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ホームラン

「ストライク!バッターアウト!」

 審判が両手を高々と上げて試合終了を告げた。スタジアムに歓声と落胆のため息が漏れる。

「どうしたんでしょう。八木選手」

 アナウンサーが訝しげに解説者を見る。

「九月に入ってからというもの、ヒットが一本も出ていませんよ」

「そうですねえ。長いペナントレースですから、スランプは誰にだってありますよ」と解説者は答えた。「故障さえしていなければ、そのうちまたホームランを量産してくれることでしょう」

「八木選手には今後の試合で奮起してもらいたいものです。それでは他球場の試合の結果を・・・・・・」


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 “拝啓 八木 忠 様 

 突然のメールにて失礼させていただきます。

 ご迷惑でなければ、ご一読していただけますと助かります。

 わたしは都内に住むOLで、南条可南子と申します。

 実はわたしの弟の昌之は幼い頃から難病を患っておりまして、現在都立病院で闘病中です。

 日に日に衰えて行く弟の病状を懸念しておりましたところ、先日弟がテレビであなたのホームランを打つ姿を拝見し、少しずつですが、元気を取り戻してきております。

 シーズン中ということで、ご無理かとは存じますが、もし可能であれば、一度弟を勇気づけて頂くことはできませんでしょうか。

 このメールへの返信でも構いません。何卒よろしくお願い申し上げます。

   敬具”


 八木忠がこのメールを受信したのは、8月下旬のことであった。


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 病室のドアが開いた。そこにプロ野球選手の八木がひょっこりと顔を出したではないか。

「ええ!ウソ」

 昌之は目を丸くして驚いた。ドアに背を向けて座っていた可南子も振り向いて、思わず席を立っていた。

「あ、ごめん。そのまま、そのまま」

 八木は笑顔で病室に入って来た。

「あの・・・・・・そんな。本当に来てくださったんですか」

 可南子は驚きのあまり目に涙をためていた。

「もちろんです」

 八木は可南子に一礼した。廊下に野次馬が集まり始めていた。

「昌之くん。どう、元気?元気なわけないか。寝てんだから」

 そう言って八木は白い歯を見せて笑った。

「ぼく元気です。握手してください」

 昌之が差し出した細い腕は、点滴に繋がれていた。八木は優しく昌之の手を握った。

「これ、きみへのプレゼント」

 そう言うと、大きな手提げ袋を昌之の枕元に置いた。中にはバットとグローブ、それにサイン入りのボールが入っていた。

「わあ。すごいや。八木選手のサイン入りだ!」

「良くなったらぼくとキャッチボールしようぜ」

「うん。絶対良くなるよ」

「よし約束だ」

「八木選手。ぼくからもひとつお願いしていい?」

「いいとも」

「今日の試合でぼくのためにホームランを打ってくれる?」

 八木が可南子に視線を移して頷いた。

「いいとも」


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 その夜、八木は豪快なホームランをライトスタンド上段に叩き込んだ。

 可南子からメールが来たのはその夜遅くだった。


 “八木様

 今夜は本当にありがとうございました。

 昌之は興奮して涙を流して喜んでいました。

 でもその後、容態が急変し昌之は息を引き取りました。

 せっかく勇気づけていただいたのに。

 でも最後に昌之は、あなたとキャッチボールをする夢を見ていたんだと思います。

 笑顔で旅立ちました。

 この度は本当にありがとうございました。

 これからも益々のご活躍を、陰ながらお祈りさせていただきます。

  南条可南子”


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 “南条 様

 いかがお過ごしのことでしょうか。

 昌之くんのことお悔やみ申し上げます。

 通夜および葬儀に参列できなかったこと、誠に申し訳ございませんでした。

 本日東京に戻って参りますので、お線香をあげさせていただきたく、少しでもお時間を頂ければ幸いです。

  八木”


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「今日もこれから試合ですか」と可南子が訊く。

 仏壇に掌を合わせていた八木が振り向いた。

「はい」

「ひとつお伺いしてもよろしいですか」

「どうぞ」

「あの日、昌之のためにホームランを打ってくださいましたよね」

「ええ。まぐれですけど・・・・・・ぼくなりに頑張りました」

 八木は小さく笑った。

「あれからスランプになったと伺いました。昌之のせいでスランプになってしまわれたのでしたら、なんとお詫びしたらいいのかと」

 可南子は訴えるような瞳を八木に向けた。

「違います。それは全然違います」

「申し訳ありませんでした」

「本当に違うんです・・・・・・。これで、もうあなたに会えないのかと思ったら、急に・・・・・・その」

「え」

「一目惚れって本当にあるんだなって、生まれて初めて知りました」

 可南子の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「そんなつもりじゃ・・・・・・」八木が慌てて言うと、可南子が八木の手を握った。

「違うんです。嬉しいんです。わたしも同じ気持ちだったから・・・・・・」

「それじゃあ」

「八木さん。今夜はわたしのためにホームランを打って下さいませんか」


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「どうしたのでしょう。今日の八木選手。3打席連続の特大アーチですよ」

 アナウンサーが興奮して言った。

「だから言ったでしょう。そのうちホームランを量産してくれるって。彼はもう誰にも止められませんよ!」と解説者が声高らかに叫んだ。


 1打席目は亡くなった昌之くんのために。2打席目は愛する可南子のために。最後は自分と可南子の将来に向けての祝砲なのであった。

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