「ね、いいだろ?」
ぼくは
「お客さま。パスポートはお持ちですか?」
「パスポート?」
「そ、婚姻届」
「あ、今日は忙しくて役所へ行けなかったんだけれど・・・・・・」
「それでは、またのお来しをお待ちしております」
「つれないなぁ」ぼくは律子の肩からら手を下ろした。
ぼくの彼女は入国管理官をやっている。そしてぼくは、彼女の勤務する空港の入国警備官として働いているのだ。
律子の勤務が早朝の時には、前日空港から近いぼくのマンションに泊まりにくることがよくある。ぼくらはつき合いだして3年目になるが、律子は身持ちが堅くてキスまでしか許してくれないのだ。
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その日は朝から入国ラッシュであった。
彼女はもともと笑顔の可愛い女性なのだが、入国審査のときには務めて無表情を貫き通す。入国管理官というのは毅然とした態度が大切なのだと彼女は言う。入国管理官は、海外からの犯罪者やテロリストの入国を水際で阻止する役目を担う重要な仕事なのである。
テキパキと入国処理をしていた律子が、ハタと手を停めた。何か違和感を感じたのだ。なんだろうこの感じ・・・・・・。律子の前にはプロレスラーのような大男の外国人がそっぽを向いて立っている。指紋認証と顔認証は問題なし。でも・・・・・・パスポートの持った感じがほんの少し違うような気がした。
偽造パスポート?顕微鏡検査が必要かもしれない。律子は事務的に屈強な外国人に別室に案内することを告げた。
その時、透明な防護壁の隙間から男の太い丸太のような腕が伸びてきて、律子の首を捉とらえていた。
飛行機に搭乗してきたのだから、凶器は持っていないはず。でもこのトラクターのタイヤのような二の腕が首に巻き付いたときには、一瞬息が詰まる思いだった。
背後に回った男はささやいた。「静かにしろ。さもないとあんたの首が鉛筆みたいにへし折れることになるぞ」
そのとき異変に気づいたぼくは、音もなく律子たちの背後に近づいた。そして、暴漢者の手首を左手でつかむと、右手で男の指をねじり上げた。男が悲鳴を上げる隙も与えず、ぼくはその場で大男を床に組み伏せた。
「痛てて、お前は誰だ!」
「通りすがりのフィアンセですが」
律子は今まで見せたことのない笑顔を作って、凍りついた順番待ちのお客さまに声を掛けた。
「失礼いたしました。それでは入国審査を再開いたします」
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「はい、これ」ぼくは律子にパスポートを渡した。「あとは入国許可証がいつ手に入るかなんだけど・・・・・・」
律子はぼくの首に手を回して微笑んだ。
「たった今よ。ご搭乗お待ちしておりました」