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魅了

 「ああ、やっぱり」

 仲富がつぶやく、「蓮のところにいたのね」

 おれたちふたりの前に現れた佞悪ねいあくは、いっさいなんのポーズもとらずヒンヤリとした口調でゴキゲンヨウと言った。言ったというより頭の中にダイレクトにメッセージを注入された感覚だ。いきなり頭蓋骨の奥で響いているのか耳の回廊を伝って届けられたのか区別つかないけれど、脳にとっては同じようなことらしい。

 「ひさしぶりね」仲富が言う「よかった。頼りになるわ」


 頼りになるわ?

 その言葉を聞いて、なるほどと思う。仲富が頼っていたのは、おれではない。こいつのほうだ、佞悪ねいあく

 姿かたちは認可元素の理論に基づき、おれたち人間と同じようなもの。使い魔たちが現れるのは、人間が精神的に変換点を迎えるときだという。女性の姿をして、女性が身にふりかけていそうな香りを漂わせて、この佞悪ねいあくたたずんでいる。

 おれは自分が男なのだと、いやがおうでも思い知らされる瞬間。いままで出会ったことのある女の子たちよりも、かわいい。見た目だけは、な。くらくらする。その香りのせい。わなわなする。おかしい、おれって、こんなにも、どうかしちゃうものだったのか。幼なじみや同世代の女の子の裸は見ていて自然にふるまえるが、こいつ、この佞悪ねいあくさまだけは、そうは、いかない。

 あ、なんか、おかしくなりそう。

 眩暈めまいクラクラ立ちくらみしたいところだが、おれは踏みとどまる。こんなときどうすべきかは、もうすでに学んでいる。学級裁判三回の経験を無駄にしてなどいない。負けるもんか。

 おれは黙って、佞悪ねいあくる。視線ぼんやり眺めるのではなく、むしろ観察。そして脳内で言葉を発してみることにした『ごきげんよう』

 おれの想いに反応したかのように、にやあ。

 すると「あ。ネーちゃん笑った」と仲富が気づく。その声は、さきほどまでのトーンと異なる。おれとふたり会話しているときとは、あきらかに声そのものに色がついた。せいちゃんとやらと通話しているときとも異なる。あきらかに仲富は、よろこんでいるってことだろうな。

 なあ、佞悪ねいあくさま。おれは黙って問いかける。

 いまこうして顕現けんげんされたということは、おれ自身が危機的状況におちいってしまっているということでしょうか。


 「ええ」

 佞悪ねいあくがハッキリと、くちびるもひらいて、声にした。

 おれは身震いする。まじかよ、まじなのか。いま、どういう状況だ?

 仲富からの相談というか依頼というか、でも仲富本人のことではなくて、従姉妹だっけ?

 おれは瀬衣晶せいあきらを思い出す。思い出せ。どんな子だった。どんな声? ちゃんと聞いていないことも思い出したし、そもそもまったく接点のなかった女子だ。

 でも、ちょっとながらも、知っていることがある。海百合女子の制服、白いセーラー服、やや背が高めな女子、で予備校の模試成績は常に上位。

 「よかったー」と仲富が小さな声で叫ぶ「もうホントにホントで頼りにしてます!」


 すると佞悪ねいあくがニカッとした。まじかよ、今日やたらと表情豊かじゃないですか。

 おれはすぐにでも質問したくてたまらない『いったいぜんたい、なにごとだというのですか。佞悪ねいあくさま、まさかとは思いますがおれ…私が巻き込まれるということですか。

 しかし佞悪ねいあくは表情を変えない。


 「いやあ、それにしてもやっぱりすごい。ネーちゃんはホントぶれないよねぇ」

 仲富はご機嫌模様である。

 「しかもなになにどうしたの、今日それ。聞いてないんですけど。その姿。いままでとは、まるっきり違う強めな統一感コーデじゃない!? めっちゃめちゃカワイイんですけどっ」

 しかもなぜか興奮気味だ。

 すると、佞悪ねいあくさまはあっさりと言い切った、


 「コーディネートはコーデねえと」


 嘘だろ、おい。

 「くはぁ!」と仲富は悶え苦しむ乙女のように天を仰いだ「いまそれ禁句ダメもう無理っ」と言いつつよろこんでいるようにしか見えないのだが「ネーちゃんの声ってだけでとけちゃうのに、そんなクソオヤジみたいなギャグ飛ばすなんて!」と興奮を越えた領域の瞳孔をあらわにした。クソオヤジとか言うなよ、なんなのその例え。おれは思っても、くちにしない。そのかわり、


 「佞悪ねいあくさま、とても素敵です、とてもお似合いですよ」

 おれは言葉を選びながら申しあげる。

 すると隣からツンツン肩で責め立てられて「ふんふん、蓮はこういう女の子が好きなんね~」とやかし口調でニヤニヤされる。ばかやろう、お世辞だよ。じゃなかったらこんなとき、どう言えばスマートなのか教えてくれよ。おれは続けて語りかける、

 「この静寂も?」


 ん? という声が漏れた仲富。おれが見ると、なにかを自覚したのか空を見あげた。仲富の目には初夏の青空が見えているのだろうか。それとも。

 おれたちの目の前にいる佞悪ねいあくは、うん、とでも言いたげにうなづいた。

 この静寂、車の不在に人気ひとけさ。なるほど、もうすでに別世界というわけか。なにもいのではなく、ありとあらゆる情報が濃密に漂っているというわけか。おれは試しに腕を少しあげてみた。ビリッとくる、

 「え、なに」

 と隣で仲富が驚く、

 「あ、ごめ」んなさい、いきなり動いてしまって。おれは心から申し訳なく思って謝った、

 「こんなに近くで突っ立てるから静電気くらうのさ、ぼおっとしてんじゃねえよ?」


 「な」と仲富が目を丸くして「ぼおっとって…てか、その言い方!」

 「いいから少し黙れよ、おまえ」おれは優しくさとす「とにかくこれは、ただごとじゃないってことだろ?」

 「ま」

 仲富は言葉を詰まらせた。おれを小突くのも忘れたらしい。しばしお互いの目を見て、なにかを覗き込む。あるのか、ないのか、眼球じっと見つめあう。

 眼球は惑星だよ、と昔この佞悪ねいあくさまが申しておられた。いまでもよく覚えている。あれ以来ずっと、誰かと目を見て話をするときは『どんな惑星だろうか』と想像しながら見るようになった。裸眼と裸眼は、むきだしの命と命が交差する。

 「まあ、たしかに?」と仲富の疑問符が浮かびあがった、「ネーちゃんが服を着ているって時点で気づくべきだったわ」

 そこかよ。

 まあ、たしかに普段の佞悪ねいあくさまは、人間的に言うところの全裸でいらっしゃられることが多い。

 「でもすごい似合ってる」仲富が小さな声で騒ぐ「まるでどこかの南国少女か、はたまた熱帯雨林の巫女さんなのか、どっちにしろ蓮が好きそうな格好で、えっちなんだけどエグクなくて、もう目も当たられないくらい見とれちゃうんですけど!」と声を押し殺しながら絶叫してよろこんでいる。

 「ねえ、ひょっとして蓮のリクエストなの?」

 有線放送かよ。

 「いやもうむり、むりでしょもう、そんなの服着てないときよりなんか不思議えっちすぎて、ちょっと蓮、いったいどうやってリクエストしたのよ!」

 してないし。だが、

 「そんなのかんたん」と佞悪ねいあくが告げる「蓮の頭を覗けばどういうのが好みかなんて、すぐよ」

 「やっぱり!」仲富が言うが、もうこちらなど見ていない。

 やばいな、こういうのも、もしかすると使い魔による魅了のひとつなのでは?


 おれは冷静に分析する。

 佞悪ねいあくさまは言った『そんなのかんたん』と。

 簡単ってことだろうな? たとえばそう、に対して。いや、違うかも。なにが簡単なことなのか具体的には説明していない。

 『蓮の頭を覗けばどういうのが好みかなんてすぐよ』と言うのも、それはそれ。そりゃあ頭の中を覗けば簡単にわかるってことだろうし、そんなことされたらおれは無防備なんだし抵抗しようがない。どういうのが好みかなんてすぐよ、とは言ったけれど『その好みがコレでした』とは言っていない。つまり仲富が指摘する『蓮はこういう女の子が好きなんね』も『えっちなんたけど』も、それはあくまでも今この瞬間の佞悪ねいあくさまの姿にすぎない。おれと結びつくとは、申しておられぬではないですか。

 だがたしかに不思議というより妙だ。いつもならば、こんなとき、泉の乙女のように裸体そのままでふいにあらわれて、時には恥ずかしげに頬をあかく染めて見せることが多いのに。

 なぜ、人間界における水着のような、いでたちを?

 下着というより、あきらかに水着っぽい質感。つるつるすべすべ、撥水性はっすいせいばっちり。あざやかな原色が夏を想像させるし、きめこまかな模様は雨林うりん彷彿ほうふつさせる。

 しかもなぜ透け透けシースルーなたけの短いキャミソールを。

 わかっている、見えている、でも、えて視線を釘付けにさせられてしまうような…あ、おれにも魅了がいているってことか。相手の視線を奪う技術、魅了。すでに、おれも術中じゅつちゅうおちいっている状態だったか。

 わなはまってしまうと、自分がわなはまっているのかもなんて疑うことなどできない。

 そうか。

 佞悪ねいあくさまは、おれではなくむしろ仲富のために選ばれた…ファッションショーのごとく。

 これが仲富の趣味ではないにしても、仲富が遠慮なくやかしと興奮を楽しめているのは事実だろう。だとすると、


 ことだけれど、もっとが含まれているってこと?


  すると、ちょっとあっけにとられたような表情になった佞悪ねいあくさまが、「それはそれぱとても嬉しそうに、


 「ええ」


 とささやくようにつぶやいて微笑ほほえんだ。


 天使かよ。いや悪魔だろ。違うな、地球人の知識などはるかに凌駕りょうがする知的財産を所有する神だ。その使い魔か。

 疑問は尽きなく湧いてくるが、なすすべもなく『わかったよ…わかりました』と、おれは佞悪ねいあくさまの向こうにいらっしゃられる宇宙に対して黙礼もくれいを捧げた。

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