江戸時代、飢饉や疫病の流行で大勢の人たちが命を落とした。その慰霊や悪霊退散の願いを込めて、隅田川で花火が打ち上げられた。それが、花火大会のはじまりである。
「メチャ混みじゃん」
浴衣姿で団扇をあおぎながら夕子が言う。
「もう少し早く出ればよかったな」陽平は浴衣の袖で汗を拭う。
花火大会を楽しむために、久しぶりに高校時代の仲間が集まったのだ。押し合いへし合いの雑踏の中で、五人は人混みに身をまかせていた。
「おい、みんなはぐれるなよ」泰介が言う。
「この状況だと見つけ出すのは至難の業だぞ」
どこか遠くで緊急車両のサイレンが鳴っている。
「お財布も気をつけてよ。スリとかいるかもしれないし」弥生が小さな身体をよじりながら言う。
その時最初の花火が打ち上がり、夜空に大輪の花が咲いた。
「おお!」と人々のどよめきが起きる。
心なしか人の流れが、速くなったような気がした。人波が花火につられて動き始めたのである。
ぼくは仲間について行こうと思っていたが、人間の重圧に押されてついに離されてしまった。
「祐輔くん、こっち」
その時、人混みの隙間からぼくの手を引く白い腕が見えた。
「え?」
織江がぼくを群衆から引き出してくれたのだ。ぼくの指は、彼女のしっとりとして柔らかな掌の感触を感じ取っていた。
「ありがとう。助かったよ」
「ひとまずここを抜けましょう」
織江とぼくは横道にそれた。
「ひどいものね」
「うん。これじゃあ、警備員が何人いてもどうにもならない」
ぼくは陽平の携帯に電話を入れてみた。
「・・・・・・だめだ。全然つながらないや」
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「おい祐輔はどうした」陽平が言う。
「はぐれたみたいよ」夕子が周囲を見まわしている。
「しょうがねえなあ。祐輔のやつ、少しは元気出たかな。ま、そのうちここに現れるだろう」と泰介が言う。
「でも陽平。なにが穴場よ。ここ凄い人だかりじゃない」弥生が言う。
「穴場だとネットで配信されたときには、もうすでに穴場じゃねえんだよ」泰介がそしる。
「悪い」陽平が頭をかいた。
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ぼくと織江は花火から離れた対岸に移動していた。織江は下駄の鼻緒がきつくて、足の指が擦れてしまったようだ。
「ごめん。馴れないもの履くものじゃないわね」
河原にぼくらは並んで腰かけた。こんなこともあろうかと、携帯用のビニールシートを用意していたのだ。ぼくは財布から絆創膏を取り出して、彼女のほっそりとした足の親指に巻いてあげた。
「祐輔くんありがとう。気が利くね」
「そんなことないよ」
遠い夜空に、花火が鮮やかな色を残して次々と上がっては消えて行く。
「あのさ、さっき言いそびれちゃったんだけど、織江の浴衣姿とっても似合ってる」
「そう、ありがとう。よかった、祐輔くんにほめてもらって」
織江の白い頬がほんのり赤く染まった。
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「ねえ、トイレめちゃ混んでるんですけど。20分待ちだって」
夕子が陽平に文句を言う。
「まじか。そりゃあ、花火どころじゃねえな。とりあえずトイレに並びながら花火を見たら」
「なんか、ぜ~んぜんロマンチックじゃない」と弥生がふくれた。
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「みんな心配してるかな」織江が花火をみあげながら言う。
「あいつらはそれなりに楽しんでるさ」
ぼくは織江の横顔をみつめる。そしていつしかぼくと織江は手を重ね合っていた。織江の頭がぼくの肩に乗る。甘い香りがした。
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「もう終わりかも・・・・・・」夕子がみんなを見る。
「よし、混み合う前に撤収しようぜ」陽平がみんなを促す。
「そうするか」泰介と弥生も腰を上げた。
帰路についたとたん、フィナーレの花火が上がり出した。
「げ。フェイントかよ!」陽平が叫んだ。
全員唖然として振り返る。花火が人の頭の上に、ようやく半分見えた。
「クソ!やられた」
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花火はフィナーレを迎えていた。ぼくは織江の横顔しか見ていなかった。
「どうしたの?花火終わっちゃうよ」
織江が花火を見ながらつぶやいた。
「いいんだ。本物よりも織江の瞳の中の花火の方が綺麗だもの」
「ばかね」
織江の透き通るような白い肌を花火が青や黄色に染めている。ぼくはいつまでも織江を眺めていたかった。
「今日はありがとう」と織江が言った。
「こちらこそ・・・・・・」
ふいに織江がぼくの唇を奪った。ぼくの言葉をかき消すように。
(・・・・・・出てきてくれてありがとう)
織江は消えてしまった。
今年の春、彼女は病気で亡くなっていたから。