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第9話 高瀬悟のターン④


「悟。悟、何をしてるの! 学校へ行きなさい!」


 僕は部屋の内側から鍵をかけて、再び筆を走らせる。母がドンドンと扉を叩いているが、無視して作業を進めた。


「悟!? 聞いてるんでしょ! 学校に行きなさいって言ってるの!」


 高校へ行く時間などない。

 僕は残りわずかしか猶予がないのだ。

 今やらねば、後悔しかないだろう。


「悟! このことはお父さんにちゃんと報告しますからね! このまま引きこもるつもり!? ダメよ。絶対にダメ。絶対に学校には行かせますからね」


 何もわかってない。

 両親は本当に何もわかっていない。


 少しして声が聞こえなくなり、母は諦めて仕事へ向かったようだった。それでいい。これで僕は思う存分絵が描ける。


 パレットで無我夢中にキャンパスを彩ってると、いつの間にか夜になり、両親が帰ってくる。

 母が大声で僕のことを父に相談していたが、父は


「ほっておけ。そのうち出てくる」


 と言っていた。


 僕は少しほっとして、もう一枚の絵の作成に取りかかった。しばらく、なんなら、もう一週間くらい放っておいてほしい。

 そうすれば、僕の二枚の最高傑作は完成する。


 ***


 Motherの審査まで残り一時間になった。

 二枚の作品は無事完成した。

 一枚はコンテストに、もう一枚はMotherに見せるために制作した。


 間に合って良かったと僕はふぅと息を漏らし、椅子に深く腰かけて気持ちを落ち着かせた。

 休んでいるのも束の間、ガンガンと誰かが扉を思いっきり叩いてくる。


「悟! いい加減でてこい! いつまで引きこもってるつもりだ!」


 僕は鍵を開けると、父が勢いよく入ってきて僕の頬を叩いた。


「また絵ばっか描いてたのか!」


 頬が酷く痛み、涙をこらえる。


 僕の絵が殺される。

 そう直感し、僕はキャンパスを守るように上から覆い被さる。


「こんなもんばっか描いてるから、お前はいつまで経っても成長しないんだ。全ては絵のせいだ。絵に執着していたら現実なんて見えるわけがない。これらを全てはゴミだ。庭で全部燃やしてやるからそこをどきなさい」

「触るな!」

「親に向かってなんて口のきき方だ!」


 父はさらに僕の頬を叩いた。

 それでも僕はキャンパスを放さなかった。


「僕のものを奪わないで! これがなくなれば、僕はもう僕でなくなってしまう! 父さんはそれでいいの!?」


「あぁかまわん。お前がちゃんとした社会人になれば何も文句は言わないさ! いつかお前は私に感謝する時がくる。そのためなら私は今のお前に憎まれてもかまわん!」


「頼むから、僕を見てよ! 一度だって僕を見てもくれないじゃないか!」


「見てるさ! お前は才能も頭もない。私達は可哀想な息子を生んでしまったんだよ! そんなダメなお前を自立させるのが親の務めだ!」


 父はキャンパスを引ったくる。


「ダメな子は、何をやってもダメなんだよ、悟。私の言う通りにしなさい」


 それと同時に、僕の中の何かが弾けた。 


「やめろおおおおおおお!!!」


 頭が真っ白になって、父の両肩をひたすら押した。


「悟! やめなさい! やめるんだ、悟!」

「やめろ! やめろ! これ以上僕を、僕を殺すなああ!」


 僕はさらに興奮して、父の肩や胸を押して部屋から追い出す。


「危ないから、悟! やめなさい!」

「わああああああああ!」



 次の瞬間、僕は父を階段から突き飛ばした。



「う、うああああああ!!!」



 叫びながら階段を勢いよく転がる父。

 階段下の廊下から、きゃああ!と叫ぶ母。


 父は床に倒れ込み、ピクリとも動かなくなる。

 彼の頭からどくどくと血が流れていていた。


「あなた、あなたぁぁぁ! 悟! あなたなんてことをしたのよ!」


 僕は我に帰って自分のしたことを思い出し、腰が抜ける。血はさらにフローリングに流れていき、母はパニックになっていく。


 それがなぜかとても滑稽にみえた。


「二人は一度だって僕を誉めてくれたこともない。慰めてくれたことも。ダメだダメだと言われ続けて、何度も何度も僕の心がずたずたに殺されていった。この気持ちがわかるか!」


 母は僕の言葉を無視してスマホを取り出し、急いで救急車を呼ぶ。


 僕は怒りが収まらないまま、自分の部屋まで走って、扉を勢いよく閉めた。


 ハァハァと息が荒くなる。

 僕はうぅと嗚咽を漏らしながら、扉を背にしてしゃがみこんだ。


 もう何もかもぐちゃぐちゃだ。

 どうすれば良かったと言うのだろう。

 僕の絵が殺されるのを、燃やされるのを黙って見ているわけにはいかなかった。



 僕は絵を愛してる。

 絵のない人生なんて僕には考えられない。

 絵こそが僕の慰めであり、癒しなのだ。



 僕と絵の間を阻むものは決して許されない。



 頭の中から突如、ジェンダーの声が聞こえた。


-第一審査開始まで残り10秒-


 左手の平を見ると、カウントダウンが開始していた。


 僕は静かに立ち上がって、キャンパスに触れて目を閉じた。


 わかってる。

 Motherの審査で僕が何をすべきか。

 僕の答えは、もう決めている。

 後はその答えにMotherがどう反応するかだ。


 少ししてからゆっくりと目を開けると、僕はあの古びた洋館に移動されていた。


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