グランピングから帰った翌日の今日、僕は四月からの住居探しで都内に出てきている。
先月、
この感じ、あんまり都内っぽくなくて良いなあ。
ドア横にもたれて窓の外を見送りながら、さっきまで五感を覆っていたはずの気負いが無くなっているのに気付いた。
なにか時間がゆったり流れているような空間が、そこはかとなく好ましい。この辺に部屋が見つかるといいかも。
蒲田を出て四、五駅目のホームに滑り込んだときに、目の隅を掠めた文字列が頭に引っかかった。減速する車窓越しに流れる駅名表示板の真ん中にそれを見つける。御嶽山。
みたけ……さん?
「おんたけさん、おんたけさん~。次はゆきがやおおつかぁ」
車内アナウンスが僕の読みを訂正した。そうか。ここでは
不意にバレンタインの日の
「渡したからね。受け取ったんだからね」
そう念押しして紙袋をくれた彼女は、その場で中身を検めようとする僕をきつく制したのだった。
あれは照れてたんだな。
そういえば、来週にはホワイトデーがある。
そもそも彼女はどの程度の意図をあのチョコレートを込めていたのか。僕よりひとつ年下で、未婚だけど四歳の子どもを育ててる職場の同僚。出会いの少ない生活の中で、彼女は僕になにを想い、なにを期待している? 彼女は僕にどう応えて欲しいのだろうか。
これまでの三年間、彼女のことをそんな目で見たことは、ほぼ無かった。いや、正確に言えば初めてアルバイトに入った日、事務の女子が地味系だけど実は可愛くてラッキー、くらいに思ってはいた。だがその日にいきなり、めちゃめちゃ厳しく書類の不備を叱られたんで、これはないわとなったのだ。それ以降も僕に対してはなぜか塩対応がデフォルトで、プライベートな話はおろか、笑顔すら向けてもらった記憶は数えるほど。このひとはきっと僕みたいな半人前のことが嫌いなんだろう、てな感じで。
だから、彼女があんな切羽詰まったみたいな顔をして僕に何かをくれるなんて、想像の範疇を超えていたのだ。
*
「ハイライフエステートにようこそ。皆川さん、でいいんですよね」
ハイライフエステート?
僕は看板を見上げた。もしかして、間違えて別の店来ちゃった?
「入来不動産、はいらい不動産、ハイライフエステート、ですよ。ね。かっこいいでしょ」
どうぞどうぞと
「お仕事先が池上線の沿線なんですね。でもって朝はそこそこ、夜は遅い、と。条件はシンプルで、二十代の健康男子が毎晩寝に帰るだけの可能な限り安い賃貸。でいいんですよね」
向かいに座る入来氏が立て板に水でそうまくしたてた。
「早々にご来店と聞いてましたから、いくつか物件見繕ってありますよ。今から回れます? 二時間くらいで」
「まあ、そのつもりで来ましたから」
僕がそう言い終わらないうちに入来氏は立ち上がり、うしろの壁にぶら下がってる鍵のひとつに手を伸ばした。反対の手には何枚も紙の挟まったクリアファイルが握られている。
「じゃ、行きましょ。みのりちゃん、皆川さんと回ってくるからあとよろしく。ホワイトボードは四時戻りでいいや」
先導して扉を押す入来氏は、僕がついてきているのを確かめてから店内に向かって声を投げたが、デスクで爪を磨いている受付バイトは、てんでヤル気のない返事を返すだけ。彼女はたぶん、僕らのことは見送ってもいないだろう。
*
こっちの方が街が見れるからと助手席を勧められ、僕らは社名の入った軽自動車で最初の物件に向かっていた。住宅街の真ん中を進むまっすぐの二車線道路。都会では広めの区画が碁盤の目のように並んでいる。
こちらが聞きもしないのにハンドル握りながら教えてくれた彼自身の話によれば、入来家の実家は鹿児島で、その名字も実家のあたりではさほど珍しくないんだそうだ。高度成長期にひと旗揚げようと上京してきた父親が、同じく地方から上京組の母親と出会い、埼玉で家庭を持ったのだとか。だから入来氏自身は生まれも育ちも埼玉。就職した先の東京の不動産会社で奥さんと運命的に出会い、彼女の父親の出資で結婚と同時にさっきの店舗を立ち上げたのが五年前。今は二駅先に義父が建てた二世帯住宅で暮らしていると言う。
いや、あなたの身の上話とか、正直僕にはどうでもいいんですけど。
そんな台詞が喉のすぐそこまで出かかったところで、入来氏はこう尋ねてきた。
「
田舎が嫌で、生家のある宮守村から家出同然で東京に出てきた彼のお母さんは、実家とは長いこと絶縁していたらしい。だから彼自身、岩手に自分の従妹がいるなんて大学に入るまで知らなかった。
「大学二年の夏休み、友だちと東北に行こうってなったんですよ。2011年。学内の掲示板でボランティアの募集を知りましてね。俺たちになにかできることはないかって。あの年の学生は、みんなそんなことを考えてましたから。そしたら、母親が言ったんですよ。もしも岩手に行くのなら、自分の実家の様子も見てきて欲しいってね」