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恋の電話は110番

 田口巡査がN交番に配属になったのは、まだ年が明けたばかりの早朝であった。

 配属先の三田巡査部長(上司)と佐野巡査に挨拶を済ませた後、デスクに座り管轄地域図を頭にいれているときである。交番の電話がうずくような音で鳴り出した。ディスプレイには『水縞みずしま』の表示。

 巡査部長と佐野巡査は一瞬顔を見合わせ、その視線を戦車の主砲のように田口に向けた。“電話に出ろ”ということらしい。新米であるから仕方がない。

「はいN交番」

「あたしよ」

 若い女性の声である。

「ええと・・・・・・水縞さんですか」

「そうよ」

 交番に“あたしよ”で掛けてくる人も珍しい。

「どうなさいました」

「家に侵入者がいるみたいなんだけど。すぐ来てくれないかしら」

「了解しました。ご住所は」

「知ってるでしょ。大至急ね」

 そこで電話は一方的に切れた。三田部長と佐野はやれやれといった顔をしている。

「田口巡査、それじゃ一緒に行こうか」

 佐野が重い腰を上げる。

「誰なんです。水縞さんて」

「常連のお得意さんだよ」

 佐野はにっこりと笑った。

 どうやら彼女は交番通報の常習者らしい。彼女は閑静な住宅街のアパートの2階に住んでいた。ぼくらは警邏けいら自転車を停めて階段を上がっていった。

 おばさんなのかと思っていたが、水縞さんは結構若かった。目を見開いたところなどは、なかなかの美人だ。それにしても、アパートの一室に侵入者とは確かに一大事である。

「侵入者はどちらですか」

「奥の部屋よ。すばしっこいから気を付けて」

「すばしっこい?」

 私たちが部屋に入ると、壁に一匹のゴキブリを発見したのである。


 その後田口は、2日と空けずに招集のかかる水縞美音子の担当にさせられてしまった。新米だから仕方がないか。狂言とわかってはいても、警察としては通報があれば駆けつけないわけにはいかないのだ。暇な時ならまだいいが、事件が立った日などは大迷惑もいいところである。

 しかし、そこは若さゆえであろうか。何度も顔を合わせるうちに、いつしか彼女からの電話を心待ちにしている自分に田口は気がつかなかったのだ。


 そんなある日のこと、水縞美音子からの通報がパタリと途絶えて来なくなった。通報が来たらそれはそれで煩わしいのだが、来なくなるとこれはこれで心配になる。

 とうとう田口は非番の日に彼女のアパートを訪ねてみることにした。すると彼女の部屋はドアが開いており、家財道具もなく、完全な空き部屋になっていた。

「かわいそうにねぇ」

 後ろから初老の女性が話しかけてきた。

「あの・・・・・・水縞さんは引っ越されたのですか」

「はあ?何言ってんのさ。あの娘は半年前に亭主のDVで亡くなったんだよ。必死に警察に電話かけようとはしていたみたいなんだけどね」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「あんた、これでよかったのかね。警察からかってさ。ほんと質たちの悪い女だね」

「いいのよ、あの田口って巡査、最初にここに来たときはビックリしたわ。学生時代にこともあろうに、このわたしのこと振ったのよ。ちょっとはらしめてやらなくっちゃ」


 その後、町をうろついていた水縞美音子は、田口巡査に公務執行妨害の現行犯で確保された。

 名前も“田口美音子”となり、永久禁固刑に処されることになったというのは後日の話である。

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