「王太子が公の場で婚約破棄を言い渡すとか……はぁ、そんな贅沢中央だから許されるんだよ。全く、こちとら王都から離れすぎてるせいでお見合いを取り付けることすら困難なのに」
早朝、シュバイン゠リーヴは商人から受け取った王都の情勢に関する報告書に目を通して執務室で一人愚痴っていた。
シュタールブルク王国の王都から東に馬車で片道一週間ほどかかる遠い僻地にリーヴ男爵領がある。
人口は300人と少なく、1年間を通して温暖で森林や山の緑豊かな土地。底が見える程透き通った美しい大きな湖。澄み切った空気が美味しい、大自然に囲まれた王都から最も遠く、田舎の領地。
領地は人の住める場所が全体の3割ほどで残りは全て自然に覆われている。
唯一誇れることがあるとすれば、餓死者が絶対に出ないことだろうか。
一年を通して寒暖差がなく涼しいため、小麦や米、野菜など作物がよく育つ。
酪農が盛んで乳牛や家畜も元気。
肉から野菜、牛乳など、食べ物が尽きることはない。
そんな田舎領地の領主をしているのがシュバイン゠リーヴ男爵である。
茶髪で全身に脂肪がまとわりつくぽっちゃり体型。痩せればイケメンなのにと言われるほど形の良い奥二重。
誠実な彼は領民からの信頼も厚く、人望がある。
そんなシュバインは朝から仕事に追われていた。
「……はぁ」
「旦那様。ため息をつかれる余裕あるなら手を動かしてください」
「グレイ、君は悪魔かい?見るんだこの書類の山を」
「……それは旦那様が先送りにしたせいでしょうに……皺寄せがきてしまっています。自業自得です」
執事は呆れていた。
グレイと呼ばれたのはシュバインと同歳の執事である。
シュバインと違ってグレイはシュッとした体つきで、端正な顔立ちをしている、漆黒の髪色に瞳をもつ。
まさにできる男である。
そんな二人は現在、執務室で書類仕事をしていた。
「仕方ないじゃないか。領民たちの要望に応えるために、視察に行っていたんだから」
「それが悪いと言っているのです。わざわざ直接出向く必要はないと思いますが?必要な手続きを踏んで報告させればいいでしょうに!」
「それだと時間がかかりすぎる。僕が直に行った方が早い!」
「……何でそこまで頑固なんですか。それでは識字率を向上させた意味がないではありませんか!……とにかく、これは貴方の皺寄せなんですから自分で責任を取ってください!さ、減らず口をやめてさっさと手を動かす!」
「……わかったよ」
まるで出来の悪い子供を叱るように指摘してくるグレイにシュバインはため息をこぼす。
別に面倒だな、とはシュバインは思っていない。実際にグレイの言う通りなので反論できないのだ。自業自得なのだ。
それに、田舎ならではで田舎領地といえど、仕事量はそこそこ多い。
河の氾濫防止の治水工事の計画、自領で生産した作物の他領への販売経路や価格について。自然豊かな森林を維持するための間引きなどなど。
計画的に行えば溜まることはないのだが、春初めの時期は何かと領民たちからのクレームや要望が多い。
シュバインは領民ファーストを心がける故に直接要望を聞きに行き、その場で解決策や方法を模索していた。
それに加え、領民たちとのコミュニケーションの一環で作物の収穫まで手伝っていたりもする。
だから、その皺寄せがきてしまったのだ。
現在シュバインはその件を指摘されてしまっていた。
だが、それは領主補佐としての心配からである。
「とにかく!領民ファーストの考えは領主として素晴らしいお考えでしょう。が、今のままでは倒れてしまいます。貴方の代わりは誰もいないんですから。自覚してください」
「わかってるよ。十分栄養は取っているから大丈夫」
「……取りすぎのような気もしますが」
グレイはシュバインの膨よかな体全体を見渡し目を細めた。
「いやぁ……何で何だろうねぇ。出された食事しかとってないのにねぇ」
シュバインは目を逸らし、上擦った声になる。グレイはその視線より鋭くなる。
「食事はお抱え料理人による徹底的な栄養管理の元、お出ししている。量も制限され、普通の食生活をしているなら太ることはないと思いますが?」
「……もしかしたらその料理人の栄養管理が杜撰なのでは?」
「つまり、旦那様が太るのは俺が悪いと?最終確認は俺がしております。何より、同じ食事量を摂っているのに、太る方がおかしいのです」
「……」
「どうせ、領民からお裾分けをもらってたり、部屋に菓子類を忍ばせているのでしょう。さぁ、白状ください。本日視察に向かわれた時、何を食べたか」
「……そ、それは」
後ろめたい気持ちがあるシュバインはグレイの猛攻に怯む。
隠したところでバレるのは火を見るよりも明らかだった。
「隠した場合、しばらくは薬膳料理になりますが?」
グレイのその言葉がトドメとなった。
シュバインは今日あったことを全て白状した。
「串焼き20本に……チーズケーキ2ホール。乾燥した野菜で作られた菓子を大量に……そりゃ太りますよ」
「うぐ……」
バッサリ切り捨てられた言葉にシュバインは胸を抑える。
明らかに高カロリーなものをとるし、食べた量もえげつない。
「だっ、だって領民たちの気持ちを無下にできなかったんだ。仕方ないじゃないか!」
「なに開き直ってるんですか?……おっしゃる通りですが、断るのも勇気です」
「こ、断るわけには」
「では、持ち帰るなりすればいいのでは?何故全てその場で食べようとするんですか」
「食べてと迫ってくるから」
「あくまで領民のせいだと?」
「いやぁ、そんなわけないじゃないか」
「……ふむ」
シュバインの声は再び上擦った声になった。まだ、何か隠している。察したグレイはそれを指摘しようとしたが……その時だった。
ドアからノック音が聞こえてきた。
「旦那様、失礼します」
「待って!また後でにしてくれ!」
女性メイドの声が聞こえた。
シュバインは声を聞いた瞬間、顔が真っ青になる。
慌てて席を立ち上がりドアに向かおうとしたが、体にまとわりつく脂肪という名の鉛のせいで行動が鈍い。
「何やってるんですか全く。私が出るから待っててください」
「ちょまーー」
シュバインの言動に呆れたグレイはそのまま扉に向かう。シュバインはうつ伏せの状態から右手をドアの方向に勢いよく伸ばし、静止させようとするが時すでに遅し。
「……何だ。これは?」
「え?旦那様から後でお持ちするように言われたお菓子とケーキですが?」
「……チーズケーキに……野菜チップス」
メイドが運んできたトレイの上を見てグレイはシュバインを一度睨むとすぐに振り返り、にっこり笑顔を見せる。
「まだこのほかに量があるのだろうか?」
「グレイーー」
「旦那様は黙っててください」
「……はい」
シュバインはグレイの笑顔に萎縮し言葉を失った。
「ええと……後ケーキが2ホールほど、野菜チップスは5袋分ほどありますが」
「そうか。なら、それは君たちで全部食べるといい。いつもより、休憩は長めにとり、ゆっくりとティータイムでも過ごしたまえ」
グレイはメイドにそう告げた。
「なるほど、持ち帰れない分を食べてきたと」
「……あはは」
「次の視察には俺も同行しますね」
「……はい」
笑顔で放たれたグレイの言葉に一生敵わないと思うシュバインであった。
その後は小言を挟まれながらも、溜まった仕事を終わらせたのだった。
「はぁーあ。疲れたぁ」
「お疲れ様でした。一息つきましょうか」
仕事がひと段落つき、シュバインが伸びていた。
グレイはそっとお茶を差し出す。
飲んだシュバインは眉を寄せる。
「……少し苦くない?」
「脂肪燃焼効果があるらしいですよ」
「……気遣いありがとう」
苦い顔をしながらもシュバインは苦い茶を啜りながら椅子に深く腰掛けた。
そして、沈黙の中手元に残った書類を再度目を通す。
「今回はどのようなことが書かれていたのですか?」
「……読めばわかる、相当厄介な事件だよ」
シュバインはかつて王都で働いていた時の伝手で手に入れている報告書をグレイに手渡した。
グレイはさっと報告書に目を通した。
「これは……」
笑顔のシュバインにグレイは首を傾げる。
「……王太子もバカですね。平民と婚約とは」
「君、それ不敬罪になるからやめなよ」
グレンの毒舌に苦笑いするシュバイン。
グレンは一通り読み終えると言葉を発する。
「王都は一波乱ありそうですね。俺たちには関係なさそうですが」
「あはは。これに関しては中央貴族の問題だしね。辺境貴族には影響はなさそうで安心する」
我関せずの二人だが、言葉通りだ。
王都に出向く可能性はあるが、辺境貴族の男爵。それはないだろうとシュバインは考えを改める。
そして、話を切り替えるように大きなため息をつく。
「はぁぁ、王太子殿下は本当にずるいよね」
「何がですか?」
前振りのない話題転換にグレイは視線をシュバインに向ける。
「僕なんてお見合いするだけでも大変なのに」
「ああ、男爵様の甲斐性の話ですか」
「……別の言い方はできないの?」
「そうですね……利便性も悪いですからね。華を好む令嬢はまず来たがらないでしょうね。ですが――」
グレイはシュバインの全身に視線を向ける。
「自然を好むご令嬢も少なからずいるでしょう」
「……ふーん。なら、何でお見合い来ないんだろう?」
「まさか分かってないのですか?」
「……うん?」
大きなため息をつき、頭を抱えるグレイ。
わかっていてもシュバインはあえて分からないふりをしている。
「その体型がいちばんの理由、どんなご令嬢も清潔感のないデブと結婚したがる人はいませんよ」
「…… デブじゃない!僕はぽっちゃりだから!100キロ超えてないからセーフ!」
グレイの毒舌連続パンチにシュバインは慌てて独自の理論を展開する。
シュバインは言い返すこともできないらしい。
シュバインは厳しい視線を向けるグレイの雰囲気に居た堪れないから、名案とばかりに言葉を紡ぐ。
「グレイは僕の後継のことを気にしているんだよね?」
「まぁ、大まかにはそうですが」
「なら養子を取れば解決だね」
「唐突な……候補はいるのですか?」
「そうだな。グレイの息子さんとかどう?」
「俺の息子を奪おうとしないでください。許しませんよ」
「なら、村人から優秀そうな子供を」
「……少しは努力をしてくださいよ……全く」
呆れてこれ以上何も言えないと諦めたグレン。
29歳独身、小心者のシュバインは正直、結婚は諦めているところがあった。
だが、そんな彼にも転機が訪れることになる。
それは数日後の出来事。
大層高貴な遣いの者が手紙を携えてリーヴ男爵領に訪れた。
「……う、嘘だろ」
手紙の封蝋を見て顔を真っ青にするシュバイン。
手紙の送り主はフィスターニス公爵からであった。
フィスターニス公爵家は昔貴族学院を卒業したあと、文官として7年近く勤めていた。
シュバインはリーヴ男爵家の分家の人間だった。
だが、リーヴ男爵家の本家の人間が突然夜逃げし、領有権を放棄したことをきっかけに領主となった。
引き継いで5年が経つがストリスト゠フィスターニスから受けた恩は返しきれない。
大恩人でもある。そんな人物から数年振りの手紙。
シュバインは急ぎ、手紙に目を通す。
内容は、「娘を娶ってはもらえないだろうか」というお願い。
公爵家は、シュバインにとっては雲の上の存在だから断ることができない。
「……一体どうなってるんだよ」
手紙の内容はすぐにグレイにも伝わった。それから慌ててフィスターニス公爵令嬢を出迎える準備をしたのだった。