「樹里、あのさあ・・・・・・」
健司がぼそりとつぶやく。
「なに?」
健司は高校時代の同級生だ。実家をリフォームするときに何年かぶりに偶然出くわしたのだった。彼は大工さんになっていた。学生時代はとくに健司を意識したことはない。
「明日街に買い物に行くとしたらさ。犬と猫とおれだったら誰と行く?」
「はあ。なに言ってんの?」
「だからさあ・・・・・・。明日おれ仕事休みなんだよね・・・・・・」
「ああそう。要するにわたしに買い物につき合って欲しいって言いたいわけ?」
健司はぶすっとして頷く。
「わたしとデートしたいなら、デートしたいって言えばいいじゃん」
「うん・・・・・・まあ・・・・・・」
なんとも煮え切らない男なのである。ただ、大工だけあって、浅黒い顔に引き締まった身体をしている。取り柄はそこだけかもしれないが、他人から見たらいい線いってるように見えなくもない。
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わたし達はつき合いだした。
つき合い出すと、大工というものがいかに特殊な職業なのかが分かってきた。なにしろ仕事は天気に左右される。雨が降ったら休みが続く。そのくせ仕事が集中している時にはほとんど会うこともできない。
そういう時には健司のアパートにわたしが押しかけることになる。
「おかえりなさい」
「あれ、来てたの?」
そう言って健司はわたしの腰に腕を回してくる。
「臭!ちょっと、先にシャワー浴びてきてよ」
「悪い」
仕事から帰ってくると、健司は異常なまでに臭い。汗と体臭だけではない。現場の資材のにおいが身体に染みついてしまうのだ。
仕事が固定していないので、収入も不安定だ。「ちょっと金貸してくれない?」などとせびられることもしょっちゅうだ。
こんな相手といつまでもつき合っていていいものだろうかと考えてしまう。でも健司に唇を奪われ、引き締まった身体に抱きすくめられると、そんなことはどうでもいいような気持ちになってしまうから不思議だ。
翌日は朝からドタバタしていた。現場が遠くにあるという。大工にとって遅刻は厳禁で、30分前到着は当たりまえなのだそうだ。
トーストを口にくわえたまま、現場で動きやすいというダボダボしたニッカポッカというズボンをケンケンしながら履いている。
「それじゃあ。出かけてくるから」
わたしは慌ただしくウインナーぐらいしか入っていない手作り弁当を健司に手渡す。
「ねえ、健司。今日さあ・・・・・・」
「悪い。遅刻する」
そう言い残すと、ボロボロの軽トラックに乗り込むとアクセル全開で走って行ってしまった。
「わたしの誕生日なんだけど・・・・・・」
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健司が言うには、現場で雑な駐車は嫌われるのだそうだ。キッチリ隅に駐車して、一台でも多く業者の車が停められるように配慮するのが礼儀だという。現場ではもちろん土足厳禁だし、自分の大工道具をちらかしたり、作業で発生した木屑などを片付けるのも基本中の基本なのだそうだ。
健司がとくに気をつけているのは、仮設トイレを綺麗に使うことだ。他人が汚したトイレも綺麗にして出てくる。こういうことの積み重ねが事故を未然に防ぐと信じている。それでも大工に怪我はつきものだ。いつもどこかしらを負傷して帰ってくる。
昼休憩になると、各々が昼食をとる。弁当の職人もいれば、近所の食堂で済ませる者もいる。
「あれ、いいなあ健司。今日は彼女に弁当を作ってもらってきたのか」
いつも一緒に食堂に出かける同僚にからかわれる。そんなとき健司は照れくさそうに笑って頭を下げた。
弁当箱を開けると、樹里が朝から格闘して作ったタコのウインナーが嬉しそうに並んでいた。空腹が満たされると、午後の作業まで、体力を回復するために爆睡した。
ほんの一瞬だったが、タコのウインナーが夢に出てきてニヤついてしまった。
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「おかえりなさい」
「ただいま」
「どうしたのその手?」
健司の左手に包帯が巻かれていた。
「ああ、ちょっと擦っただけ」健司は力なくキッチンテーブルに弁当箱を置く。「シャワー浴びて寝るわ」
「・・・・・・」
わたしは急に寂しい気持ちになり、健司の弁当箱を流しに持っていって洗うことにした。弁当箱の蓋を開けるとそこには指輪とメッセージが入っていた。
“お誕生日おめでとう。おれと結婚してください”
わたしはその場で泣き崩れた。