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第45話 禁忌への挑戦④

「困るな、由佳ゆかちゃん。今はイベントの最中だから勝手に舞台に上がらないで欲しいんだけど」


 いつも落ち着いていて、冷静で温和な顕乗けんじょうだったが、今の顕乗は焦りからか、苛立ちが見えた。

 言葉は優しい口調だったが、怒りに満ちていて、これ以上、何か少しでも刺激されると、顕乗は激昂してしまいそうだった。


「顕乗さん、お願いです。イベントを中止してください。神様を見世物にしないでください」


 由佳はできるだけ顕乗を刺激しないよう、努めて静かに訴えかけた。


「それはどうしてかな? 由佳ちゃんも御神体を見てみたいだろ?」


 顕乗のその返答に、由佳は慎重に言葉を選ばなければならないと思った。

 答えを間違うと、顕乗が激昂するか、激昂しないまでも話を断ち切られてしまうと思ったからだ。

 由佳は、まずは顕乗の考えに同調し、顕乗の感情を引き寄せるべきだと思った。

 そこで「はい。正直、御神体がどんなものなのか見てみたいという気持ちはあります」と顕乗に伝えることにした。

 確かに興味本位で御神体がどんなものか見たいという気持ちはあった。

 しかし、それ以上に神聖な御神体を、軽はずみに覗き見してはいけないという畏敬の念もあり、本心で言えば「見たいとは思わない」が一番の考えだったが、敢えてここでは顕乗に同調してみせたのだ。

 由佳のその苦心は功を奏し、顕乗は由佳と言葉を交わす方向に傾いたようだった。


「だよね。だって由佳ちゃんは毎日お参りしているからね。自分が拝んでいる物がどんなものか、そりゃ見たいよね」


 由佳はさらに顕乗の感情を引き寄せるため「はい。やっぱりどうしても気にはなります」と言葉を添えた。


「じゃあ、どうしてなのかな? それならなぜイベント中止するように言うのかな?」


 顕乗との距離を縮められたと思った由佳だったが、やはり本心でないことが仇となり、せっかく手繰り寄せた顕乗の警戒心を逆に強めてしまった。

 由佳はなんとか取り繕おうと思ったが、偽りの言葉では顕乗の不信感をますます増大させると思い、正直に本心を話すことにした。


「すみません、顕乗さん。御神体がどんなものか気になりますし、見たいと思う気持ちもあります。でも、興味本位で覗き見するのはダメだと思ったんです」


 由佳は嘘偽りのない本心を、真摯な姿勢で伝えた。

 その事は功を奏し、顕乗は警戒心が弛み、苛立ちも少し治まったようだった。


 しかし、それでもまだ顕乗は布を取り払い、御神体を見世物にすることをあきらめたわけではなかった。


「僕は御神体を見たんだけど、こんなもの、古いだけのガラクタだったよ。ありがたがるようなものでもなんでもなかったよ。

 一条神社の御神体なんて、よくわからないただの小石だったんだから」


 その暴露に由佳は正直驚いたが、それでも御神体を粗末に扱うべきではないと思った。


「どうして小石が御神体として祀られているのかは確かにわかりません。でも人々は、そんな御神体に手を合わせ、頭を垂れ、願いや祈りを捧げています。人々の思いが確実に寄せられている神様の象徴です。だから粗末に扱わず、敬意を払うべきだと思います」


 真剣に由佳は訴えたが、顕乗は声を上げて大笑いした。


「小石をありがたがってどうするのさ! みんなも御神体がただの小石だとわかったら、拝むのをやめるに違いないさ!」


 顕乗はさも可笑しいといった様子で嘲り笑った。

 その嘲笑に、苗蘇神社びょうそじんじゃ一条神社いちじょうじんじゃの神様は激しく反応し、布の下で体をうねらせた。

 上空には真っ黒な雨雲が垂れ込め、冷たい風が祭り会場に吹き込んできた。


「顕乗さん、やめてください! 神様を怒らせるようなことをしないでください!」


 由佳は懸命に訴えたが、顕乗は聞く耳を持たなかった。


「神様を怒らせたらなんだっていうんだい? 罰があたるとでも? そんなものあたるわけないよ。こんな小石に何ができるっていうのさ」


 そういうと、顕乗は尚も布を引っ張り、御神体を衆目しゅうもくにさらそうとした。

 そんな顕乗を鷲掴わしづかみにしようと、布の隙間から神様の手が伸ばされ、あたりをまさぐった。

 苗蘇神社の神様も腕を伸ばし、鋭い爪を立てて周囲を掻きむしった。

 その手がいよいよ顕乗を探り当てそうになって、由佳は肝を冷やした。


「やめてください、顕乗さん! 神様を怒らせたら大変なことになってしまいます!」


「由佳ちゃん、大変なことってなんだい? いったいどうなってしまうというのさ?」


「顕乗さん、あたりを見てくださいっ。こんなにも暗雲が垂れ込め、凶風が吹いていますっ。神様の怒りが周囲に凶をもたらせてるんです!」


 由佳の訴えを顕乗は笑い飛ばした。


「こんなのはただの夕立の前兆だよ。最近は温暖化の影響でゲリラ豪雨が頻発するからね。神様のせいでもなんでもないさ。ただの自然現象だよ!」


 そういって一蹴する顕乗を憎々しそうに神様の手がまさぐった。


「だめですっ、顕乗さんっ! 本当に神様のばちがあたってしまいますっ!」


 顕乗のすぐ近くまで神様の手が伸び、由佳はいよいよ顕乗が掴まれてしまうのではないかと危ぶんだ。


「神様のばちなんてあたらないよ。そんなものあるわけないんだ」


「あたります! 神様を信じてください!」


 神様が≪視える≫由佳にとって、神様が存在することは疑いようのない事実だが、神様が≪視えない≫顕乗に、その事を理解させるのは難しかった。

 どれだけ言葉で訴えても伝えることはできず、由佳は自分の無力さを感じた。


「むしろばちがあたるというならあててみてもらいたいくらいだよ。そしたら僕も神様の存在を信じられるだろうからね」


 顕乗は皮肉をたっぷり込めた憎たらしい言い方で神様を挑発した。

 苗蘇神社と一条神社の神様はますます暴れられ、自らが布を破り捨てて出現してしまいそうな程だった。


「だめですっ! 顕乗さんっ! 本当に───本当にばちがあたってしまいますっ……!」


 もういつ神様の手が顕乗に届いてもおかしくない所まで迫ってしまい、由佳は悲痛な声で叫び、そして訴えた。


「いいさ。それならばちをあててくれよ。

 さあ! それならばちをあててくれっ!」


 顕乗は空を仰ぎ、黒々とした暗雲から稲光が迸り、自らを貫けるものなら貫いて見ろといった様子で両手を広げた。


 ───しかし、そういった稲光は顕乗を貫いたりはしなかった。


「ほらね。由佳ちゃん、ばちなんてあたらないよ。神様に不敬を働くとばちがあたるなんて、そんなもの、ただの迷信なんだよ」


 顕乗は得意げな笑みを浮かべ勝ち誇ったが、由佳は息をのんだ。

 苗蘇神社、そして一条神社の神様の両手が顕乗の間近まで迫り、今にも顕乗を握りつぶしてしまいそうな状態で、顕乗を取り囲んでいたのだ。


「け、顕乗さんっ……! う、動かないで下さいっ……!

 もう本当に───本当にそれ以上はダメですっ……!」


 由佳は次の瞬間にも顕乗が握りつぶされ、四肢が散り散りになってしまうのではないかと危ぶみ、顔面蒼白となった。


「由佳ちゃん、これ以上はなんだって? これ以上、どうしたらダメだって言うんだい?」


 もし神様が≪視えて≫いたら、発狂してしまいそうな状況だったが、神様が≪視えない≫顕乗は自分に差し迫っている絶体絶命の危機を認識できず、相変わらずふてぶてしい態度のままだった。


「神様がお怒りです……! もう、顕乗さんのすぐ近くにおられるんです……!」


 顕乗は小首を傾げた。


「へぇ? そうなんだ? すぐ近くにいるんだ。

 どこだろう? それなら早くばちをあててみて欲しいんだけど」


 顕乗は周囲を見渡す風を装い、ふてぶてしい態度で挑発した。

 その行為は、由佳にとってはまさに薄氷の上で飛び跳ねているようなもので、由佳はなんとか顕乗をやめさせようとなだめすかした。


「お願いします、顕乗さん。やめてください。本当に───本当にばちがあたってしまいます」


「それなら早くばちをあてて欲しいって言ってるじゃないか。

 ほら。はやくやってみせてよ。

 できるものならね。

 そうさ。ばちをあてることができるなら、やって欲しいくらいさ。

 ほら、どうした? はやくやってみてよ。

 はやくやれよっ。

 できるものならやってみろっ!

 僕にばちをあてられるものなら、罰をあててみろよっ!!!」


 神様の手がさらに迫り、顕乗に肉薄した。

 由佳は両手を口に当てて息を呑み、血の気が退いて顔が土気色になった。

 そしてあまりの恐怖から涙がこぼれた。


「顕乗さん、お願いです……。本当にやめてください……。

 神様はいます。本当にいるんです。敬意を払わないと、本当に───本当に取り返しのつかないことになってしまいます」


 涙ながらに由佳は訴えた。


「由佳ちゃん、いい加減にしてよ。神様なんているわけないじゃないか」


「顕乗さん、います。いるんです。神様はいるんです。どうか、どうかお願いです。信じてください」


「うるさいっ! うるさいよ、由佳ちゃん!

 神様なんているわけがないんだっ!!

 僕は信じない!! 神様なんて信じない!!

 神様なんて絶対にいない!!

 神様なんていてたまるか!!!!!」


 顕乗の叫びは怒りの爆発とともに、悲痛に満ちた絶叫のようでもあった。

 そのあまりの痛切さに、由佳は顕乗に憐れみを覚えた。


「顕乗さん、どうしてですか…? どうしてそんなにも神様をかたくなに拒むんですか…?

 いえ。拒むだけではなく、顕乗さんは神様を恨んでいるようにも見えます。

 単に信じていないだけではなく、神様に対する恨みが───怒りが感じられます」


 そう見抜かれると顕乗は肩をすくめて鼻で笑った。


「由佳ちゃん、この足をみてよ。事故で怪我をして、日常生活はできるようになったけど、僕はバレーができなくなってしまったんだ。

 僕は物心つく前から苗蘇神社にお参りしてたんだよ。

 毎日、毎日───朝夕欠かさず。世界一のバレーボール選手になれますようにって」


 顕乗は事故で怪我をした足をさすった。


「それなのに…! それなのにこの仕打ちさ…!

 こんなにもお参りを続けた僕の願いは無視されたのに、たまにしかお参りに来ないは願い事が叶ったなんてはしゃいでるんだ。

 そんなの我慢できないよ。

 本当に神様がいるなら、こんな仕打ち───こんな仕打ち、理不尽すぎるよ!!」


 顕乗は拳を握って自らの足を打った。

 悔しさの表われからか、何度も何度も自らの足を打った。


「どうして神様は僕のお願いをきいてくれなかったんだろう?

 僕のお願いが足りなかったのかな?

 子供のころから毎日欠かさず、朝夕2回のお参りくらいじゃ足りなかったのかな?

 でもたまにしか参拝にこない人や観光客は願いが叶ったっていってるんだ。

 それはなんでなんだ?」


 顕乗のその問いに、由佳は何も答えられず、顕乗を見守るしかできなかった。


「僕はわかったんだよ、由佳ちゃん。わかったんだ。

 どうしてこんなことになるのか。

 僕の願いは叶わなかったのに、たまにしか参拝にこない人や観光客の願いが叶ったていうのはどうしてなのかわかったのさ。


 それは


 もし神様がいるんなら、こんな仕打ちはないはずさ。

 だから僕は神様はいないと思うことにしたんだ。


 ───いや、ちがう…!


 神様がいないと信じることにしたんだ!!

 そうでもしなければこの状況を受け入れられなくてね!!!」


 顕乗は自虐的に失笑し、自らの境遇を呪った。


「そういえば、この間も神様がいないことが僕の中で証明されたんだよ。

 僕は苗蘇神社である願い事をしたんだ」


「願い事…ですか…? それはどういう願い事なんでしょう?」


 神様がいないことを証明できる願い事とは、どんな内容なのか由佳は気になった。


「僕はこうお願いしたんだ。

 | 《・》

 ってね」


 由佳は目を丸くした。


「そ、そのお願いをしたのは顕乗さんだったんですか…!?

 で、でもなんでそんなお願いを…?

 自分の想いって…ど、どういうことですか…?」


 まさかとは思うが、由佳は顕乗が自分に対して特別な好意を寄せているのかと思った。


「僕は由佳ちゃんが好きだよ。

 ああ、ごめん。好きっていうのは彼女にしたいとかそういうことじゃないよ。

 もちろん由佳ちゃんみたいに可愛い女の子が僕の彼女だったらとても嬉しいけど、由佳ちゃんには狗巻がいるからね。

 君たち二人は本当にお似合いだよ。

 君たちの仲を見ていると、なんだか妹と弟の恋愛を見守る兄のような気持ちになるんだ。

 だからこれからもずっとふたりには仲良くしていて欲しいと思ってるよ。


 それはさておき───


 僕が由佳ちゃんに届いて欲しいと思っている「想い」は、由佳ちゃんが神社のお参りを止めたらいいのに、という想いさ」


「わ、私がお参りを止める…ですか? そ、それはなぜでしょう?」


あわれだからさ」


 顕乗は冷たく言い放った。

 その冷たさは上から見下すような言い方で、由佳は一方的に自分が憐れまれて戸惑うとともに、勝手に憐れまれることに怒りも覚えた。


「わ、私が憐れってどういうことですかっ?」


「神様なんていないのに、毎日毎日お参りをしていることさ。

 ───昔の僕のようにね。

 そんなことしたって、願い事なんて何も叶わないのに。

 由佳ちゃんが、これだけ毎日お参りしているのに、願い事が叶わないと悟った時に、立ち直れないほどの絶望をするんじゃないかと心配でね。

 だから由佳ちゃんがどうかお参りをやめますように、という想いを願ったのさ」


 顕乗は自らの境遇を呪い、同じような絶望を由佳にも味わって欲しくないという純然たる善意からそう想ったようだが、由佳にとっては余計なお世話だった。

 由佳はお参りをする際、ちょっとした願い事をすることはあったが───今日のテストで良い点がとれますように、など───本気で願いを叶えて欲しくて神様にすがるようなことはしていなかった。

 神様にそうした願いや想いを伝えることで、自らを律するためにお参りしているに過ぎなかったのだ。


「顕乗さんがそうだったからといって、私もそうなるとは限りません。

 勝手に自分の境遇を私に重ね、憐れんだり、あまつさえなんとかしてあげたいなんて思い上がりも甚だしいです」


 由佳はそう思ったが、言葉には出さなかった。


 それは顕乗の境遇が、顕乗にそう想わせてしまうほど、不幸な状況だとわかっていたからだった。

 顕乗は自分以上に毎日お参りし、真剣に願い事をしていた。

 その願いが裏切られた絶望は計り知れず、そうした顕乗の境遇を汲まなければならないと思ったのだ。


「でもほら。そのお願いも叶ってないだろ?

 やっぱり神様なんていないんだよ」


 顕乗は力なく笑った。

 それは嘲りではなく、神様がやっぱりいなかったことに対して残念がっているようにも見えた。


「だからこんなもの、後生大事に隠しておく必要なんてないのさ。

 せっかくみんなが興味を持ってくれてるんだ。見世物にでもなんでもして「」として有効利用しないと」


 そういって顕乗はさらに布を引っ張った。

 懸命に布を抑えている式神たちはもう限界で、今にも布を引きはがされてしまいそうだった。


「ごめんね、由佳ちゃん。布が何かにひっかかってとれなかったんだ。

 早く見たいのにお待たせしちゃったね。

 さあ、みてごらん。これが苗蘇神社と一条神社の御神体だよ」


 そういってついに顕乗は布を取り払おうとした───


 ───取り払おうとしたが、顕乗は自分の目の前の光景に驚き、硬直したように手を止めてしまった。

 それはあまりにも意外な光景で、顕乗はぎょっとしてしまったのだ。


 ───顕乗が見た自分の目の前の意外な光景。


 それは由佳がまっすぐに自分を見つめ、大粒の涙をボロボロと流している姿だった。

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