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第31話 笠司、立春(三) ―杜陸 2023.1.31~2.3―

 火曜日の午前中に、エムディスプレイの営業部長で中込なかごみさんという人からメールが届いた。木金で行う卒論報告会の発表順抽選でゼミに来ていた僕は、廊下に移動して本文を確認した。待望の面接案内。内容は「二月九日午前十一時、品川区の本社で役員面接を実施するから是非とも来社してください」という簡潔なものだったが、その分感じられるリアリティで嬉しさが込み上げてきた。

 風間さん、ホンモノだったんだな。となると、その風間さんの先輩である社長もホンモノってことか? こりゃ午後にでも報告しに行かんと。


 昼休みの食堂で偶然出会ったサークル同期のツジにもこの話を伝えると、いい日本酒がちょうど手元にあるから今夜部屋に飲み来いと誘われた。ようやく祝われる側になれたと応えると、残念会の前夜祭だと憎まれ口。相変わらず歪んだ性格の奴だ。長い付き合いだから彼なりの激励だってことはわかってるけどね。

 それによく考えれば、すっ飛ばした面接を受けられるというだけで、まだ確定してるワケではない。喜び過ぎないようにしとかないと危険かもしれない。


          *


 だが、菱沼社長は請け合ってくれていた。それくらい、本社業務課長の意向は強力なんだと。


「風間はムラモトでもかなりのでかい仕事を幾つも成功させてるし、社内での信用も大きい。その辺は、反抗的だった俺とはだいぶ違うからな。あいつが必要だって言えば、子会社がひっくり返してくることはまず無いよ」


 だからお前は安心して卒業を確定させろ、と言って、社長は僕の肩を叩いた。なんだかんだ言いながらも、僕は社長のことを信頼している。そうでなかったら、毎度こき使われる仕事アルバイトを三年間も続けてたりはしない。


「面接ってどんな格好してけばいいですかね。やっぱりスーツとかですか?」


「お前さん、面接行ったことないのか?」


「残念なことに。いままでそこまで至ったことがないもんで」


 煮しめたようなコーヒーを飲みながら、僕は答える。そういえば、スーツなんて持ったことも無い。成人式のときも既にこっちに住民票移してたから、知らない連中ばかりの式など出る気も無くスルーして、カジさんたちと飲んでたし。


「初顔合わせは印象が大事だからな。スーツでいければそれに越したことはない。なんなら俺の一式貸してやろうか?」


 悪そうな貌で笑う社長に、僕は丁重なお断りをいれる。ひと回り以上小柄な上に胴回りだけは遥かに太い社長の服など着ていったら、上手くいく話もぶち壊しになりそうだ。


 あいつなら持ってるかもしれないな。


 僕は背格好が同じ奴のことを思い浮かべた。


          *


 スマートフォンの向こう側で、リョウジは予想以上に喜んでくれた。スーツも靴もワイシャツも自由に使って構わないし、なんなら前の日に来て泊ってけばいい、とまで。朝イチでこっちを発てば行けない時間ではなかったが、たしかに東京のリョウジの部屋からならばゆっくり準備ができる。


「彼女の邪魔にはならないのか?」


「さわのことなら大丈夫だよ。兄貴の話は前からしてる。あいつも以前から会いたがってたし」


 リョウジはいつもこうだ。開けっ広げで快活で、行く手に不安なんか欠片も無いって感じで。僕の屈託などなんの問題にもならないと話を進めてくる。その真っ直ぐさに、僕は却って尻込みしてしまう。

 とは言え、今回は背に腹は代えられない。だいたいにしてリョウジよりもぴったりする体型の人間など、他のどこを探したって見つかるワケがないのだから。


「じゃあ、お言葉に甘えて、八日の日にそっちに寄らせてもらうとするよ。朝とかでも構わないか? 交通費が出るかどうか聞きそびれたんで夜行バス乗ってこうと思うんだが」


「水曜でしょ。九時以降なら大丈夫だよ。さわは朝から授業のある日だから」


 やっぱ一緒に住んでるのか。スタートラインは全く同じの双子なのに、いろいろと先行されてるな。ま、今更もういいけど。


「母さんたちには伝えた?」


 いや、まだ、と僕は答えた。


「確定してもいないの伝えたら、勝手にお祭り騒ぎにされちまう。今のところは伏せといてくれ」


「わかった。こっちに来ることも黙っておいた方がいいんだね。サプライズは本決まりしてからの方がいいもんね」


 じゃ、来週を楽しみにしてるね。そう言ってリョウジは通話を切った。


 僕の片割れ。喪われた僕の可能性。あいつと話していると、自分の小ささ、狭量さが思い知らされる。そんなこと、あいつはこれぽっちも気にしていない。でもその事実が、僕の焦る気持ちに拍車をかけてくる。いつになったらこの呪縛が解けるのか。


          *


 金曜日の午前中に当たった僕の発表は、後輩たちに大受けした。おのおの思い当たる節が大いにあったらしい。とくに「突出したアピールポイントよりも全般での平均点の方が好感度を得やすい」という男性ペルソナの考察は、真っ当過ぎて面白味に欠けると日頃言われ続けている大方の男子連中にとって、自らの可能性を認めてもらえたと勘違いさせてしまったようだ。満足げに聞き入っている彼らに対し、僕は胸の中で叱咤する。お前ら、本当に重要なのはそこじゃないんだぞ。検索ワードとおんなじで、存在自体が認められなけりゃいつまでたっても一ページ目には上がってこないってことに、早いとこ気づけ。


 教授陣からの的確かつ辛辣な質問にたじたじになりながらも、僕の発表は無事終了した。これで僕の駅弁大学でのカリキュラムは、すべて終わり。モラトリアムの幕が完全に降り切るまでも、あと僅か。

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