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双子

 こんなことが世の中にあるのだろうか。

 ぼくは貧しい画学生である。アルバイトをしながら絵画の勉強をしていた。そんなある日、裕福な家のお嬢さんが、絵の教師を捜しているという話を聞きつけた。ぼくはさっそくその豪邸に赴き、面接を受けたのだった。

 分厚い絨毯じゅうたんが敷き詰められたリビングで、ぼくは初めて加奈子と両親にお会いした。高貴な香りのする紅茶をいただく。両親は気さくな好人物たちであった。

 加奈子は静かに両親とぼくの会話に聴き入っているのであった。そして彼女の透き通るような瞳は、まるで生物のいない湖のような純粋な色をしていた。

 結果、ぼくはその日から家庭教師を始めたのである。

 ぼくはデッサンの仕方、筆の使い方、配色の仕方、遠近の出し方など一通り教えて行った。彼女はまるで白いカンバスのようであった。幼い子供が、ひとつひとつ言葉を覚えていくように、素直に上達していくのが手に取るように分かるのだった。


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「今日はここまでにしようか」

「はい、先生」

 彼女はひな菊のように小さく微笑んで筆を置いた。カンバスには、花瓶に刺されたガーベラが途中まで描かれている。

「先生のこと、少しお話して下さらない?」

 絵具で汚れた白い指を拭いながら、加奈子はわたしの目を見つめた。

「今日はいつになく積極的だね。何について話そうか」

「先生が小さい頃のこととか知りたいわ」


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 翌日わたしは加奈子の画廊に入った。そこでいきなり目にしたものに驚愕してしまった。

 描かきかけだった加奈子の絵が、何者かによって上から別の色を重ね塗りされていたのだ。それが恐ろしく斬新で、エネルギッシュなタッチで塗られていたのでもはや原型を留めていなかった。しかしよく観ると、そのタッチには独創性があり、これはこれでひとつの作品として成立していたのも事実である。

 そこへ加奈子が入ってきた。

「きゃ!だれがこんなことを」

 加奈子は小さな手で口をふさぎ叫び声をあげた。そしてその場で気を失ってしまうのであった。

「加奈子さん!加奈子さん!」


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「この家には、誰かまだいらっしゃるのですか?」

 加奈子をベッドで休ませたあと、応接室でぼくは加奈子の両親と一息ついていた。

「東城君。きみには黙っていようと思っていたのだが、こうなっては仕方がない」

 ロマンスグレーに口ひげをたくわえた主人が、妻と目くばせをする。

「加奈子には双子の姉がいるのだ」

「え、そうだったのですか?」

さえ子というのだが、少し性格に難があってな」

「そうなの。まったく加奈子と真逆っていうのかしら」

 上品な母親が目を伏せる。

「普段は部屋に閉じこもっておってな、めったに出てこないのだよ。いわゆる」

「引きこもり・・・・・・ですか」

「そう思っていただいて結構だ。だが、気にせんでいい。東城君は加奈子のことを観ていてくださればそれでいいのだ。引っ込み思案だった加奈子が最近明るくなってくれた。なあ」

 夫人はこくりと頷うなずいた。


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 それからしばらくは何事もなく時間が過ぎていった。

 ただ変わったことといったら、ぼくと加奈子の間に、確実に小さな愛が芽生えはじめていたことぐらいである。


 その日、いつものように加奈子の画廊に向かうと、向かいの扉がいきなり開き、女性が顔をつき出した。髪は巻き毛で、目つきは鋭く、派手な紫のワンピースを着ている。さすがのぼくも驚いた。その顔は間違いなく加奈子にそっくりなのである。これが冴子さんなのか。

「ねえ、あんた。加奈子にこれ以上近づかないでくれる。あいつは薄いガラスみたいに傷つきやすいんだ」

「え、急にそんなこと言われても」

「何かあってからじゃ、遅いんだよ。わかったな!」

 そういうと音を立ててドアがしまってしまった。

「あの、冴子さん。ちょっとぼくの話も・・・・・・」

 ドアを叩いても反応を得ることができなかった。呆然ぼうぜんとした面持ちで、その日の授業は終わった。


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 ぼくは加奈子の腕を引いて、豪邸を後にした。駆け落ちだった。ぼくたち二人は、すでに離れ離れになることなど考えられなくなっていたのだ。

 ぼくと、加奈子の関係が両親に知れ、アルバイトの職を解雇されることになってしまった。ぼくたちは、両親に一緒にさせて欲しいと談判したのだが、ぼくが貧乏学生だからという理由で一蹴されてしまったのだ。

 横殴りの雨が、ふたりの行方を遮るように降り注ぐ。すぐに追手が現れた。警察に通報されたらしい。ぼくたちはとうとう断崖絶壁まで追い詰められた。

「いいのかい?」

 加奈子はしっかりと頷いた。ぼくは自分の左手に縛った頑丈な紐を、加奈子の右手に括りつけた。

「あたしたち、死んでも一緒よね」

「そうだよ。愛してる」

「愛してるわ」

「じゃいくよ」

 ぼくたちは、荒れ狂う波の彼方に身を投げ出した。


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「・・・・・・で、君だけが助かったというわけだ」

 ぼくは気がつくと病院のベッドに寝かされていた。

 目が覚めると、刑事がぼくの枕元のパイプ椅子に座っていた。

「加奈子は、加奈子はどうなったんですか!?」

「ああ、どうなんだろうね。こういう場合。死んだ・・・・・・のか?」

「どういう意味です!」

「君を助けたのは誰だと思う。冴子だよ。彼女も君に惚れてたんだなあ。ただし、彼女は“心因性二重人格者”でな。時には加奈子にもなっていたんだってよ」

「・・・・・・双子じゃなかったのか」

「だから、加奈子は死んだんだけど、冴子は生きているってわけだ。あんたこの先どうするね」

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