「土屋さん、ストップしてもらっていいですか?」
いつものように虚構世界へ入り、消去すべき住人を確認した直後だった。突然、航太が言い出した。
「どうしたのよ、千葉くん」
困惑した様子で土屋さんが振り返り、航太は真面目な顔で言う。
「この虚構、おそらくホームズのパスティーシュです。消したくありません」
「はあ!?」
まるで意味が分からず、オレは思わず大声を上げてしまった。
すると航太は冷静に説明する。
「現実世界で解読された情報からして、そんな気はしてたんです。でも、実際に入ってみるとパスティーシュとしてのレベル、いや、作者のアーサー・コナン・ドイルへの愛と尊敬が、見事なまでに満ちています」
眼鏡越しに、航太の目がらんらんと輝いているのが分かる。こんなことは初めてだ。
オレは土屋さんと顔を見合わせた。
「たぶんあいつ、変なスイッチ入っちゃってますね」
「そういえば彼、ミステリーが好きだったわね」
と、土屋さんも呆れた表情だ。
「どうするんすか?」
「かまわないわ。やっちゃいましょう」
「うす」
虚構だと知らされて怯える住人たちへ向かって、オレは大きな鎌を振り上げる。
「とっとと死ね!」
「やめろ!」
背後から航太に抱きしめられて動きが止まる。
「えっ、ちょ……」
「たしかにこの物語は日の目を見なかったし、作者にも忘れ去られているかもしれない。でも消すのはあまりにもったいない!」
「馬鹿言うなよ、航太! 仕事中だぞ!?」
「分かっている。だが……」
ぎゅうと強く抱きしめられたら、何だか気力が失せてしまった。鎌を一時的にしまい、オレは大人しくなる。
「分かってくれたか、ありがとう」
「別に、お前を尊重したわけじゃねぇよ」
でも、後ろから抱きしめられるのも悪くない。むしろ、普段より包まれている感じが強くていい。
すると土屋さんが住人へ向けて拳銃を連射した。
「あっ!」
的確に撃ち抜かれた住民たちがその場に倒れ、苦しみのうめき声とともに息絶える。
「何してるんですか、土屋さん!」
と、航太がオレを離すとともに彼女を振り返る。
土屋さんは冷めた目をして、低い声で返した。
「何してるのはこっちの台詞。千葉くん、今回のあなたの行動は『幕引き人』にとって、あってはならないものよ。ついでにわたしの目の前でいちゃつかないで」
「す、すみません……」
「この件は上層部に報告するからそのつもりで。まあ、あなたのことだから、せいぜい口頭注意で済ませられるんでしょうけど」
嫌味たっぷりなのは、航太が上層部から目をかけられているのを知っているからだ。もしも「幕引き人」をやめさせられても、開発部か研究部に引き抜かれるだろう。
「分かりました。すみませんでした」
それでも真面目な航太はきちんと土屋さんへ謝罪をする。
オレはどちらの肩を持つ気にもなれず、とりあえず言うのだった。
「消去できたんだし、早く戻りましょう」
「ええ、そうね。でも田村くん、千葉くんにバックハグされたからって仕事を放棄するのはダメよ」
「えっ、オレは別に放棄したわけじゃねぇっすよ!」
「あなたのことは報告しないでおいてあげるから、今後は気をつけてね」
「うぅ、分かりました……」
とんだとばっちりだ。航太にはしっかり反省してもらおう、と思って彼を見る。
航太は消えゆく景色を