目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第14話 航太の欲しいもの

 六月。もうすぐ航太の誕生日だ。

「あの、三柴さん」

 オフィスに航太がいない時を見計らって、オレはB班の三柴さんへ声をかけた。

「何だい?」

 と、こちらを振り返る彼のそばへ寄り、オレはこっそりとたずねる。

「もうすぐ航太の誕生日なんすけど、何あげたらいいか分からなくって困ってるんです。何かアドバイスないですか?」

 女性陣と変わらないくらい小柄な彼は困り顔で笑う。

「残念だけど、助けになれないなぁ」

「そうすか」

「っていうか君たち、付き合ってるんでしょ? 直接聞いちゃえばいいのに」

 軽く言う三柴さんへオレはむすっとして「あざした」と返し、自分のデスクへ戻った。


 本人に聞くのが一番いいのは分かるが、それだとサプライズがない。喜んでもらうには、ひそかにリサーチして彼が本当に欲しいものを贈りたい。

 しかも相手は航太だ。何が欲しいかたずねたなら、すぐに誕生日プレゼントだと察してしまうに違いない。

 さらに困ったことに、航太にはあまり物欲がないらしく、あれが欲しいこれが欲しいといったことを、これまでほとんど聞いたことがなかった。


「お前ってさ、物欲ねぇよな」

 その日の夜。いつものように航太の部屋で夕食をごちそうになった後、できるだけバレないよう、遠回しに聞いてみた。

 キッチンで洗い物をしながら航太が返す。

「そうでもないと思うが……」

「あんまり言わねぇじゃん。あれ欲しい、これ欲しいって」

「ああ、それは……言われてみれば、たしかにそうか」

 と、腑に落ちた様子を見せる。どうやら無自覚だったらしい。

「今欲しいもんとか、あんの?」

 思いきってたずねてみると、航太は答えた。

「食器用洗剤」

「そういうんじゃなくてだな」

 オレは思わず苦笑した。彼の言うことは時々、冗談なのか本気なのか分からないことがある。

「うーん、今欲しいものか……」

 航太はしばらく考え込み、洗い物を終えた。両手をタオルで拭いて、食卓へ戻ってきながら言う。

「アトラリスス語の辞書」

「日本語版はねぇな」

「英語でもかまわないが、それだと電書なんだよな。できれば実物で欲しいんだが」

 と、席へ座る。

「ないんだからあきらめろ」

「他に欲しいものとなると……泡沫うたかた記憶を自動的に消去するシステム、かな」

「どういうことだよ」

「今日の昼、開発部の人に相談されたんだ。自動化したいんだけど、いいアイデアが浮かばなくて困ってると」

「それ、お前の欲しいものじゃないじゃん」

「……うーん」

 航太が考え込み、オレは呆れて息をつく。

「やっぱりねぇんだろ、物欲」

「どうやらそうらしいな」

 と、航太も息をつき、ふと気づいてしまった。

「あれ? もしかして楓……もうすぐ僕の誕生日、だな?」

「ああ、そうだよ! だから何が欲しいか聞いてんだよっ」

 荒れた口調で言い返し、オレはふんとそっぽを向く。

「だったら、さっき話した辞書がいいな。もしくはアトラリスス語の教材なんかでもいい」

「本当にか?」

「ああ、本当だ。もっと楓と、アトラリスス語で話がしたい」

 航太はいつものように優しく微笑んでおり、オレは彼を横目に見つつ不機嫌にたずねた。

「何でそんなにこだわるんだよ?」

「だって、その方が話しやすいこともあるだろう?」

 先日のことを思い出し、オレはとっさにうつむいた。頬がじわりと熱くなっていく。

 まったく、アトラリスス語であんなこと言うんじゃなかった。と後悔するのは脳であり、心は彼の優しさをとても嬉しく思っているのだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?