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第37話 笠司、立春(五) ―東京 2023.2.8―

「東京、あったけえ!」


 八重洲ターミナルの待合室を一歩出た僕は、朝の外気のあまりの違いに思わずツイートを上げた。


 到着したのは七時前。さすがにそんな朝早くに強襲するワケにもいかないので、しばらくは待合室で時間を潰した。多分今夜は書けないだろうからその分の連作書き溜めをしたり、ちゃんと読めてなかったネット小説をまとめ読みしたり。

 お。ハルさん、EVAに挑戦すんのか?


          *


 平日朝の山手線はそれほど混んでいなかった。以前を知らないから詳しくはわからないけど、コロナ前の感じにはまだ戻ってないのかな。

 日暮里は東京から北に六駅目。西口を出て、開店前で閉まっているシャッター群の前を素通りする。リョウジの部屋までは徒歩五分。

 駅へ向かう人の流れに逆らって歩を進めているうちに気がついた。そうか。空いていたのはコロナの所為じゃなくて下りだったからか。東京駅の構内は、確かに人通り多かったし。

 僕は東京駅における分水嶺の知見を得た。


          *


 出迎えてくれたのはスウェット姿のリョウジ。自分の寝起きを見るようで情けない気分になる。奥にパイプベッドが押し当てられた細長い部屋の真ん中に鎮座するテーブルには、ラップが掛かったサンドイッチとポットが置いてあった。


「世話になる」


 土産の入った紙袋を手渡して、僕は適当に腰掛けた。


「やった。ごま摺り団子が入ってる。これ、好きなんだよね。さわにも食べさせてやりたいって思ってたんだ」


 団子の箱詰めと冷麺をいそいそと冷蔵庫に仕舞うリョウジを背に、僕はリュックから出した一升瓶をサンドイッチの隣に置いた。


「え、なになに? 朝から飲んじゃうの? 僕は無理だよ。このあとがガッコ―行くんだから」


「今夜の獲物だよ。お前、日本酒もイケるだろ」


「イケるイケる。さすがはリュウちゃん。さわも日本酒好きだよ。まだ二十歳ハタチだけど。今夜は鍋にするって言ってたし」


 え? さわさん今夜も泊まるのか? そう思いながら部屋を見回すと、壁のフックには明日の僕用のスーツのほかに、女性ものの服やコートも架かっていた。そりゃそうだよな。ここに住んでんだもんな。


「大丈夫だよ。三人まではいけるから。年末に先生も泊まったとき経験済みでしょ」


 事もなげにそう言いながら座椅子に腰掛けるリョウジ。僕の前に空のマグカップを置く。あんときは男ばっかだったろ、と声には出さず、僕はポットを持ち上げふたり分のコーヒーを注いだ。


          *


 野澤のざわさわは元気のいいだった。

 ふたりだけで遭遇することを避けるため昼過ぎには渋谷方面に出掛けた僕は、リョウジの帰宅時間を確認したうえで、それに合わせて部屋に戻った。にもかかわらずリョウジは帰宅が遅れ、必然的に僕は、新妻のようにかいがいしく鍋の準備をしている彼女と鉢合わせすることになった。


「おかえりなさい! お兄さん。やぁ、やっぱり似てますね。流石は双子。あ、私、野澤さわって言います。看護師見習いとリョウちゃんのパートナーを兼業してます。よろしくお見知り置きを!」


 台所で立ち仕事をしていたショートカットの娘が振り返り、玄関口で立ちすくむ僕の前に駆け寄って右手を差し出してきた。眉が濃くて目力が強い、でも地の表情はかなり明るい。釣られるように持ち上げた僕の右手をがっと掴み、彼女はぶんぶんと振るような握手をする。


「リョウちゃん、あと三十分くらいかかるって連絡ありました。ここの作業はもう終わるから、お兄さん、先にお風呂入ってはいかがです?」


 そう言ってさわさんは、バスタオルとジャージ上下を押し付けてきた。ご丁寧にパンツまで載せてある。


 あの野郎、謀りやがったな。

 僕は自分の読みの甘さに後悔する。そりゃそうだ。僕が奴なら、やっぱりそうする。自分という媒介無しに初見のふたりをぶつけてみる。確かにそういうヤツだよ、僕たちは。だってその方が面白そうだもん。


「上がったら声掛けてくださいね」


 野菜てんこ盛りのボウルを片手に、さわさんはキッチンとリビングを仕切るカーテンを閉めた。向こうで鼻歌なんか歌いはじめてやがる。


 他の選択肢など無い。観念した僕はひとりになったキッチンで服を脱ぎ、ユニットバスに入った。いい湯だった。

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