高らかにファンファーレが鳴り響き、会場が静寂につつまれた。いよいよショーも大詰めだ。2本のサーチライトが光の柱を作り出し、演者をとらえようと闇の彼方を彷徨さまよいはじめる。小太鼓が否応なしに臨場感を高める。息をひそめる観客。
光の中に2本のロープが音もなく大きな振り子のように弧を描いて近づいて来る。
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「今日からこの小学校に転校してきました
マリリンはくっきりとした顔立ちをした女の子だった。明らかにぼくらよりも大人びて見えた。均整の取れた身体にすらりと伸びた手足。後ろに束ねた長い髪。薄い唇に切れ長の目。
「たしか
「よろしくね」
椅子に座るとき、マリリンは小さな声でぼくにウインクした。その瞬間、ぼくは恋に落ちてしまった。
休み時間になると、クラスメイトからマリリンは質問攻めにあっていた。
彼女は今月からこの街で興行されるサーカス団で生まれ育ったというのだ。サーカス団は街から街へ渡り歩く商売だから、この学校に通えるのは長くても3ヶ月なのだという。小学校に通うのは義務教育で出席日数が必要だからのようだ。
「へえ、3ヶ月でまた転校しちゃうんだ」
ぼくは驚いてマリリンの顔を見た。マリリンはぼくに少し大人びた瞳を向けた。
「そうよ。だから日本中にお友達がいるの」
その声は少し寂しそうに聞こえた。
「マリリンもサーカスに出演とかするの?」
「うん。いまはまだ簡単な役。マジックショーで箱に入れられて短剣を刺されるの」
「まじ。見に行ってもいい?」
「もちろんよ。啓介くん、舞台裏に来て声をかけてくれたらおいしいお菓子をごちそうするわ」
「やったあ!」
ぼくはおもわずガッツポーズを作っていた。
サーカスにはだいたい100人近くの人間が共同生活をしている。だから全員が家族みたいなものだそうだ。なにかあれば、必ず誰かが助けてくれる。
「やあ、マリリンのお友達だって」
マリリンとテントの外で立ち話をしているだけで、5、6人の団員から気さくに声をかけられる。マリリンをはじめここでの居住空間は狭いコンテナハウスなので、広々とした外でお茶をすることにしたのだ。
ここはまるで野生の王国のようだった。コンテナを出ると、目の前にキリンが首をのばしてぼくらを見ていた。遠くで響くライオンの鳴き声にびびる。目の前を象が横切る。
「わ、すごい。象だね」
「ここでは“象さん”て言うのよ。ライオンやキリンはそのままなんだけど」
「え、象だけさん付け。なんで」
「わかんない。ゾウさんていう唄があるからなのか、インドの神様だからなのかもしれない」
「ふうん」
ぼくはその日、サーカスを満喫して帰った。ぼくが特に感動したのはサーカスの花形、空中ブランコだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。サーカス団は次の興行場所に移動するのだ。せっかく仲良しになったマリリンともお別れをしなければならない。
「マリリン。手紙ってどうしたら届くのかな」
「お手紙?」
「だってサーカス団て住所が決まっていないんだよね」
「県と市とサーカスの名前で送れば届くんじゃないかしら・・・・・・」
「絶対書くから。それでぼく、いつかマリリンのサーカス団に入りたいと思う」
「うん、待ってる」
ぼくはマリリンと握手がしたくて手を出した。すると彼女はその手を払いのけて、ぼくのほっぺにキスをした。甘い香りがした。
「さよなら」
マリリンは長い髪をなびかせて走り去ってしまった。
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「あんたが、啓介くん。手紙を書いたって?」
バーのマダムのような派手な化粧をした女だった。
「はい。小学生の時に同じクラスになった佐江島啓介といいます」
「ふん。マリリン目当てでサーカスに入団しようってんだね」
「そ、そんな・・・・・・」
「残念だけどね、マリリンはもうあの頃のマリリンじゃないんだよ。可哀想にね・・・・・・あんた、空中ブランコの練習見てただろ」
「ええ」
「塩がお供えしてなかったかい」
「まさかマリリンが・・・・・・」
「やめておきな。女目当てでサーカスに入ろうなんて、続くわけないよ」
「いえ、ぼくは純粋にサーカスで空中ブランコをやりたいんです。中学高校と体操部で頑張ってきたのもそのためなんです!」
「マリリンが居なくてもいいのかい」
「はい。それでも結構です」
女は喉の奥で笑って奥の扉に向かって言った。
「だってさ。どうする?」
扉が開いて、マリリンが現れた。大人になったマリリンはさらに美しい女性に成長していた。
「啓介くん。ほんとうに来てくれたのね。わたし冗談かと思っていたのよ」
笑顔のマリリンの瞳から涙がこぼれた。
「来る者は拒まず、去る者は追わずというのがサーカスの世界なんだ」女がたばこに火を点けながら言った。「マリリンは卒業する度に別れを経験しなければならなかった。そして転校と同時に、心をすっかり入れ替える。だからあんたからの手紙は迷惑だったんだよ」
「それで返事をくれなかったのか」
女は近くの戸棚の引き出しから手紙の束を取り出した。
「返事は書いたさ。ただ、あたしが投函しなかっただけなんだよ。マリリンがもっと悲しくなるのが分かっていたからね」
「そうだったんだ・・・・・・」
女はマリリンの手紙の束をぼくに押しつけて、コンテナハウスから出て行ってしまった。
次の瞬間、マリリンがぼくに抱きついた。
「二度と離さないで」
ぼくと彼女は口づけを交わした。あのときと同じ甘い香りがした。
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光の中に2本のロープが音もなく大きな振り子のように弧を描いて近づいて来る。
ぼくはその棒状のブランコを受け取ると、踏み台を大きく蹴った。そしてブランコに両膝を掛け、逆さまになって大きく腕を広げた。
もうひとつの暗闇から目隠しをしたマリリンがブランコを両手でつかむと勢いよくぼくに向かって旋回を始めた。
「さあおいで!」と、ぼくは叫んだ。
マリリンは跳んだ。ぼくはマリリンの両腕をしっかりと受け止める。
「死んでも離すもんか!」
「絶対だよ!」