六月。もうすぐ航太の誕生日だ。
「あの、三柴さん」
オフィスに航太がいない時を見計らって、オレはB班の三柴さんへ声をかけた。
「何だい?」
と、こちらを振り返る彼のそばへ寄り、オレはこっそりとたずねる。
「もうすぐ航太の誕生日なんすけど、何あげたらいいか分からなくって困ってるんです。何かアドバイスないですか?」
女性陣と変わらないくらい小柄な彼は困り顔で笑う。
「残念だけど、助けになれないなぁ」
「そうすか」
「っていうか君たち、付き合ってるんでしょ? 直接聞いちゃえばいいのに」
軽く言う三柴さんへオレはむすっとして「あざした」と返し、自分のデスクへ戻った。
本人に聞くのが一番いいのは分かるが、それだとサプライズがない。喜んでもらうには、ひそかにリサーチして彼が本当に欲しいものを贈りたい。
しかも相手は航太だ。何が欲しいかたずねたなら、すぐに誕生日プレゼントだと察してしまうに違いない。
さらに困ったことに、航太にはあまり物欲がないらしく、あれが欲しいこれが欲しいといったことを、これまでほとんど聞いたことがなかった。
「お前ってさ、物欲ねぇよな」
その日の夜。いつものように航太の部屋で夕食をごちそうになった後、できるだけバレないよう、遠回しに聞いてみた。
キッチンで洗い物をしながら航太が返す。
「そうでもないと思うが……」
「あんまり言わねぇじゃん。あれ欲しい、これ欲しいって」
「ああ、それは……言われてみれば、たしかにそうか」
と、腑に落ちた様子を見せる。どうやら無自覚だったらしい。
「今欲しいもんとか、あんの?」
思いきってたずねてみると、航太は答えた。
「食器用洗剤」
「そういうんじゃなくてだな」
オレは思わず苦笑した。彼の言うことは時々、冗談なのか本気なのか分からないことがある。
「うーん、今欲しいものか……」
航太はしばらく考え込み、洗い物を終えた。両手をタオルで拭いて、食卓へ戻ってきながら言う。
「アトラリスス語の辞書」
「日本語版はねぇな」
「英語でもかまわないが、それだと電書なんだよな。できれば実物で欲しいんだが」
と、席へ座る。
「ないんだからあきらめろ」
「他に欲しいものとなると……
「どういうことだよ」
「今日の昼、開発部の人に相談されたんだ。自動化したいんだけど、いいアイデアが浮かばなくて困ってると」
「それ、お前の欲しいものじゃないじゃん」
「……うーん」
航太が考え込み、オレは呆れて息をつく。
「やっぱりねぇんだろ、物欲」
「どうやらそうらしいな」
と、航太も息をつき、ふと気づいてしまった。
「あれ? もしかして楓……もうすぐ僕の誕生日、だな?」
「ああ、そうだよ! だから何が欲しいか聞いてんだよっ」
荒れた口調で言い返し、オレはふんとそっぽを向く。
「だったら、さっき話した辞書がいいな。もしくはアトラリスス語の教材なんかでもいい」
「本当にか?」
「ああ、本当だ。もっと楓と、アトラリスス語で話がしたい」
航太はいつものように優しく微笑んでおり、オレは彼を横目に見つつ不機嫌にたずねた。
「何でそんなにこだわるんだよ?」
「だって、その方が話しやすいこともあるだろう?」
先日のことを思い出し、オレはとっさにうつむいた。頬がじわりと熱くなっていく。
まったく、アトラリスス語であんなこと言うんじゃなかった。と後悔するのは脳であり、心は彼の優しさをとても嬉しく思っているのだった。