「悟。悟、何をしてるの! 学校へ行きなさい!」
僕は部屋の内側から鍵をかけて、再び筆を走らせる。母がドンドンと扉を叩いているが、無視して作業を進めた。
「悟!? 聞いてるんでしょ! 学校に行きなさいって言ってるの!」
高校へ行く時間などない。
僕は残りわずかしか猶予がないのだ。
今やらねば、後悔しかないだろう。
「悟! このことはお父さんにちゃんと報告しますからね! このまま引きこもるつもり!? ダメよ。絶対にダメ。絶対に学校には行かせますからね」
何もわかってない。
両親は本当に何もわかっていない。
少しして声が聞こえなくなり、母は諦めて仕事へ向かったようだった。それでいい。これで僕は思う存分絵が描ける。
パレットで無我夢中にキャンパスを彩ってると、いつの間にか夜になり、両親が帰ってくる。
母が大声で僕のことを父に相談していたが、父は
「ほっておけ。そのうち出てくる」
と言っていた。
僕は少しほっとして、もう一枚の絵の作成に取りかかった。しばらく、なんなら、もう一週間くらい放っておいてほしい。
そうすれば、僕の二枚の最高傑作は完成する。
***
Motherの審査まで残り一時間になった。
二枚の作品は無事完成した。
一枚はコンテストに、もう一枚はMotherに見せるために制作した。
間に合って良かったと僕はふぅと息を漏らし、椅子に深く腰かけて気持ちを落ち着かせた。
休んでいるのも束の間、ガンガンと誰かが扉を思いっきり叩いてくる。
「悟! いい加減でてこい! いつまで引きこもってるつもりだ!」
僕は鍵を開けると、父が勢いよく入ってきて僕の頬を叩いた。
「また絵ばっか描いてたのか!」
頬が酷く痛み、涙をこらえる。
僕の絵が殺される。
そう直感し、僕はキャンパスを守るように上から覆い被さる。
「こんなもんばっか描いてるから、お前はいつまで経っても成長しないんだ。全ては絵のせいだ。絵に執着していたら現実なんて見えるわけがない。これらを全てはゴミだ。庭で全部燃やしてやるからそこをどきなさい」
「触るな!」
「親に向かってなんて口のきき方だ!」
父はさらに僕の頬を叩いた。
それでも僕はキャンパスを放さなかった。
「僕のものを奪わないで! これがなくなれば、僕はもう僕でなくなってしまう! 父さんはそれでいいの!?」
「あぁかまわん。お前がちゃんとした社会人になれば何も文句は言わないさ! いつかお前は私に感謝する時がくる。そのためなら私は今のお前に憎まれてもかまわん!」
「頼むから、僕を見てよ! 一度だって僕を見てもくれないじゃないか!」
「見てるさ! お前は才能も頭もない。私達は可哀想な息子を生んでしまったんだよ! そんなダメなお前を自立させるのが親の務めだ!」
父はキャンパスを引ったくる。
「ダメな子は、何をやってもダメなんだよ、悟。私の言う通りにしなさい」
それと同時に、僕の中の何かが弾けた。
「やめろおおおおおおお!!!」
頭が真っ白になって、父の両肩をひたすら押した。
「悟! やめなさい! やめるんだ、悟!」
「やめろ! やめろ! これ以上僕を、僕を殺すなああ!」
僕はさらに興奮して、父の肩や胸を押して部屋から追い出す。
「危ないから、悟! やめなさい!」
「わああああああああ!」
次の瞬間、僕は父を階段から突き飛ばした。
「う、うああああああ!!!」
叫びながら階段を勢いよく転がる父。
階段下の廊下から、きゃああ!と叫ぶ母。
父は床に倒れ込み、ピクリとも動かなくなる。
彼の頭からどくどくと血が流れていていた。
「あなた、あなたぁぁぁ! 悟! あなたなんてことをしたのよ!」
僕は我に帰って自分のしたことを思い出し、腰が抜ける。血はさらにフローリングに流れていき、母はパニックになっていく。
それがなぜかとても滑稽にみえた。
「二人は一度だって僕を誉めてくれたこともない。慰めてくれたことも。ダメだダメだと言われ続けて、何度も何度も僕の心がずたずたに殺されていった。この気持ちがわかるか!」
母は僕の言葉を無視してスマホを取り出し、急いで救急車を呼ぶ。
僕は怒りが収まらないまま、自分の部屋まで走って、扉を勢いよく閉めた。
ハァハァと息が荒くなる。
僕はうぅと嗚咽を漏らしながら、扉を背にしてしゃがみこんだ。
もう何もかもぐちゃぐちゃだ。
どうすれば良かったと言うのだろう。
僕の絵が殺されるのを、燃やされるのを黙って見ているわけにはいかなかった。
僕は絵を愛してる。
絵のない人生なんて僕には考えられない。
絵こそが僕の慰めであり、癒しなのだ。
僕と絵の間を阻むものは決して許されない。
頭の中から突如、ジェンダーの声が聞こえた。
-第一審査開始まで残り10秒-
左手の平を見ると、カウントダウンが開始していた。
僕は静かに立ち上がって、キャンパスに触れて目を閉じた。
わかってる。
Motherの審査で僕が何をすべきか。
僕の答えは、もう決めている。
後はその答えにMotherがどう反応するかだ。
少ししてからゆっくりと目を開けると、僕はあの古びた洋館に移動されていた。