僕は大広間の階段下にある月と星をモチーフにした扉の前に立ち、ドアノブを回す前に一度深呼吸をした。
落ち着くんだ悟。
僕ならできる。
きっとMotherにわかってもらえる。
そして、ゆっくりとドアノブを回して中へと入った。
「え?」
中に入った瞬間、僕の目に飛び込んできたのは美しく舞い散る赤い薔薇の花びらだった。それは、夢の中で見たところと全く同じ場所。一度は風景画として描いてみたいと思っていた場所だった。
薔薇が咲き誇る庭園のガゼボにMotherが優雅に座っている。夢と同じ、茶色のウェーブがかかった長い髪に、中世ヨーロッパ時代で着るようなドレスを纏ってこちらを手招きしている。
僕自身の服もいつの間にか中世ヨーロッパで着ているようなプールボワンとショーツを着ていた。
何も疑問に思うまい。
きっとこれがMotherの魔法なのだ。
Motherは愛しき我が子を呼ぶように、僕を優しく招いてくれた。
「いらっしゃい。悟。審査だと言えども、そんなに緊張しなくていいのよ。さぁ、こちらに座って。お話しましょ?」
「はい。Mother」
僕はキャンパスを大事に持ちながら、ガゼホに向かう。Motherは僕が持っていたキャンパスを見て指を差した。
「それはなぁに? 悟」
「あなたに贈り物をしたくて。これ、僕が描いたんです。喜んでいただけるといいのですが」
僕はキャンパスをMotherに渡すと、彼女はあら!と嬉しそうに微笑んだ。
「これ、私? 私を描いてくれたの? なんて綺麗」
「そうです。喜んでくれるかなと思って。良ければ差し上げます」
「あら本当に?」
Motherはしばらく僕の絵を見てくれた。時折、どういう色が好きなのかとか、どういう描き方が好きなのか尋ねてくれる。僕は少し興奮しながら質問に答えた。
「そうなのね。これをもらえるのはとても嬉しいわ。ありがとう。でもね悟、これは必要ないの」
Motherはそっとキャンパスを僕に返してきた。
「ど、どうして必要ないのですか?」
「悟。あなたの特技は絵を描くことなのね。今回の審査は特技を捧げることなのよ。あなたの特技を奪うの。あなたそれができる? もちろん私はあなたに特技があろうとなかろうと、あなたを愛するわ。問題はあなたが特技を捨てられるかって話なのよ」
そうだ。これは審査だ。
特技を捧げる審査。そのために僕はこの絵を描いてきたんだ。僕はキャンパスの角を触りながら、伏し目がちにMotherに答える。
「僕は絵がすべてです。絵を描く自分こそが高瀬悟だと思えます。特技を無くしてしまえば、自分が自分でなくなってしまうように思えてしまうのです。それでも、Motherは僕を愛するというのですか?」
「そうよ。特技を無くしてもあなたはあなただと私は思っていますから。私はそんなあなたをも愛している。それではダメ? そんなに絵が大事? 特技がないだけで自分が自分でなくなるなんてあるわけないじゃない? あなたはそこに居るというのに。認められればあなたという存在は居続けられるとでも?」
僕はいじっていたキャンパスをぎゅっと握りしめる。Motherはさらに続けた。
「認めてもらえなくてもいいじゃない。そんな承認欲求のために幸福を諦めるというのですか? あなたは絵を描くことが好きなのではない。絵を描いて認められたいだけ。自分がここにいてもいいということを誰かに言ってもらいたいだけなの。でも大丈夫よ悟。あなたに特技がなくても、私は居場所を作ってあげられる」
「僕は……!」
僕は絵を利用して周りから認めてもらいたいのか?
居場所がほしいから?
寂しいから?
誰にも見てもらえないから?
評価されないから?
僕にとっての絵は、そんなものじゃない。
「だ、ダメですか……好きなものに貪欲になっては……さっきも言いましたが、絵は僕のすべてです。何よりも僕は絵があるから生きていけます。生き甲斐なんです。今日はそれをわかってもらいたくてきました」
Motherはその言葉を聞くと、しばらく俯いて悲しそうな表情を浮かべた。
「私よりも、絵を選ぶのね。悟。絵で苦しむことになっても、最悪な結末になっても、絵を選ぶというのですね」
「そうです。Mother」
終わった。
僕はきっと落とされるだろう。
だけど、なぜかスッキリした気持ちになった。
そうだ。
僕の生き甲斐は絵なんだ。
絵さへあれば、僕は幸福なんだ。
例え評価されなくても、笑われても、馬鹿にされても、苦しんでもいい、絵のために泣いてもいい。
絵を嫌いになることなど、見捨てることなど考えられない。
僕はそれでいいんだ。
「すみません、Mother。お時間をとらせてしまって。でも、僕はこれで大事なことを見つけられました。とても感謝しています。ありがとうございました」
僕はMotherにお礼を言って、扉を開く。
「悟。さようなら」
Motherはそう言って手を振った。僕もにこりと微笑み、手を振り返して部屋を後にした。部屋から出た後、僕はどこか誇らしい気持ちになり、少しだけ胸を張った。
これからどんな困難があっても大丈夫。
僕は絵と共に生きていこう。
僕の幸福と愛は絵にあるのだから。