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第63話 笠司、啓蟄(三) ―杜陸 2023.3.7―

 グランピングは思っていた以上に至れり尽くせりだった。

 キャンプなんて小学生の頃に数回行ったのが最後だから、さほどアウトドア経験がある訳じゃないのだが、それにしたって自分たちでやらなくちゃいけない手間が少な過ぎる。まずはテントがすでに張ってある。そしてその中にはベッドが配置されて布団やリネンも置いてある。さらに灯油のファンヒーターがあって室内灯や電源まで用意されている。食材もすべて用意され、飲み物は施設内の地ビールやワインなどで調達。テント前の広場に置かれたテーブルの脇には、旧き佳き海外ドラマに出てくるようなプロパンガスのごついバーベキューセットが二台設置されていて、あとは焼くだけ、みたいな感じなのだ。


「さすがにこれは、ちょっと緩すぎじゃないか?」


 主催者の伯父夫婦に聞こえないような小声でリョウジ相手に呟くと、至って真っ当な答えが返ってきた。


「僕らからすればそうかもしれないけど、今回は爺ちゃんのお祝いなんだからこれがぎりぎりの不自由さなんじゃない?」


 確かに。祖父は御年八十八。しかも野外のキャンプは、下手をすれば未経験だ。認めるのは口惜しいけれど、リョウジの方が僕の数倍まわりが見えてる。


 バーベキューのあとは風呂だ。施設全体のメインコンテンツでもある大浴場に、総勢十二人がぞろぞろと向かう。僕とリョウジは、足元が怪しい祖父の横に付かず離れず寄り添いながらも、ひさしぶりに身体を伸ばせる広い浴槽やサウナを堪能した。


 テントへの帰り途に、なぜかメリーゴーランド。昼間の散策で存在自体は確認していたけれど、動いておらず寂れた様子だったから閉鎖していると思いこんでいたのだが、夜にはしっかり営業していた。山に囲まれ静かな闇に閉ざされた散策道の脇に、そこだけが別世界のようなきらびやかさで光を撒き散らしている。

 今年五歳になる姪っ子がさわさんの手を引いて馬の背にまたがり、何度も何度も、飽きることなく廻っていた。目の前を通り過ぎるたびに僕らに向かって手を振る姪っ子の、屈託の欠片もない満面の笑み。幸福だけど少し物悲しい遊園地の調べと永遠のごとく巡り続ける七色の光の中で、まるで永久機関のように。



 ようやくテントサイトに辿り着くと、米寿の祖父は流石に疲れたと言い残し、伯母の手を借りて寝室のテントに入っていった。今回は四張り確保して、祖父と伯父伯母、従姉の一家、親父お袋と僕、リョウジとさわさん、という組み合わせ。というか、リョウジたちのユニットは、ここまでオープンに承認されてるのか。改めて彼我の差を感じてしまう。

 食べ残しや乾き物をつまみにして、屋外での飲みが始まる。親父とお袋もひとやすみとテントに引っ込み、眞理子さんも子どもたちを寝かせるとのことで、残ったのは伯父、眞理子さんの旦那さんの光昭さん、リョウジ、さわさん、それに僕の五人。

 本来のキャンプなら焚き火を囲んでといきたいものだが、管理が行き届いたこのサイトではその辺もご法度。かなり肌寒さを感じる中、アルコールで暖をとりつつ、伯父の音頭のもとに僕らは近況を交換し始めた。

 大学で数理統計学とやらを教えている伯父は骨の髄から理系の人で、質問のいちいちが論理的。返答にしても矛盾を許さないていがある。だから僕は、彼の前ではいつも緊張してしまう。万事成り行き任せでいい加減な僕は、こういう儀式が正直苦手だ。

 伯父の義理の息子に当たる光昭さんは、新たな資格を得るため今は休職中で、大学院に通っていたらしい。この春の修了も無事確定して、四月からの仕事先も決まっていると言う。自己研鑽とステップアップは、たぶん伯父の大好物だ。お次の矛先はリョウジとさわさん。東大大学院のリョウジは言わずもがなで、さわさんにしても看護専門の名門大学で就学中。ふたりとも来年以降の就職は盤石だ。オープンで物怖じしないさわさんの受け応えも伯父のお眼鏡に適っている様子。

 にしても、なんなんだこの高学歴集団は。国立とはいえ末席レベルの駅弁大をぎりぎりで卒業する僕などは、正直立場がない。滑り込みで就職を決めることができたのが唯一の救いだ。一ヶ月前の先行き未定のままだったら、間違いなく針のむしろだっただろう。


 それでも儀式をひと回り終え、酒が進んできた頃には、宴も随分とフランクな雰囲気になってきた。


笠司リュウジくんは杜陸もりおかに彼女とかを待たせたりしてないの?」


 率直でデリカシーの無い伯父の質問に、僕は苦笑いで返す。悪気が無いのはわかってるけど、この手の弄りはホント勘弁してもらいたい。と、思いのほか酔っ払っているリョウジが横からいらんことを口走りやがった。


「兄貴はピュアなんですよ。十年来の一途な想い人がいますから」


 なんでここでそれ言う? あと、十年にはまだ一年足りてないし。


「え、そうなの? なになに、その話。めっちゃ聞きたい!」


 間髪入れず、ツッコミを入れるさわさん。なんなのこの酔っぱらいカップルは。迷惑以外の何者でもないよ。

 身を乗り出す伯父。さすがに、光昭さんだけは僕に同情の目線を送ってくれている。でも止めるつもりはないらしい。


「リュウちゃん、中学の時からずーっと好きだった先輩がいるんですよぉ。高校も追っかけて行くはずだったんだけど、リュウちゃんドジだから、試験のときに風邪引いちゃって」


 ふんふん、それで、と頷いて先を促す伯父とさわさん。お願い光昭さん、リョウジの口を押さえて。


「その人は今はどこでなにやってるの?」


「知らないよ。もう四年近く連絡取ってないし」


 不躾なさわさんの質問に、僕は憮然として応えた。


「うわぁ、めっちゃエモい。お兄さん、今どきの高校生よりピュアピュアじゃないですかぁ」


 ほっとけ。だいたい最近はもう、思い出すことだってあんまり無いってのに。

 声には出さずにそう反論しながらも、僕の脳裏にはなぜかふたつの映像が順番に浮かんできていた。駅のホームを横切っていく鷹宮たかみや皐月さつきの横顔と、紙袋を突きつける御嶽みたけ信乃しのぶの怒ったような表情とが。

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