山に入ってまず拍子抜けしたのは思っていたようなあやかしの強襲が無かったからだ
この禍月の山は狂暴なあやかしが沢山巣食う山
だが木陰からこちらの様子を伺うあやかしこそいれどこちらに何かを仕掛けてくるようなあやかしはてんで現れることはなかった
「そうキョロキョロせんでも大丈夫だぞ弓麻や、あんなでも一応主人が気を張っているからのぉ、あやかしどもからしたらこちらへ近づくのは憚られるのだろう」
「……なるほど」
件の龍の一件といい甘羅さんはあやかしとの面識が広いようだ
気になることばかりだがもうこれ以上突っ込んでも疲れるだけだ余り考えないようにするに限ると私は取りあえず甘羅さんについていくことに専念することにした次の瞬間だった
「まぁ、ああいう自身の力試しをしたいなんていう人間あやかし問わずいるような馬鹿な輩もおるがのぉ」
甘羅さんの行くてを阻むように現れたのは数尺はあろう大きな土蜘蛛だった
「悪いがオレ急いでんだよ、用件ないなら退いてくれないか?」
だがそんな土蜘蛛に少しも怯えることはなく甘羅さんは普通に話しかける
「……」
だが土蜘蛛は何も声を発することなく大きく飛び上がって甘羅さんのいる場所の地面を抉る
「甘羅さん!!」
大きな音と土埃に慌てて甘羅さんの名前を呼び近づこうとする
「弓麻! 主人との約束を思い出せ、落ち着くのじゃ」
だがそれを遮る月さんの声に慌てて私は立ち止まる
そうだ、甘羅さんは自分より前に出るなと言っていたではないか
それでも私は心配で、土埃が晴れたことでやっと安堵の息を漏らした
甘羅さんは攻撃されて抉れた地面の少し横に立っていた
おそらくはすんでのところで避けたのであろう
「攻撃してきたってことは、まぁ敵意があるってとらえていいな、何度も言うが悪いが急いでるんでね」
甘羅さんは札を1枚取り出すとそれを目の前にかざして牛鬼の時とは違う凛とした声で術を唱えた
「縛」
それを合図に四方から空間のねじりが生まれて太く強固な鎖が現れ土蜘蛛をがっちりと拘束した
「まだ戦う気があるのであればこのままネジ切る、帰る気があるなら術をとく」
足の一本さえ動かすことの出来なくなった土蜘蛛に淡々とした口調で甘羅さんが語りかける
「お待ちください、こちらからのこれ以上の攻撃は致しません、あなた様が羅刹様である、その確認のためとはいえいきなりの暴挙申し訳ありません、どうかお許しください」
その澄んだ声にびっくりしつつ一瞬土蜘蛛が喋ったのかと思った
だが甘羅さんと月さんの視線から喋ったのが土蜘蛛ではなく土蜘蛛の横に立つ1人の少年から発せられた声であることに気づいた
さらさらとした蒼い髪、両の額から伸びる不揃いな角が彼が人間ではないということを一様に示していた