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第10話 無口な吐息

 「正解デース!」

 声も高らかに舞い降りてきたのは天使か堕天使か使い魔か。顔ちっさ。颯爽と風を渦巻かせながら砂埃が舞う。どこかニヤケているような口元は自信家の特徴でもあるし、羽を汚さずには生きていけない海鳥の宿命のようでもある。紫だろうか紺だろうか、色そのものは強くて圧力を感じるのに透けている。

 これが助っ人。おれは思う。コクリと佞悪ねいあくがうなづく。

 ちらり、仲富を見ると、これはこれでまた。

 声にならない声がうるさい。すると、


 「やあ、仔猫ちゃん。ご無沙汰してましたね」


 え。まさか。

 仲富をる。おまえが言っていた彼って。

 くまでもないか。見ればわかる。おそらく誰かが誰かに恋するとき、こういう瞳になるのだろう。そんな気がした。


 「紹介するわ」

 佞悪ねいあくが背筋ピンと胸を張って谷間を強調すると、

 「あらためまして、敬虔なるご令息ご令嬢のおふたかた。われこそは深遠なる…」


 「こいつが清廉せいれん。わたしが呼んだ助っ人」


 「ちょっと、ちょっと、ちょっと。自己紹介くらいさせてくれよ」

 清廉せいれんと呼ばれた男は少しだけ、はにかんだ。「断る」と佞悪ねいあくがそっぽを向いたまま答えた。

 だが不思議。あんなに冷たくて無機質な受け答えしかしないと思っていた佞悪ねいあくさまが、どこか笑趣おかしみがある。わかる、なんていうかユーモラス。

 すると仲富が「セイレーンさま」と吐息をもらすように声を流した。


 「やあ」清廉せいれんかしこまって「ご無沙汰してましたね、仔猫ちゃん」と呼びかけてきた。

 もうすでに仲富は崩れてしまいそうだった。工事現場の解体工事で最後の仕上げ、どかんと一発いきますか。

 だが仲富は、しっかりと立ち尽くしている。そのたたずまいは待ち人を迎えた深窓しんそうのお嬢さま。なるほど、そうそう会える存在ではないということか。それにしても気になる、清廉せいれん佞悪ねいあくの関係っていったい。

 「大丈夫よ、手短に済ますわ」

 佞悪ねいあくさまがおれに言う、まるで心が見透かされたようで恐縮ですが、「蓮、あなたはほんとうにすぐ顔に出すのね」と言われたとたんビクッとなった、「それとも無自覚なの?」

 おれがなにか言いかけた途端に、

 「ですよね!」と仲富が語りだしてしまった「蓮は顔に出るの、すぐに。しかも本人コレがわかっていないっていうより、わざとのフシもあるんですよ」と。

 「ほほう」清廉せいれんが顎に手をあてて言う「それは興味深いがけしからんですな」

 

 「それが蓮のいいところ」と佞悪ねいあくさまが言う、さらに「武威ぶい」と声に出してまでブイサインをしてきた。そういうことするかたでしたっけ、あなた。


 「ではではお祭りデース!」

 祭りなのか?

 ちょっとだけ、いやな予感がする。でも一応、いておこう?

 「清廉せいれんさま」おれは話しかける「あの…」

 「セイレーンでいいよ」にやにやというよりニコニコか、とても上機嫌そうに見える。腹の底から上機嫌のような明るくて軽快なテンションの声が心地良く伝わってくる、「佞悪コイツと違って僕は寛容だから」

 「わたしもネーアクでいいよって言ってるよ?」と佞悪ねいあくがほぼ無表に語る。まあ、たしかに? 仲富はそこんところよく理解しているからなのかネーちゃんと呼んでいるよな。おれはれなかった。れないし、れしいのは好みじゃない。されるのも、するのも。だからえて、

 「ではセイレーンどの、どうかよろしくお願いします」でもなにをどうよろしくなんだっけ。具体性に欠ける展開だが、まあいい。それよりおれは元に戻ったときのほうが心配だ。

 宇宙は、おれたちを安全かつ平和な空間に招待する。時間にとらわれずに多くを学べるのは利点だ。その一方で、この空間から追い出されるときだ、まさに追い出される状況となるため、時と場所を指定できない。宇宙も指定できないらしい。うそつけ。そんなに高度に発達した文明と技術なのだから、できないことなどあるまい。だが、数年前の佞悪ねいあくは言っていた『できることと、することは違う。できるからといって、わたしがすると思うなよ?』

 ごもっとも。


 それにしても、どうしたものか。仲富が清廉せいれんを見ているその目だ。おれが佞悪ねいあくを観ているときの目は、どういうふうに仲富には見えているのだろう。気になる。気にならなくてもいいことなのに、気になる。

 『ああ、それはね?』ダイレクトに脳内で声が響いた、これは清廉せいれんの声…だよな? おれが清廉せいれんを見ると、ニカッ、コクリと微笑んでうなづいた。まさか。

 脳内だけで『会話…できるとか?』と思った次の瞬間に、

 『いかにもだよ、正解デース』と声が響く。目の前の清廉せいれんはニコやかながらも、くちは一文字。いや左右の口角があがっているから、ユーの字か。

 『これ、仲富にも聞こえてる?』と脳内で確認すると、

 『いや、いま蓮としゃべってるのは、みぽり海帆ーには聞こえてないよ?』

 そうなんだ、と納得すると、

 『そうデース』と言われる。軽め、軽く、軽い、なんなんだこのひと。ひとじゃないか。でも、ふと思った、

 もしかしたらおれがなりたいと思っているおれのような感じ?

 いま考えたことも伝わってしまうのかなと躊躇ちゅうちょしたけれど、思考を停止する意思が働かなかった。清廉せいれんは表情を変えないから聞き流してくれている…のかもしれない。それにしても、これが終わったらどこに着くのかが怖くて、だんだん会話に集中できなくなってきた。そろそろ限界か。この異空間では集中力が途切れ途切れになると、まるで電池切れのようになって、とある瞬間ピタッと停止。すなわち、現実に戻る瞬間だ。

 『いちおう説明しておくね?』と清廉せいれんから呼びかけられた、

 『僕たちの姿は君たちが望む姿をみ取ったうえで構成されてるよ』

 『なるほど、やはりね?』自分で思っておいて矛盾してしまうが、なにがどうなるほどでやはりなのか、わからない。むしろ謎。いや、少しはわかる気もする。

 『僕はみぽり海帆が希望する兄上の姿だと思ってくれればいい。だからもし君が彼女の心を奪いたいと願うなら、僕の立ち居振る舞いが参考になると思うよ?』

 おれは絶句する。頭の中でも絶句できるんだな?

 『君は気づいていないかもしれないが、佞悪ねいあくは君の希望に忠実な姿だよ』

 『うそ!?』

 おれは思わず実際に声を出してしまいそうだった、『いや、いくらなんでもそれはない。ないな。だって、おれの好みって』

 『そう、それ。それだよ、それ。そもそもそれがズレてるの』と清廉せいれんが語り出す、『僕たちが言う希望の姿というのはね?』のとき違和感があった、なにかが重なっている、もしかして仲富と清廉せいれんも会話しているとか、あるいは佞悪ねいあくだってひょっとすると…

 『いかにもだよ? 会話の回線は無数に使いこなせるから。チャンネルは、ひとつとは限らない。君たちのラジオは、どこかを受信しているときは別のを受信できないと思うけど、ラジオそのものが複数だったら? 同じデース』

 『理屈はわかるけど、わかるんだけど』と、やっとのことで思うことができた。伝えるのって、簡単じゃないんだな。子供の頃はテレパシーが使えればすごく楽なのにと考えていたが、結局どちらにせよ相手に伝わるようにするには工夫が必要になる。思う、これだって技術が問われるのかもしれない。思うだけで伝わるのは簡単だけれど、誤解や勘違いまで伝播でんぱしちゃうんだろう?

 『それに』と、おれが問いただそうとした次の瞬間、清廉がピシっと言う、

 『希望の姿とは、もしも君が異性だったらどういうひとになりたいか。君が好きな異性ではない。君自身が異性化した場合の理想形だよ』

 『おれが異性化』なぞるように思い巡らせ、さらに『おれが、じゃあ女の子だったらってこと?』そう思ったら即座に清廉せいれんに返された、

 『君は佞悪ねいあくになる』

 …おれが佞悪ねいあくに…なる?

 理解が追いつかなかった。

 それ以上に、もう本当に集中力が限界で、仲富をたらコイツも相当にヤバイ気がする。憧れが過剰すぎて目がハートに…なってないな。まるでアイドルとご対面だな、と思ったけれども少し違う。それは仲富の呼吸だ。深い吐息がまるでハイテンションこじらせた夢遊病…ああ、そうか。そもそもこの空間て、浮わついていて夢見心地でいられて、なにもかもが遊びに感じられて、やまいのようだ。

 なにか風邪をこじらせたときみたいだな。そもそも、なにもかもが幻と言われてしまえば、それきりだろう。心細くて叫びそうだった。叫びたいときほど無口になってしまうのは、どうしてなんだろうね?

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