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第13話 ハレーション・アゲイン

 すると「お待たせ」と男がふらり現れた。

 「ん?」と思わず声を出してしまうおれに、

 「ん?」と彼が応えた。

 しばし目を合わせたまま、およそ三秒間。するとふいに、


 『どこかで会ったことあるような、ないような…見たことあるだけかなあ』

 と思考の逡巡が始まるのより少しだけ遅れて、


 「ひょっとしてなんじ、われのことが見えて…る?」

 と訊いてきた。

 見えているもなにも。へんなこと言うなあ、と訝しく思った途端に『まさか』おれは思い出す。いきなり全部を思い出して、どうにかなるんじゃないのかっていうくらいの吐気に襲われた。が耐えた。


 「ね?」瀬衣晶が誇らしげに語る「だから言ったでしょう。ただもんじゃないわよって」


 なんの話だろうか。どういう。


 「なるほどね?」男は両手を広げつつ肩をすくめながら話し始めた「それなら遠慮なく、しゃべっていいのかな」おれは意識を正常に戻すので精一杯だが言葉を聞き取ることはできた、「われの名は、潔白けっぱくなり。お見知りおきを」

 「潔白けっぱく…さま?」おれはおぼろげながらも問いただすことはできた。

 「そうなりよ。なんじの導き、佞悪ねいあくとは同期の櫻さね」

 そのように説明を受けても、満足な答ができそうにない。だが、かろうじて対処法があるとすれば…仲富海帆だ。コイツなら、うまく話を進められるかもしれない。そう思った途端に、

 「それは無理な相談みたいよ?」と瀬衣晶が語る。

 「え」

 思わず、おれは言葉を漏らした。

 だってさ?

 なにこれこの違和感。

 まるで頭で考えたことに対して彼女が反応したみたいなタイミング。

 「そうよ」すかさず瀬衣晶が応えた「あたし、聞こえるから」

 まるで無邪気な悪童みたいに目を細めて笑っている。そんな彼女を見て、ようやく理解が追いついた、

 『そうだ。まるで清廉せいれんさまや佞悪ねいあくさまと話しているときのように、脳ダイレクトな会話を…」目の前にいる瀬衣晶がしている。

 すると脳ダイレクトというよりは現実の声っぽく言葉が聞こえてきた「なんじよ、われらに様付さまづけは不要なり。お気軽に申されよ」

 と言われましてもねえ。ねえ、これ、どうなってるの。ねえ、海帆ちゃんや?

 「ふふふ」瀬衣晶が機嫌よさげなまま話し出した「まあ、とにかく? 予想通りで想像通り、しかもえているし聞こえてるしで申し分なし。ああ、ほんとにホントでよかったあ」

 「われも喜ばしく思いますぞ」と潔白が言った。


 「なあに?」すっと起きあがった仲富海帆が「なんか、うるさいよ?」と疑問ばかりつぶやいてくる。なんだよこのやろう、その態度。おれは腹立たしくて思わず海帆の脇腹をくすぐった…つもりが、ぷにっ。ぷにっ?

 「あらあら」すると怪訝きわまりないといった表情で瀬衣晶が、これまたきわめて穏やかに訥々と語る、「そういう仲のよろしくいことはラブホでされましてよ? いちおうカフェですの、人の目を気にしても撥は当たりませんわ」

 「ふ」と潔白がくちびる閉じたまま笑う、「目の毒ではありませぬが、あらぬ誤解や反感を買う畏れもあるなりやで?」

 おれは自分の手を疑う。いま、なにに触れた、なに触った。

 「まあね」瀬衣晶が斜め向こうに視線を飛ばしながら言った「みぽっち海帆豊乳ほうにゅうですもの、さぞかし殿方とのがた心地佳ここちよきであるのでしょうねぇ?」

 「おぼしきなりです」と、潔白が目を閉じて軽く会釈してきた。

 え。ちょ?

 「蓮?」上半身を起してもなお目をこする海帆は「ん? せいちゃん?」と気づくのと同時に「そちらの彼は、まさかの」と言いかけて止まった。

 「うん」

 うん? なにがどう『うん』なのか訊きたかったが、おれは耐える。うん、とうなづいた瀬衣晶が指先をくちびるにあてるような仕草で『しいっ』って言ったからだ。口止め?

 その隣で礼儀正しく座り続けている潔白は「ふンぬ」と、おくちチャックの動作でギイッって指先を引いた。


 「でもまあ、あれだよね?」と、瀬衣晶が足を組む。あ、一瞬ちらり見えた。なにも見えていませんという顔で、おれは尋ねる、「あれとは?」

 「あれといったら、あれよ」と、瀬衣晶が足を組みかえる「あれしかないでしょう?」

 「御意なり」潔白が目を閉じたまま呟いた。

 思い出せ、おれ。あれとは、なんぞやね。すると耳の奥で佞悪の声が聞こえたような気がした、『あ。そうか。そうだった。学級裁判だな?』

 「ええそうよ」と、声なき声に反応されて驚いたが、そんなことは慣れたほうがいいのだろう、瀬衣晶が説明をする、

 「訴えられてしまいましたの」

 てへぺろって再び足を組みかえると、

 「ちょっと、せいちゃん!」と海帆が怒り出した。

 「お。起きたか」と、おれが海帆に視線を向けると脇腹をつねられた、「って、いてっ。いてえよ、おい」

 「なによ」と海帆が怒り心頭に吐き捨てる言葉は全員に容赦なかった、

 「蓮にやけすぎ」

 「あきらセンスわるすぎ」

 「そこの彼氏おまえいったいいくつだ」

 あらあ。と、瀬衣晶が冷静に言いながら「これのことですの?」とスカートの裾をつまんで捲くった。

 「な」思いがけずに、おれの声が出る。

 「ま」海帆が、うわづる。

 おれは小さめのリボンと腰の両サイドで結ばれているリボンに見とれてしまうが、なにごとでもないように努めて言う「シャープで素敵です」そこにあるのは下着というよりランジェリーという呼び名がふさわしいような、華奢で華麗で華美かつ華宵な、

 「パンツ見センナよ」と海帆が空気を切り裂いた。ああ、なんというか空気が台無し。いや、それにしても海帆っさて、こんなに騒がしかったっけ。

 言葉遣いもそうだが、隣に座っていて妙に騒々しく感じてしまった。


 「ま、ちゃんと話し合いましょ?」

 瀬衣晶が言う、「あたし、濡れ衣は晴らしたいの。だから蓮あなたには協力していただくわ。よくってね?」 

 よくってねと言われましても、要するに学級裁判における無罪を勝ち取るための知恵貸しだろう?

 『よくもわるくも経験者だからね、おれ』

 すると「ええ」と答えたあとにこう続けてきた「我が校では模擬裁判と呼びますのよ?」

 ああ、そうなんだ。言い方って、いろいろあるんだね。

 「ええ。それに、これは単なる相談ではありません」

 「まあ安心して? あきらは必ず勝てるよ」おれは息を吐くようにスラスラ思ってもいないことをくちにした。

 「ええ、頼りにしてます」瀬衣晶が軽く会釈する、それに合わせるかのように隣の潔白も会釈する。そして前髪さらさらが言うわけだよ、

 「蓮あなたには弁護人を勤めていただきます。正式に我が校とあなたの学園に申し出て認可されていますの」

 認可ってなに。

 「どうぞよろしくお願いしますわ」

 そう微笑んでスマートに手を差し出してきた。握手を交わすってことだろうな、と思うのと同時にその手を握る。想像を絶する柔らかさに卒倒しそうだったが、こらえた。なにその手。

 「なるほどね、そういうことなのね」

 少し不機嫌そうな声がする、海帆だ。寝起きだからなのか。続けて言う「もう手配済み、勝つ気まんまん、おまけに彼氏もご同席と」

 ん? 海帆さんや、そちらは彼氏というより使い魔というか、潔白けっぱくさまですよ?

 理解できているのかできていないのか、ねぼけているだけなのか。 

 「あんたのまんまんはくさっとるんやないのかい、この似非えせっぱちの清楚が!」

 「あらあら」瀬衣晶がよろこびびに包まれた表情で、足を組んだままつぶやいた、「さすがは、さすがのですね?」そこには敵対心と似たような、むきだしの感情がオブラートに包まれているようだった。


 あの、あれれ?

 おふたりって仲いいんじゃなかったっけ。

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