その秋、わたしは彼と別れる決心をした。
もとはと言えば、彼の気を引くため、わたしが彼の前でハンカチを落としたのがきっかけだった。
「お嬢さん。ハンカチを落とされましたよ」
そう言うと、彼は白い歯をみせて、わたしにハンカチを差し出したのだ。
「ありがとうございます」
わたしは伏し目がちに彼の目をのぞき込み、ハンカチと一緒にそっと彼の指に触れた。
彼は一瞬電気が走ったかのような顔をしたが、実際に静電気を帯びたわたしの指が触れた瞬間、フライパンで熱せられた豆がはぜたかのような音がして火花が散ったのだった。
“バチ!”
驚いたわたしと彼は目を合わせておもわず吹き出してしまった。
それから数年間おつき合いを重ねた。
でもいつも忙せわしない彼にとっては、わたしは二の次、仕事こそが最優先だった。デートをすっぽかされるのはざら。デートの途中でも仕事に狩り出されればひとり置いてけぼり。わたしから電話をかけても繋がらないし、彼からかかってくることもなかった。このままでは、わたしの神経がどうにかなってしまう。
その日、わたしはとうとう彼と別れる決心をしたのだ。わたしは考えた。ハンカチが出会いの始発駅なら、終着駅もまたハンカチ。綺麗に別れよう。
中国に『
だから次回の彼の誕生日に白いハンカチを送ることにしたのだ。
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その日わたしは彼のために、フランス料理の店を予約した。最後の晩餐のつもりだ。
「悪い悪い」屈託くったくのない笑顔で彼が店に入ってきた。「ごめんよ。仕事が長引いちゃってさ」
「いいのよ」
わたしも微笑んで彼を見つめた。
最初にシャンパンで乾杯をして、コースでたのんだ料理が順番に運ばれてきた。
「相変わらず忙しいのね」
「うんそうなんだ。いまの仕事がようやく片付きそうだから、そうしたらおれたちの将来のことも考えようかと思ってるんだ」
「そのことだけど・・・・・・」
そのとき彼の携帯電話が鳴り出した。
「ごめん」席を立って会話をしていた彼は席に戻るなり言った。「悪い。また仕事が入った。話は今度ゆっくり聞くよ」
「あの・・・これ」
わたしは食事の最後に渡そうと思っていたプレゼントを、ハンドバッグから取り出した。
「なに、誕生日のプレゼント?」
彼は封筒状の包み紙を解いた。
「あ!」
「そういうことなの・・・・・・」
「助かるう」
「え?」
「さすが。気が利くね」
「なんで」
「いや、大きな声じゃ言えないけど」彼は周囲に目を走らせた。
「さっき腐乱死体が見つかったんだって。ハンカチ持ってなくてさ、どうしようかと思ってたところだよ。あの臭いは強烈でね。ハンカチは刑事の必需品。きみは絶対いい女房になるよ」