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「奈々子。芥川龍之介の『鼻』って小説知ってる?」

 親友の由香利が訊いてきた。

「読んだことはある。鼻が大きくて皆からからかわれたのを、和尚さんが気の毒に思って小さくしてくれたって話だよね」

「そうそう。そしたら今までよりもっと陰湿な虐いじめにあったっていう可哀想な話。でもさ、奈々子ななこの場合逆だよね」

「どういうこと?」

「だって、奈々子の鼻めちゃくちゃ低いもんね」

「あ、傷ついた。そういうのモラハラっていうんだよ」

「ごめんごめん。わたし親友だから言うんだけどさ、奈々子はもう少し鼻が高かったら完璧な美人さんなんだけどな」

 まあ、たしかに由香利の言うことは一理ある。

 つぶらな瞳、形のいいおでこに眉、小ぶりでぷっくらとした唇、色白で卵型の顔、艶やかな髪。ただ鼻が低いので、奈々子は地味な平面顔に見えてしまうという自覚があった。

 普段はハイライトとシェーディングを駆使して、無理やり鼻筋を作る。いちど彼氏の壮太に「トリック・アートか!」と呆れられたことがある。


「その鼻がもう少し高くなったら、壮太くん、もっと奈々子のこと好きになるんじゃないかな」

「余計なお世話だ」

「わたしのお姉さん、美容整形やってるんだ。紹介してあげるよ。騙されたと思って一度相談してみれば」

「ぜったいやだ」

「そんなこと言わないでさあ。お願い」

 由香利が手を合わせる。

「どうせお姉さんに頼まれたんでしょ。紹介料いくらもらえるのよ」

「うん・・・・・・そんなのもらってないって」

「うそ」

「・・・・・・2千円」

「ほんとは?」

「3千円」

「山分けなら行ってもいい」

「わかった。それで手を打つ。じつは今月ピンチなんだ」


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 週末。

 親友に売られたわたしは、お姉さんの勤める美容整形の門をくぐっていた。親友と似ても似つかぬ優しそうな彼女の姉、美里が迎え入れてくれた。

「奈々子ちゃんね。由香利から聞いてるわよ。ちょっとお顔をみせて」

 美里はわたしを椅子に座らせると、めずらしい花瓶でもめでるかのように、顔の向きを前後左右に向けて観察しはじめた。

「ううん。なるほど・・・・・・鼻って大切なのよね」と女医はひとり言のように言った。

「奈々子ちゃん。鼻が他人ひとにどんな印象を与えるか教えてあげようか」と美里はわたしの目をのぞきこんだ。

「はい・・・・・・よろしくお願いします」

 美里は長い脚を組んで説明しはじめた。

「まず大きい鼻を持ってるひとは自己主張が強く見えるものなの」

「根性があるってことですか?」

「そうね。女性だったら、凛々しくて自立したキャリアウーマンって感じかな」

「お姉さんみたいな人ですかね」

「そうかも。で、次に長い鼻のひとは実際よりも年上に見えるひとが多いわね。逆に小さくて短い鼻のひとは若く見える傾向がある」

「わたしはどちらかと言えば短い方だと思います」

「それからワシ鼻のひと。漫画の魔女みたいな鼻ね。これはちょっと意地悪そうにみえちゃうかも。でも若い頃は美人にみられるから得かもね」

「なんか女優さんにいそう。あとクラスの男子に団子鼻のひとがいるのですけど、どうですか」

「奈々子ちゃんも気がついていると思うけど、団子鼻のひとはひとに親しみを感じさせやすいの。でも知的には見えないのが玉に傷ってとこね」

「そうですか。彼は将来お笑いタレントになりたいって言ってたからちょうどいいのかもしれません」

「もっと向いているのはブタ鼻のひとね。ひとにコミカルな印象を与えることができるから・・・・・・さてと、それで低い鼻のことなんだけど」


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 月曜日、わたしはマスクをして学校に行った。最近のマスクは立体型が多い。今までのわたしだったら隙間ができてかえってフィットしなかったのだが、今日は違っていた。

「おはよう」

 さっそく由香利がわたしをみつけて声を掛けて来た。

「どうした。風邪でも引いた?」

「ちがう」

「美里。姉さんに会ってくれたんでしょ。どうだったの」

「うん、まあ、こんな感じ」

 わたしはマスクを外してみせた。

「え、なに。すごい美人さんじゃん!」と由香利が大きな声をあげた。

「えっなになに」その声を聞きつけたクラスメイトが、わたしの周りに集まりだした。

 わたしの顔の中央には、すっきりとした鼻が出来上がっていた。

「ほんとう。アイドル歌手か女優さんみたい」

 その日からわたしの生活が一変した。

 教室の男子や男性教諭がわたしに優しくなった。下駄箱にラブレターが入っていることもある。街で歩いているとチラチラと男性が振りかえる。ある時には声を掛けられることさえあった。

 ただ、それに比べて周囲の女子たちがよそよそしくなったような気がする。でも一番変わったのはボーイフレンドの壮太だ。デートしていても、なんとなく不機嫌そうに見えるのだ。

「ねえ、わたし壮太くんを怒らせるようなこと何かしたかな?」

「え、なんで」

「なんか一緒にいてもつまらなそうなんだもん」

「そんなことないよ。たださ・・・・・・」

「ただなによ」

「おれ、前の奈々子の顔の方が好きだったんだ」

「どうして?」

「整いすぎてるっていうのかな。一緒にいてもなんか落ち着かないんだよ」


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「いい、奈々子ちゃん。低い鼻のひとは顔が平面的で地味に見えるの。でもね、そのほかの顔のパーツによっては、全体のバランスが良くみえることだってあるのよ」

「そうなんですか」

「そうよ。奈々子ちゃんは今のままの方がいいっていう人が絶対いるはずよ。どこにも隙がない女性より、それは奈々子ちゃんの個性になるはず。ちょっと試してみようか」


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「ふうん。わかった。じゃあこれでどう」

 わたしは付け鼻をもいだ。

「うわ!なんだそれ、作りものだったの?」

「うんそうだよ。騙してごめんね。でも嬉しかった」

「なにが」

「こんなわたしで良かったら・・・・・・」

「え?」

「末永くおつき合いお願いします」わたしは壮太に抱きついた。「鼻が低いってことは、キスだってしやすいんだぞ」

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