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第2話 初夏のサスピション

 なんとなく気になっていたのかもしれないけれど、気になる根拠はあったのだろうか。

 いいや、別に特には?

 だってそうだろう、おれは女の子が好きだし制服姿に見とれてしまうし、けど、こういう感覚ってあんまり仲間内では理解されていない。

 駅へと続くヤマボウシの並木道は、初夏ならではの乾いた空気に包まれている。すると誰かに呼ばれた。

 「おーい。れん、おまえまた制服のまんまだったろ~」


 と。

 呼ばれた気がしたけれど、まさか本当に自分のことだとは信じられずに、ゆっくり振り返る。

 「よ!」

 「…おぅ」

 うちのバンドのキーボード担当、仲冨海帆なかとみみほだ。

 へっへっへー、っていう表情でこちらを見ている。キーボード担当だが、街角で会うとギターを肩にかけていることが多い。小学校からの知り合いだが、謎が多い。おれが詳しく知ろうとしていないだけかもしれないが、いざ質問しようとすると躊躇してしまった。

 思ったことを思うままに声に出すのが、おれは苦手だ。

 苦手のあまり、人間関係に亀裂を生じさせることは少なくない。なにしろ、円滑なコミュニケーションにおいて、相手の話を聞いてあげることは大切だからだ。話を聞く前には、たいてい質問がある。元気?調子はどう、とか。いや、なんか違うな。

 「どっかで会ったっけ?」おれはく。

 「会っちゃいねーよ。見ただけ。制服のまんま、街うろついちゃってまあ?」

 と、にやにやしながら仲冨は言う。こういうとき、すごく嫌な気分になる。嫌というより苦手だ。

 おれが黙っていると、


 「あのさー、れんって昔たしか裁判したことあるよね」


 ひがのびて、あかるい並木道。ちょっと顔が小さく見えて、黙ったままなら可憐に見える女だけれど、とにかく会話がひどい。おれに対してだけかもしれないが、


 「いきなり物騒だな」おれは言い返す「裁判なんて」ハッキリ言って自分の顔が醜悪に見えてしまうかもしれないが、そこは容赦なく嫌な気分の表情で言った「なんなんだよ?」


 「うーん…それがさ?」

 テキパキ言葉を区切って畳みかけるようにトーク炸裂な仲冨が、めずらしく言葉を飲んだようだ。

 おれは相槌をうたない。話が混み入ってしまいそうに感じたから。友達として話を聞くのはいい、だが、あまりにも深刻な相談なら路上でするもんじゃないだろう。

 仲冨は視線を逸らした。


 『やっぱり…なんかこいつ、とんでもないこととか言わねえよな?』


 ただし前科は、なし。仲冨を脳内ではコイツ呼ばわりしてしまうが、彼女から深刻な相談なんてされたことがない。それなのに、ひょっとして、もしかして、と身構えてしまうんだ。


 いつ、どんな理由で、困ったことになるかわからない。人間て、そういうものだろう?


 『お金の貸し借りは、しちゃいけません』と躾けられていたって、お金を借りなくては乗り切れないことだってある。それは意図せずに、放課後の茶会だったり、あるいは自販機の前で。

 いちおう、おれはこれでも用心している。あかるいやつは、胸の奥に闇を抱えていることがあるから。仲冨は、悩みを抱えるタイプじゃないけれど、それはあくまでも彼女本人の場合に限る。

 もし、大切に思っている友達のことで問題が起きたとしたら。

 家族や仲間、そう、仲冨は交遊関係を重んじる性格だ。恋人でもなく、異性色の強いボーイフレンドでもないおれが付き合っていられるのも、バンド仲間であると同時にかつて同じ塾で勉強していた同志だからでもある。他愛のないきっかけから始まった人間関係だが、彼女は尊重してくれている。おれはそう感じていた。


 うーんそれがさと言ったきり、会話が途切れた。

 おれが黙っていると本当に沈黙。車のクラクションが、ときどき鳴り響く。ヤマボウシの木に、気の早い実が赤く見えたような。まだ早いだろう?

 「訴えられちゃったの」


 唐突に沈黙は破られる。またしても、聞いているこっちが動悸でおかしくなりそうな発言だった。


 おまえさあ、もうちょっと言い方があるだろうよ?

 そう思ったがくちにしない。なんとなく、彼女には彼女なりの配慮があるような気もするから。それに、人間いつどこでどのようなタイミングで壊れるかわかったもんじゃない。それくらい、最高順位234位のおれにだって、わかる。


 「訴えられたって、仲冨がか?」

 おれはゆっくり、できるだけゆっくりした速さで質問した。

 彼女は首を振る。めずらしい。いつもなら否定するときは『ううん?』となぜか疑問形でしゃべりながら首を左右に激しく振るのに。ゆっくりと首を右、左、に振っただけだった。


 ときどき時間の流れが止まる。世界で動いているのは自動車と心臓だけ。エンジンなんて妄想だよ、歩いているなんて嘘さ。おれのこういう感覚やっぱりおかしい。そんなことを声に出さずにいると、


 「ごめん。うまく言えなくて。困るよね、いきなりこんなこと言われても」

 表情は、いつもの仲冨だが。やばいなマジでこれ、と思う。ちょっとごまかして逃げるには無理な距離感に詰められてしまった。作戦通りだとしたら、まんまとやられた。だが、彼女のふるまいに策略は感じられない。むしろ本当に困っているような空気感だし、こうなると放っておくことはできない。


 「ちょっとづつでいいから話せよ」おれは生意気な口調で言う。

 これで『なにその偉そうな態度!』と不機嫌に怒られたとしたら、それはそれで気が楽だ。

 が、そうなりそうもないことがすぐにわかる、

 「ありがと、まじ助かる」仲冨はおれの目を見る「やっぱり経験者に頼るのが一番だと思ってさ」と言いながらちょっと肩からズレかけたのかギターケースをちょぃっとした。ちょいっと。

 「なんで今日それギター?」と、おれは話と関係ない質問をする。

 「あー、これね、これな?」と、仲冨は答えかけたのだけれど。


 新緑の葉っぱだって、落ちてくることがある。まだ育ちざかりだろうに?

 ひらひらと舞いながら、その緩やかな曲線を描く葉っぱのダンスは、とうてい枯れて散るときとは異なっている。まだ早いだろう、落ちるには。おれは刹那に残念がる。いま、おれと彼女の間に一枚の葉っぱが着地した。目で追いかけていたわけではないけれど、つい自然に足元に視線が移る。

 「わたしの従姉妹いとこ、あきらかな濡れ衣で訴えられちゃったらしいの」

 つい足元を見ていたおれは、並木道のアスファルトから上へ上へと視線を移していく。仲冨の靴、靴下、すねと膝のラインからの太ももと、まったくひだのない巻きスカートの裾あたり。

 くいっと、一気に彼女の顔を見た。

 なんだ、いつもと同じでサバサバしたもんじゃんか?

 と思った次の瞬間に、


 「校内の模擬裁判で、だって」


 おれが凍り付いた。まさかそれって、


 「学級裁判…かよ?」

 息を飲む。額に風。くるくるまわりながら落ちてくる、別の新緑の葉っぱ。アスファルトはまだ青空の反射だ、けれども確実に夕暮れが近づいている。ひがのびたー、と言っても夏至には遠い。じきにすぐ暗くなってしまうだろう。


 「そうそれ、それよ。ね?…れんって、たしか前に―」

 無邪気な笑顔、本当に邪気のカケラもない。そんな顔で、そんなセリフを言うなよ。おれにとっては、傷ではないが痣をさらすようなもの。塩がみることはないけれど、できることなら隠していたい。いや、気心の触れた信頼できる友達と話題にするのはかまわないが、こういう誰がどこにいて聞き耳をたてているかわからない路上で、むしかえされたくなかった。


 !

 おれは黙って、てのひらを向ける。待て、いいからチョットその話、言うのやめい。


 「―――ね、たしか前にさ、がっきゅ」

 「そこまでにしろ」

 おれは彼女に向って小声で、しかしありったけの感情を込めて強く命令した。そこまでだ、そこまでにしろ。


 不思議顔でしゃべるのをやめてポカーンな仲冨に、おれは続けて言った、

 「聞くからちゃんと。教えるから。でもここじゃなくてそうだな、そうだ」

 おれは指をさす、ガラス張りの洋服屋の二階にある喫茶店。反射で店内の様子が見えないけれど、おそらく窓辺に空席がある、はず。

 察してくれたかどうかは、わからない。が、彼女は「わかった」と、ひとこと。とにかく裁判だの訴えられただの、しまいには模擬裁判ときたもんだ。つまり学級裁判、それゆえに『昔たしか裁判したことあるよね』というわけだったか。


 おれは指先から血の気が引いていくのを感じた。いっそ、こいつを殴りたい。いやそんなことするわけないし、やったら本当に犯罪者だ。そうじゃない、そうじゃなくてだ?

 むしろ建物の壁でも殴ってやろうか。鉄筋コンクリート建築の頑丈そうな造りだって、場所によっては脆くて凹む。素手のほうが勝つことだってあるのだから。

いや、そういう話じゃないし。いや、なんでだよ、なんで学級裁判系の話題を、おれに?




 おれは小学校の時、学級裁判にかけられた経験がある。それも一度や二度じゃないし、すべて負けていた。


 むかつく。

 「おい、」おれは一層くそ生意気に顎で仲冨に言う、「どうぞお先」と。

 「え? なんで」本気で戸惑っているみたいな顔と声だが、どうでもいいし。

 「レディファーストだろ」おれは言う。ああ、われながら優しさのかけらもない冷たい言い方。もっとあるだろ、ジェントルマンらしい振舞い方が。そう思ったけれど。

 「うん」

 しゃべりながら首を縦に動かす彼女。続いてすぐに「わかった」と言うけれど、なにをどうわかったのかがおれにはわからない。でも、それでいい。

 さあ、階段だ。

 登れ、おれより先にほら昇れ。ちゃんと聞くから話。ちゃんと答えるからさ。すると、


 「あ、ねぇ、このギターなんだけどさ」

 階段を昇り始めた彼女がしゃべる。

 「うん?」

 なにをいまさら。いまさらその話題かよ。

 「せいちゃんから借りてるの。その、えーと、わたしの従姉妹いとこね」

 一歩、二歩、さておれも階段を。すっと自然に顎を軽く上げてみれば、ちょうどいい高さに彼女の太ももだ。よっし、いい角度!

 めっちゃ絶妙に、最高のアングル。

 ん…待てよ? 

 なんだ、この違和感。

 おれは訊く「なあ、仲冨の従姉妹いとこって、学年は?」

 「わたしらと同じ」

 「公立?」

 「ううん」

 彼女の首がどのように動いたのかは確認できない。否定の言葉だけが耳に届く。おれの目には、あ、あと少しでスカートの。

 次の瞬間、

 「海百合女子だよ」

 おれの頭の中で、いくつかのメロディが混ざり合って流れてきた。海百合女子だよ、せいちゃんから借りたの。予備校の掲示板で見ていて知っている名前の瀬衣晶。

 「海百合…せいちゃん? せいあきら…」

 どうやら思わず声に出してしまっていたらしい。

 「そう。だよ?」

 え、なにがそうだよ?

 と頭の中で発言した時には手遅れだった。

 「なんだ、もしかしてれんってば、せいちゃんのこと知ってる?」

 んなわけあるか、知らないよ。いや知ってる。知り合いというわけではないけれど、知ってることは、うん知ってる?

 うまく反応できないでいると、

 「そっか」

 仲冨が納得していた。

 あ、見えると思ったのに見えない。

 おれは一歩分、立ち止まる。

 ふわりとしない巻きスカートは、かたい生地のまま奥を覗かせようとしている。さあ今度こそ。と意気込んだ時だ、仲冨が言い放つ、

 「そういえば、せいちゃん前に言ってたな?

 なんか、いま通ってるらしい予備校に背の高い好みのタイプがいるとかいないとか」

 「へえ」

 「たしか特徴が」

 と、彼女も立ち止まり、振り向いた。

 今度こそ見えると思ったのが、さらに見えそうで見えない角度となり、あきらかに下から狙って何かを観ようとしている男の目と…彼女の目がバッチリ合った。


 「まさかね?」と彼女が言う。

 「まさかー?」おれは思わず小さく叫ぶ。



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