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咲くLOVE

 春は多くの別れを生み、そしてまた多くの出会いを育む。桜はちょうどその境に、まるで全ての感情を吸い寄せたかのような、淡いピンクの花びらを咲かせるのである。

「行かないで・・・・・・」

 その一言が言えなかった。

 桜子さくらこにとって、ひかるは青春のすべてだった。全身全霊をこめて恋をしていたのだ。

 卒業式で桜子は思い切って輝に告白した。高校最後の想い出のつもりだった。輝はバスケットボール部のキャプテンで、下級生のあこがれの的であった。輝の学生服の金ボタンはすべて下級生にもぎ取られていた。

「ブルース・リーみたいね」

 桜子はくすっと笑ってしまった。ボタンのない学生服が中国の人民服のように見えたのがおかしかったのである。

「いやあ」輝は顔を赤らめて頭をかいた。「桜子さん。これ」

 そう言うと、ズボンのポケットから金ボタンをひとつ桜子に差し出した。

「え」

「第2ボタン。これだけは死ぬ気で守り抜いた」

「わたしのために?」

 輝は恥ずかしそうに頷いたのだった。しかし東京に就職が決まった輝と、地元の企業に勤めることになった桜子との間には知らず知らずの内に深い溝が生まれて行ったのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 あれから2年が過ぎた。どちらかが離れてしまえば、恋は消滅する。ただ淡い想い出が残るだけだ。

 その日の天気は快晴だった。桜子は、気晴らしに中央公園を歩いてみた。もう桜の花がほころび始めている。青い空にはぽつんと白い雲がひとつ浮かんでいる。その雲の上に、輝の笑顔が浮かんでは消えていく。

「忘れよう・・・・・・」

 桜子はぽつんとひとつ、小さなため息をついた。

 ふと、大きな桜の木の下でお花見をやっている集団に目がとまった。そこには輝によく似た若い男がカラオケで踊りながら歌っている姿があった。

「輝?」

 まさか、そんなことがあるわけがない。

「お姉ちゃん。一杯飲んでいきなよ」

 桜子に気づいた、酔って赤い顔をしたおじさんが手招きをする。じっと見入っていたので、桜子が仲間に入りたがっていると勘違いしたのかもしれない。

「いえ、わたしは・・・・・・」

「お酒は二十歳になってからよ」

 おじさんの隣に座っているおばさんが、酔ったおじさんをたしなめる。

「お姉ちゃんいくつ?」おじさんが桜子を見上げる。

「二十歳になったばかりですけど・・・・・・」

 その時、大声で歌っていた輝に似た若者と目が合ってしまった。若者が一瞬驚いた顔をしたが、すぐにビールを煽ってまたマイクで歌い出した。お世辞にも上手な歌とはいえなかった。

 桜子は「じゃ、一杯だけ」そういうとビニールシートの端っこにちょこんと座る。おじさんが大型の紙コップにビールを満たしてくれた。桜子はそれを一気に飲み干した。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 気がつくと、桜子はビニールシートの上で眠っていた。たいして飲めもしないのに、お酌されるままに飲んでしまったからだ。

 それというのも、輝によく似た若者を見て動揺してしまったせいである。桜だけに、気が錯乱・・していたのかもしれない、なんて・・・・・・やっぱりおかしい。

「あ、気がついた」

 さきほどのおじさんが心配そうに桜子の顔をのぞき込んだ。「ごめんごめん。飲ませすぎちゃったかな」

 宴会はとうに終わっていた。わたしは跳ね起きて、おじさんに頭をぴょこんと下げた。

「ごめんなさい。わたしそんなつもりじゃ・・・・・・」

「あ、これ君に渡してほしいって」

 おじさんに小さな紙の手提げ袋を渡された。

「あいつは新人だからさ。片付けやら何やらで会社に戻らなきゃならないんだよ」

 袋の中に小さな走り書きのメモが入っていた。


“桜子。ごめん。

じつは東京に行った後、すぐにこっちに戻ってきて農協に就職していたんだ。

(これは友達にも厳重に口止めしていた)

すぐには恥かしくて桜子に言えなかったんだ。

許されることならまたやり直したい。もしOKならこれを合図に使ってほしい。

そうしたら必ず声を掛けるから 輝”


 都会で買ったものだろうか、口紅が1本同封されていた。淡い桜色の口紅だった。

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