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愛のイリュージョン

「これからわたしの最後のマジックをお観せいたします」

 妻のアリスは大歓声に向かって両手を挙げて挨拶をした。

「アリスさん。これで引退なさるということですが」

 司会のアナウンサーがアリスにマイクを向けた。

「はい」アリスは決然と言った。「これがわたしの最後のイリュージョンになるでしょう」


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 アランとアリスは愛し合っていた。それと同時に、お互い切磋琢磨せったたくまする奇術師のライバル同士でもあった。

 彼らはマジシャン・カップルとして結婚した。結婚式の翌日、ふたりは北欧に新婚旅行に旅立った。研究熱心なふたりは、次の大掛かりなイリュージョンの仕掛けを考案するため、ある古城に泊まり込んだのだった。


「アリス。これはいったい何だろう?」

 晩餐ばんさん用のワインを選びに地下室に降りたアランが、一階にいるアリスに呼びかけた。そこの床には、一面に文字盤が描かれていたのだ。それはまるで宇宙の天体図のようにも見えた。

「魔方陣じゃないかしら」

 アリスが床に積もったほこりを丁寧に布で拭った。

「面白いな。ここで人体の瞬間移動について実験をやってみたらどうだろう」

「怖くないかしら」

「だいじょうぶさ。さあ、やってみよう」

 ところがそれが悲劇のはじまりだったのだ。


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 新婚旅行から戻ったふたりは、益々奇術の腕を上げ、世間から絶大な人気を博すようになった。

 ただ、ひとつだけ変わったことがある。どちらか一方が姿を現すと、片方が必ず姿を消すのである。すなわち、ふたり同時にステージに姿を見せることがなくなったのだ。ふたりはまるで太陽と月の関係だった。片方が近づくと、どちらかが透明人間のように完全に見えなくなってしまうのだ。

 妻アリスと夫アランのマジックは、常に別々の催し物となった。最初のうちは人気も二分されていたが、最近では美人のアリスの人気がアランを上回るようになってきていた。

 それはそうだ。力のある男のアランが、アリスのマジックをささえていたのだから。大掛かりなイリュージョンはアリスが行うようになり、アランは地味な手先のマジックを披露することが多くなったのだ。


「もうこの孤独には耐えられない・・・・・・」

 アランはアリスと決別して、新たにエミリーという女性と暮らす決意をした。お互い愛し合っていても、その姿が見えないのだからこうなるのも時間の問題だったのだろう。

 それでもビジネスパートナーとしてお互いを必要としていた。マジックを行う者として、観客から見えない人間ほど重宝するトリックはないからだ。


 そのうちエミリーは夫のアランが、元妻と浮気をしていると勘ぐるようになってしまった。アリスの公演のときにはアランはいつも所在不明となる。そして寝言でアリスの名を呼ぶ。アランの心はきっと今でもアリスにあるのだと思い込んだのも不思議ではない。


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「アリス。大変だ!」

 会場の支配人がアリスの楽屋に駆け込んできた。

「どうしたの?」

「わたしの友人が銃の店を経営しているのを知ってるよね」

「ええ」

「エミリーが銃を買っていったってさ。友人から言わせれば、あれは護身用じゃない。誰かを撃つつもりじゃないかって言うんだ」

「わたしを狙っているっていうの?まさか」

「でも用心に越したことはない。きみには黙っていたけど、きみが留守のときによくエミリーから電話がかかってきていたんだよ。そこにアランがいるんでしょ。分かってるんですからねって」

 アリスと姿の見えないアランはため息をついた。

「分かったわ。もう潮時ね。マジックはこれで最後にしましょう」


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「それでは最後のマジックです」

 アリスがシルクハットから鳩や紙吹雪を出そうとしたときだった。舞台の袖から突然エミリーが拳銃を持って現れた。

 会場は騒然となった。

「アランを返して!」

 そう言うと、エミリーは立て続けに銃の引き金を引いた。観客が悲鳴をあげた。

 そのとき全ての銃弾はアリスの目の前で宙に浮いて止まると、音を立てて床に落ちていった。

「ブラボー!」

 会場からスタンディング・オーベーションが湧き上がって幕が下りた。


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 姿の見えないアランは防弾チョッキを着ていたが、それた弾丸が彼の動脈を傷つけていた。

「アラン!」

 アリスは床から誰にも見えない“何か”を抱きかかえて大声で泣いた。

「アリス・・・・・・ごめんよ。実は妻として本当に愛していたのはきみだけだったんだ」

 銃を持ったエミリーは、訳がわからず、ただ放心した表情で座り込んでいた。

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