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第64話 瑞稀、啓蟄(四) ―福岡 2023.3.8―

 どうやら私の異動は本決まりになりそうです。


 月曜日おとといの業務のあとに会議室でさらっと開かれた今月末退社される次長の送別会が終わった際、部署の課長から声を掛けられました。話聞いてるよ、って。


波照間はてるまはうちにきて何年だっけ」


「今年で五年目です」


 ちょっと素っ気ない私の返答に、課長は大袈裟に肩を落とします。芝居がかったこの手の仕草が、どうしても好きになれなかったんですよね。


「仕事も慣れてるからこっちも安心して任せられたし、正直今回の話は断りたかったんだよなぁ。営業部としてはマジ痛手でかいよ」


 そう話しながら私の肩を触りに来る左手の動きは織り込み済みです。踏み出し一歩で自然に避けて、と。これも慣れたことかも。

 空振りを誤魔化してご自分の胸に拳を当てた課長は、まあこっちはなんとかするから心配するな、と言葉を繋ぎました。ホント、気の早いことです。まだ内示すら受け取ってないのに。


          *


 三月八日の今日は総務部の子に誘われて、就業後の女子飲みです。こちらも気が早いってとこでしょうか。でもまあ、私としても部署の雰囲気や灰田課長の人となりをリサーチさせてもらっちゃおうかな。

 メンバーは、同期入社の涌井さん、ひとつ下の天童さん、去年入社の水野さん、それに私の四人。目指すはキャナルシティのサイゼリヤ。会社から歩いて十分くらいだから丁度いいのです。



「こうやって会社引けてからみんなで遊びにこれる楽しさよ!」


 飛び込むようにベンチシートに座った涌井瑠璃わくいさんが、感極まった表情で両手を広げます。その手を避けつつ隣に身を滑らせた天童桜子てんどうさんも同調してる。


「ホントですよね。コロナの所為でリアルな集まりとか散々でしたからね」


「私なんか大学三年からこっちずーっとですよォ。ていうか、なにげに外飲み生まれて初めてですもん」


 そう返すのは水野晶子みずのさん。そっか。去年入った子は新歓も忘年会もぜーんぶ中止だったし、コロナ前は未成年だから、飲みニケーション自体経験皆無なのね。


瑞稀みずきちゃんも久しぶりなんじゃない、飲み会とかは」


 涌井さんがメニューを配りながら、向かいに座った私に話を振ります。なるほど、まずは全員に喋らせて緊張を解かせる感じですね。早くも涌井さん、この人に任せとけばいいかなっていうリーダーシップを発揮してる。


「私、先月社外の焼肉パーティー参加しちゃったから、今年は二回目なんです」


 あ、いいなあ焼肉、とすかさず反応する水野さん。天童さんも羨ましげな目線を送ってきます。


「焼肉もいいけど、今日はイタリアンとワインだからね! ほら、みんな、早く注文決めないと、あたしが勝手に決めちゃうよ」


 涌井さんの号令に、私たち三人は焦ってメニューを開きました。



「うちは風通しいいよ。なんせ、一番のお局様が去年ご卒業されたから」


「三峰さん、でしたっけ?」


 五年前の入社式で胸に花をつけてくれた背の高いひと。背筋がピンと伸びて踵の高い靴がよく似合ってた。屈んだとき、まとめ上げた髪の頭頂が少しだけ薄かったのを覚えてる。


「めっちゃ厳しかったんですよォ」


水野晶子すいしょうちゃんはまだマシよ。半年だけだったんだから。私なんかまるまる三年半。一年目なんて、毎日給湯室で泣いてたから」


 眼鏡を上げて涙を拭うふりの桜子さん。総務は女の園っていうけど、そんなにつらくて厳しいとこなのかな。


「イジメ……ですか?」


 なんだかイメージと違うなと思いながらの私の呟きに、三人が一斉に、まるで振り付けみたいに手を振りました。


「違う違う。そーゆーんじゃないの」


 と、代表して涌井さん。食べかけのピザを皿に置き、説明を続けてくれます。


「そんな陰湿なもんじゃないの。あの人は、そうでなくとも超がつくほど真面目だったから。厭味ったらしくちくちく詰めてくるんでなくて、あの人の場合はとにかくストレートだったよね。できなかったことは、その場で何度でもやらせる、みたいな」


「私、覚えが悪かったから、嘘じゃなしに毎日三回はやり直しさせられてました……」


「たしかにあんときの桜子ちゃんは、世間知らずだったから」


 エスカルゴをつつく手を止めて萎れる天童さんを豪快に笑い飛ばす涌井さん。この部署のひとたちは、息が合ってて仲良さそう。ホントに風通しいいんだな。


「おかげで、総務の仕事や接客のイロハは叩き込まれたよね」


 そう締めてピザの残りを口に放り込む涌井さん。天童さんも水野さんもうんうんと頷きながら、食事のターンに戻ります。私も半熟卵をつついたフォークで、ドリアをひとくち。

 ふと気づくと、空になってた私のグラスにデキャンタワインを注いでくれてる水野さん。涌井さんの目の合図に応えたようです。この辺りも三峰イズムの賜物なのかな。総務の女子部、侮りがたし、ですね。



 コーヒーと食後のデザートを注文し終えたところで、涌井さんが私に向き直りました。


「瑞稀ちゃん、小耳に挟んだんだけど、来月からこっちに来るんだよね。灰田さんの下で」


 来た、来ました。まあ当然でしょう。総務の仲良しトリオに、特別ゲストでこれまでほとんど接点のない私を加えてのカルテットとなれば、それしか考えられないですよね。


「内示はまだですけど、まあ、そう聞いてます。細かいことまではわからなくて、ただ、灰田課長のチームで内外に向けた広報のお仕事、と」


 涌井さん、はあ~っと息を吐きだします。天童さんは俯き加減に涌井さんを見つめ、水野さんは自分の取り皿にさらった残り物にフォークを刺してます。


「そっかぁ。こっち側って言っても広報の、灰田さんの専任なんだ。やっぱそっちなんだぁ」


 瑞稀ちゃん、なにげに素材良いからなぁなどと涌井さん、もごもごと独り言呟いてる。って、何? 私のこと?

 私を見て、ふたりを見て、もう一度私を見つめてから、涌井さんはおもむろにこう言いました。


「あのね、瑞樹ちゃん。水晶すいしょうちゃんは灰田さんのファンなんだから、それだけは忘れないであげてね」


 ポップコーンシュリンプの最後の一個を突き刺したフォークを黙々と口に運んでいた水野さんが、涌井さんの急なフリに顔を上げ、大慌てで両手を左右に振りました。


「いやいやいやいや。私はただ推してるだけで。桜子先輩の本気熱にはぜんっぜん敵いませんって」


 無茶ぶりのパスワークはワンタッチで天童さんに。いきなりのチャンスボールに顔を上げ、狼狽える天童さん。眼鏡の奥の目はまん丸になってます。


「わ、私は違うから。そんな、玉の輿狙ってるとか永久就職だとか、そんな大それたことは……」


 お嬢様然とした天童さんが気持ちだだ洩れであわあわしてる姿は、なかなか見られるものではありません。ていうか栄さん、灰田課長は倍率高いです。高見の見物してる場合じゃなかとですよ!

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