繁崎の車が私のアパートの前に止まり、彼はハンドルに手をかけながら私に尋ねる。
「家には誰かいるのか?」
「母は新しい婚約者のところにいるから、私一人です。たまに帰ってきますけど」
あの人の婚約者がアパートにやってきて挨拶してきて以降、あの人は、ほぼ毎日婚約者のところへ遊びに行っている。三日に一回くらいの頻度でアパートへは帰ってきていた。
「そうか……」
「送ってくださって、ありがとうございました」
ドアを半分ほど開けた時、繁崎が私の名前を呼んだ。
「萩本」
「はい?」
「……俺のところへ来るか?」
私は驚いて目を丸くし、繁崎を見る。彼はふっと唇の端をあげながら、「冗談だ」と呟いた。
私は扉を閉めると、車はゆっくりと前進してから左へ曲がった。私はそれを見続けながら、彼が言った言葉を頭の中で復唱していた。
ふと我に返って家に戻り、制服を脱いでカッターで切られた部分を裁縫する。
縫っている間も、繁崎のことで頭がいっぱいになっていた。
「女たらしなのかしら。一体何を考えてるのよあの教師」
本当に謎が多い男だ。
冷たいと思えば、優しいところもあるし、時に驚くようなことを言ってくる。教師のくせに生徒を口説こうとするなんて、からかってるつもりなのか。
ファンの子にも同じことをしてるのだろうか。私をファンの一人にでもさせようとしているのだろうか。
考えれば考えるほど繁崎への不信感が強くなっていく。
制服を縫い終え、一息ついたところで繁崎について考えるのをやめる。今、人のことを考える余裕はない。今は審査のことを第一に考えなければ。
一時間ほど考えた後でふと、夕飯のことに意識がいく。そこで私はあることに気がついた。
そうだ。
私は料理が得意だ。
小さい頃から自分で料理をしてきたため、どんな料理でも簡単に作ることができる。冷蔵庫の中で余っている材料でも自分が食べたいものをアレンジして作ってきた。
私が特技は料理だったんだ!
自分のことがわかって満足しながら、私は台所で焼きそばを作り始めた。
***
あれから何事もなく時間が過ぎていく。
Motherの審査まで三十分をきっていた。
今日はあの人が帰ってくる予定だ。
あの人は、帰ってくるだろうか。
最後の手料理くらいは食べてもらいたい。
私は時間と手間をかけて、あの人の好きなたらこパスタを用意して待つ。
帰ってこなければパスタは捨てようと思っていたが、タイミングよくあの人が帰ってきた。
「何よこれ」
不快そうな声で私の作ったたらこパスタを指差した。
「たらこパスタ。お義母さん、好きでしょ、食べる?」
「食べてきたから。それに、私があんたの作ったもんを食べるわけないでしょ。毒でも入ってるのかしら」
「毒なんて入ってない。ねぇ、せっかく作ったんだから」
私の最後の手料理。
たらこパスタが盛った皿をあの人に向けると、あの人は皿を引ったくって、何の躊躇いもなく流しに捨てた。
「いらないって言ったでしょ」
パスタがシンクの中でぐちゃぐちゃになる。
私はまばたきを忘れて、そのパスタを眺めながら機械的に呟いた。
「……そう。最後の手料理だったのに」
「はぁ? あんた何言ってるわけ?」
私は平静を装ってすたすたと歩き、自分の部屋に戻って静かに扉を閉める。
そして倒れるように、ベッドにダイブした。
今になって大粒の涙が滝のように流れ、拭っても拭っても涙が止まらなかった。
喉が締め付けられるように痛み、泣き声が漏れないように枕で顔を押し付けた。
何を期待したのだろう。
あの人に喜んでもらえると思ったのか。
おいしく食べてくれるとでも思ったのか。
一度だって一緒に食べたこともないのに、私の手料理なんて食べるわけがないことくらいわかっていたはずだ。
そして、拒絶されて傷つくことも。
いつもこうだ。
いつもあの人に期待しては、ずたずたに傷ついて終わってしまう。なかなか頭が悪いなぁと我ながら思って後悔するのだ。
少しすると、脳内からジェンダーの声が響く。
-第一審査開始まで残り10秒-
私は急いで涙を拭い、ベッドから立ち上がった。
始まる、Motherの第一審査が。
泣いてる場合ではない。
審査の準備はできた。
私の特技を奪うなら、好きに奪うがいい。
もう悔いはない。無事に玉砕されたのだから。
一瞬の強い風が私を包むと、既に場所が変わっており、以前来たMotherの屋敷の大広間の上に立っていた。
残りの候補者たちも全員集まっている。
もちろん、繁崎も。
彼は窓際にすがって腕を組んで、私を見ていた。
「皆さん! お久しぶりです!」
ジェンダーが階段から下りてくる。候補者の久しぶりの再会が嬉しいのか、にこやかに微笑んでいる。
「第一審査の準備はできていますね? さっそく始めましょう! まず最初は、高瀬悟くんから。私についてきてください。残りは大広間で待っていてください。お茶やお菓子もありますから、どうぞおくつろぎくださいませ」
私と同い年くらいの男の子、高瀬悟という子が、大きなキャンパスを持って力強く頷く。それからジェンダーの後に続いて、階段下にある奥の部屋へと入っていった。
その部屋の扉には、月と星をモチーフにした絵が描かれている。その奥にMotherがいるのかと思うと、体が固くなって鼓動が早くなっていった。
どういう順番で呼ばれるかわからない。
次は私が呼ばれるかも。
そう思うとさらに緊張が増し、とりあえず想定する質疑応答だけは真面目に考えておこうと頭の中でひたすらロジカルを組み立てた。