目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第36話 瑞稀、立春(四) ―神戸 2023.2.11―

「銀色のでっかい皿がいくつもあるから、その辺りで僕ら三人は待ってます」


 阪急三宮の駅前広場での待ち合わせで、先に着いているという清水さんはそう私にDMしてきました。

 大きな銀の皿? そういぶかしみながら坂を下った私ですが、交差点の信号待ちをしているときに理解しました。対岸の広場には、たしかに銀色をした皿状のオブジェが並んでいます。神戸っ子の待ち合わせメッカなのでしょうか。天神で言えば「大画面前」みたいな?


 待ち合わせでは私の方が先に見つけました。JRの駅に向かう栄さんとは交差点手前で別れましたから、私の方はひとり。旅行鞄もホテルに置いてきてます。軽装の女子なんて他にもたくさんいるから、この人混みの中で見ず知らずの私を特定できたとしたら、むしろそっちのほうが怖いかも。一方で、谷下さんたちは女性ふたり、男性ひとりの三人連れ。一か所に固まって人待ち顔をしている彼らを探し出すのはさほど難しくありません。


 背が高く、黒一色でエレガントなスタイルのオトナの女性。こちらはたぶんさのさん。肩より少し上まで真っ黒のストレートヘアーは、前に雑誌で見た記憶に間違いなければ「前下がりショートボブ」とかいう髪型かな。うん、ほぼイメージ通り。その隣に立つのは、旅慣れてそうな軽装でしゅっとした感じの好青年。こちらもたぶん、清水さんで間違いない。でも谷下さんは? あの柔らかでひとあたり良く親しみやすい話しぶりからして、私の見立てでは谷下さん、ゆるふわなオトナの方のはずなんですが……。

 ふと見ると、さのさん(と思しき方)の陰に女子大生みたいな雰囲気の普段着で小柄な人がいました。ひょこっと顔出すその仕草は、まるで動画で見るプレーリードッグのような愛らしさ。くりくりとしたその人の目が、私を捉えます。


「つきなみさーん」


 え? 谷下さん? 声はたしかに彼女なんだけど、イメージと違って……可愛いすぎ! ていうか、私のことわかるの?

 思わず左右を振り返ってみると背後の交差点は赤に変わっていて、私の周りには誰もいません。


「月波さん、ですよね。はじめまして、やしたです」


 ぱたぱたと駆け寄って来たボブヘアーのプレーリードッグ(可愛い!)が私の前に立ち止まって話しかけてきました。目が輝いてます。思わず大きく頷き、私は焦って応えました。


「えっと、月波です。お待たせしてすみません。谷下さん、と……」


 そのまま奥のふたりに視線を移し、言葉を続けて。


「さのさんも清水さんも、はじめまして。月波です」


 さのさんも清水さんもにこやかな笑顔で近づいてきました。


「清水です。よろしくお願いします」


「月波さん、こんにちは。リアルの月波さん、すっごく可愛い」


 ご自身こそ美しいさのさんにそんなことを言われると、舞い上がってしまいます。いかんいかん。落ち着かねば。


 じゃ、行きましょうか、と清水さん。先頭に立って迷いなく歩きはじめました。


「さっき調べときましたよ。美術館行きのバスはこっちです」


 さのさんは悠然と、谷下さんはぱたぱたと後をついていきます。私も遅れていられない。


          *


 兵庫県立美術館は瀬戸内海に並行する運河のすぐ横に建っています。


 有能な清水さんの先導に従ってバス停まで移動した私たちは、バスが来るまでの間ですっかり打ち解けていました。元々音声だけなら何度もやりとりしている同士です。新参者の私にしたって今回に備えて皆さんの書かれた小説の何編かは拝読していますし、皆さんも私の連作掌編を読んできてくれてるから、お互いの基礎知識は入っていました。

 それでも実際にお会いするのはまた別モノ。いつも聴いてるあの声が、語り口が、表情や身振りを伴って目の前にあるのです。いやが上にも興奮します。おかげでバスの中では地元の方に騒ぎ過ぎで叱られちゃった(笑)



 美術館は谷下さんたっての希望で予定に組み込まれていました。明日まで開催の特別展、李禹煥リ・ウファン展が彼女のお目当てです。自然や人工の素材を組み合わせ含蓄を込めて提示する「もの派」の牽引役である国際的美術家、李禹煥リ・ウファンさん。彼の西日本で初の大回顧展だからどうしても観たかったの、と大きな瞳をさらに丸くして谷下さんは力説していました。


 さのさんは特別展よりも常設展の方に興味を覚えたということで、私たちは二手に分かれることになりました。私はどちらにも同じくらいの興味があったのですが、清水さんが特別展に行かれるというのでさのさんと一緒に常設展組に入ります。



 高名な建築家、安藤忠雄さんのお仕事を、数多くの図面や模型、竣工写真を用いて紹介する展示はなかなかに圧巻でした。個人の邸宅から世界各地に建てられた大きな建築物に至るまで。

 彼の建物の特徴は、打ちっぱなしのコンクリート。一見無機質の象徴のようなコンクリート壁ですが、その形状や配置で唯一無二のデザインになる、そんな感じです。ちゃんとした目を持った方ならもっと的確な批評をされるんでしょうけど、不勉強な私ではこの程度の理解が精一杯。

 そんな私でも展示室を回りつつ、わりと早くに気づきました。今いるこの建物自体が安藤さんの作品なのだと。灰色のコンクリート壁で仕切られた展示会場は、しかしそのトリッキーな回遊構成で私たちを飽きさせず、展示物の照覧に集中させます。



「ブルス・ドゥ・コメルス。こんなのパリにあるのね」


 畳二畳を優に超えるサイズの大聖堂のような模型と、隣の壁に映された動画映像を見上げながらさのさんが呟きました。海外経験のあるさのさんなら、パリにも行かれたことがあるのかも。模型の横に置かれてる航空写真には、巨大な敷地にそびえたつルーブル美術館のすぐ隣、まるであらかじめそこに配置されたかのような大きく重厚なドームが写されています。

 模型は外装の一部が切り取られ、中が見られるようになっています。豪奢な意匠で飾られたドーム部分の内側空間には、安藤設計の真骨頂、コンクリートの円筒が配置されていました。


「さのさん、こっちもありましたよ。コンクリート」


 隣に展示されていた、歴史を匂わせる佇まいをした二等辺三角形の建築模型に移っていた私は、そこでもマトリョーシカのように配された方形のコンクリートを見つけていました。ヴェネツィアのプンタ・デラ・ドガーナ。


「すごーい。こんな装飾たっぷりの建物にもちゃんと自分のテーマを持ち込んじゃうのね。外装とかけ離れたこのデザインは、一周回って凄いとしか言いようがないわね」


「ホントですねぇ。なんかKYの極み」


 歴史的建造物を美術館としてリノベーションしたその二例は、観に来た甲斐を感じさせてくれました。



「これ、こう言っちゃうとなんですけど、去年観た007の映画でラスボスが棲んでいた島の建物みたいです」


 瀬戸内の小島、直島に建てられたベネッセの保養施設の写真を見て、私は思ったことを口走っていました。


「わかるー。私はアレ思い出しちゃった。サンダーバード。ほらこの輪っかの中心からロケットが飛び出すの」


「秘密基地っぽいですよねぇ」


 壁面に掲げてある島の全体写真には、安藤氏が手掛けた大きな建築物がたくさんプロットされています。ベネッセハウスミュージアム、ANDOHミュージアム、李禹煥美術館、地中美術館、ヴァレーギャラリー、等々。


「やっぱりこれ、サンダーバード島よ。ベネッセ会長がジェフ・トレーシーなの。安藤忠雄さんはブレインズね」


 さのさんはそう言って楽しそうに笑います。サンダーバードはちょっとわからないけど、島ひとつがまるごと基地で敵と戦うアニメか何かなのでしょう。あとで調べてみようっと。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?