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第35話 笠司、立春(四) ―杜陸 2023.2.6~7―

 トーストにバターを乗せただけの遅い朝飯を食べながら、いつもの炬燵PCスタイルでツイッターを眺めていたら、なにやら不穏そうな動画が流れてきた。空爆後のような瓦礫の上をオレンジ色のダウンを着た青年が歩いていく夜の風景。平易な英文は僕でもわかった。



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強力なM7.8の地震が南トルコを襲った。多くの負傷者が発生し、複数の死者が予想される

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#DEPREMOLDUとハッシュタグされたそのツイートは、早くも数多くの人々にRTされている。


 トルコで甚大地震。マグニチュード7.8か。阪神淡路が7.3だったはずだから、地震エネルギーとしてはざっくり5.5倍。内陸でその大きさだと、鉄骨の入ってない高層構築物はほぼすべて倒壊してしまうだろう。動画でも手前と奥のビルは無事だが、間に挟まれたエリアは完膚なきまでの瓦礫山に変わっている。まさにひとたまりもない様子。

 僕は小五のときに体験した東日本大震災を思い出す。横浜に住んでいたあの日、学校の教室で大きな揺れに見舞われた。飾ってあった花瓶が落ちて割れ、ロッカーが勝手に開いてモップやバケツが散乱した。女の子たちが悲鳴を上げ、先生が大声で叫ぶ中、僕は心のどこかで高揚していた。

 何回かの余震はあったものの、震源から遠かった僕たちにそれ以上の直接的被害は無く、その後の恐怖感は放射能汚染の方にシフトして地球の所業を忘れた。


 地震が起こったのは日本時間の午前十時十七分。現地時間では未明の午前四時台だ。そこに住んでいた人々は、健全に寝静まっていた平和な夜を一瞬にして打ち破られ、倒壊する建物とともに瓦礫にまみれて埋め尽くされてしまった。皆が皆、即死したわけではないだろう。身動きすら取れない暗黒の中で、体中に打撲や傷を負いながらただ呻くしかない境遇。

 目を閉じて想像してみた。でも、たぶんこれぽっちも再現できない。僕の薄っぺらい経験や知識からでは、そんな極限状況のシミュレートなどできよう筈もない。

 ひとは知ってることしか想像できない。カタストロフのニュースに触れる度に、そのことを思い知らされる。まさに無駄骨。だから想うことを、考えることを放棄するのか? 否だ。だからこそ、見るものを増やし、知ろうとすることを努力する。想像力を強化するために、自分をよりニュートラルにするために、僕たちは発展していかなくちゃいけない。この身が潰える瞬間まで、成長していかなくちゃいけない。



 こんな恥ずかしいことを考えているときに、近くに誰もいなくてよかった。僕はそう思った。できるだけウェットにならないよう言葉を選んだ引用RTを送って、僕はノートパソコンを閉じる。


          *


 二月七日の夜、歩道に踏みしめられた雪に滑らないよう気をつけながら、僕は駅に向かっていた。東京行の深夜バス。明後日の面接に備え、明日は朝からリョウジの部屋に身を寄せる予定だ。

 手土産はすでに買ってある。ぴょんぴょん舎の冷麺と冷凍のごま摺り団子。それとリョウジと一緒に飲むための堀の井純米酒。正装はやつから借りるから僕個人の荷物はあまりない。簡単な着替えの他は、スマートフォンと充電器だけで充分だ。


 バスの到着を待つ待合室で月波さんの連載をまとめ読みしてたら、立花隆の『宇宙からの帰還』が出てきた。高校時代、化学の先生に薦められた本。前半の章が特によかったのを憶えてる。

 冷戦の最中さなか、当時最先端のテクノロジーを結集して行われた宇宙開発のフロントマンを務めた男たちの記録。専門知識と体力だけを鍛えて宇宙に飛び立った彼らは、重力のくびきから解放された場所で想定外の視覚体験を得る。ある者は神を崇め、ある者はオカルトを志向する。むろんそのような精神転向に晒されない者もいる。ただ、そこから見る地球という圧倒的な景色は、彼らすべてに小さくない衝撃を与えてくると云う。

 月波さんがあの本とどこで出逢いどのように感じたのかはわからないけど、自分の物語の登場人物にミッションのテーマとして語らせているほどだから、彼女にとってもインパクトのある読書体験だったのだろう。まだなにも関係のない人との共通項が突然見つかったみたいで、なんだか嬉しい。


          *


 深夜バスは、スーパー銭湯の仮眠室に似ている。あれほどリラックスできるワケではなく、むしろ窮屈で不自由を強いられる空間ではあるが、見知らぬ人たちが一様に並んでただそこで寝る(もしくは寝たふりをする)という点で相似だと思う。発車してほどなく車内灯は落とされ、スマートフォンの灯りさえも非難されそうなほどの真っ暗でオープンな環境。戦場に空輸される末端歩兵たちは、もしかしたら同じ気分を味わっているのかもしれない。

 僕は、連作小説で次に書く場面の大学受験期を反芻し、それに紐付いてる優秀な弟の無邪気な圧を憶い出しながら、いつの間にか眠りに落ちていた。

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