みは自然に溢れたものだった。
「領主様こっちこっち!」
その後、カンドが再び畑から声をかけてきた。
二人は目を見合わせてから頷き合い、カンドの元へ向かったのだった。