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第23話 瑞稀、大寒(五) ―福岡 2023.1.27~28―

 谷下さんからのご提案は、すぐにでも快諾の返事を送りたいと思いました。でも、今はまだ詳細が見えてない。具体的にいつなのか、どこで会うことになるのかも知らされていないから、果たして私が行くことができるのかもわかりません。ちょっとキャナルシティに買い物に行くのとはワケが違うのです。ひとりで旅行なんてしたことのない私が知らない街で会ったことのない人たちと会うなんて、冒険が過ぎます。

 だから彼女への返信はこう書きました。


―――――

お誘いありがとうございます。とても光栄です。

 行きたい気持ちは満々ですが、不安もちょっとあります。なにしろひとりで旅行もしたことがないので(笑)

 とにかく前向きに検討しますので、日取りや場所が決まったらお知らせください。可能な限り速やかに返信します。

―――――


 面倒臭い奴だと思われなければいいんですけど。


          *


 そのキャナルシティですが、土曜日ですので、雨で行けなかった二十五日の代わりに行ってきました。ここで道具揃えとかないと明日の壁登りに間に合わない。

 朝はちらついていた雪も昼には止むという予報に賭けて、午前中に家を出ます。運河の名前に相応しいこのショッピングモールは私のお気に入り。

 三階のスポーツ用品エリアを数件回って手頃な値段のボルダリングシューズと足首が締まったノーションパンツを見繕いました。納得の買い物をして廻廊に出たら、下のステージから派手な音楽が聴こえます。今日は男性スリーピースのライブです。知らないバンドだけど、ビートが効いて調子のいい音楽は気持ちいいもの。やっぱり生演奏は良いですね。

 去年のいい時期みたいに、独りを楽しめる気持ちが戻ってきてる。いろんなものが上向きになってる予感を感じます。これならオフ会にだって参加できそう。


          *


 ホヤホヤで待ち合わせた栄さんは、なんだか無理をしてそうな雰囲気でした。どこがどうってわからないんだけど、何か奥歯に引っ掛かってるような。

 あまり無駄口をせずに、まるで求道者のように難しい壁に挑んでる栄さん。でも、明らかに調子は良くありません。お土産に持ってきた自家製アップルパイにも反応が薄いし、スパに寄っても同じ調子。本当にどうかしてます。

 そのまま帰ってしまいそうな彼女を、私は呼び止めました。パークライフ行きましょ、って。絶対何かあるはず。誰かに話すだけでも楽になるってこと、あるじゃないですか。それに私だってオフ会の話を聞いてもらいたいし。


          *


「あんな。ここだけの話にしといてな」


 いつもよりも早いピッチでハイボールを二杯飲み終えてから、ようやく栄さんは語り始めました。


「この前、瑞稀の会社に行ったやろ。瑞稀が在宅しとったとき。扱うてる石の話ば聞こうて思て広報の人にあたりばつけとったとよ。電話は女の人やったけんそん人が出てくるとばっかり思うとったと。けど詳しかとが話した方がよかでしょって出てきたんが広報課長さん」


「広報? あ、灰田課長、でしたっけ」


 栄さんが眉をしかめました。


「そ。灰田さん。あんひとな、うちの大学の先輩なん。でもって、元カレ」


「え? えーーーっ!?」


 そんなことってあるんですか?

 私は灰田課長の顔を思い浮かべようとしました。でも残念ながら出てこない。総務部の課長さんとなんて、営業補佐の私なんかでは採用されるときくらいしか接点はありません。そして私が入社したとき、灰田課長はまだ福岡の本社にはいなかった。


「向こうもたまがっとったっちゃ。うちがライターしとぉなんて知らんやったけん」


 栄さんは三杯目のハイボール飲んでから激しくむせました。背中をさすってあげたら涙目で弱々しく笑います。


「卒業前に別れてからこっち、いっちょん会うとらんけん」



 観念したのか、そのあとはゆっくりではありましたが、栄さんも昔のコイバナをしてくれました。それは、要約するとこんな感じでした。


 大学生になった栄さんが入ったサークルに、ちょっと偏屈だけど十分に魅力的な一年上の先輩がいました。それが灰田光陽ミツルさん。ふたりが恋に落ちるのにさほど時間はかからなかった。もともとのオープンな性格もあり、夏前には公認のカップルになっていたそうです。他愛もない喧嘩はしばしばあったけど仲が壊れるようなことも無く、邪魔するものの無いふたりの仲は栄さんの卒業と同時にゴールインだろうと思われていました。そしてそのことに関しては、周りの誰よりも栄さん自身がそう感じていたのだと。彼も同じ考えなのは聞かなくてもわかっていた、と栄さんは確信していたそうです。たぶんその通りだったのでしょう。

 一方、栄さんには一年の時から仲の良い同性の友人がいました。翔子さんというそのひとはいわゆる深窓の令嬢タイプで、開けっ広げで快活な栄さんとは対極でしたが不思議と波長が合ったのだそうです。やや病弱な彼女はひとりで動き回るのが苦手で、わりといつも栄さんと行動を共にしていました。そんなワケですから当然の如く灰田さんとも仲良くなり、三人で行動することもしばしばだったということです。

 栄さんと翔子さんが四年生の冬、すでに卒業して大阪の広告会社に勤務されていた灰田さんが休みで戻ってこられてたときに事件があったのです。



「ゼミん用事で門司におったうちに逢いに、ミツルは福岡から車で迎えにきたっちゃ。そんとき、別の用事があるて言う翔子も同乗しとったと。それ自体は取り立てて特別なことじゃなく、前にも似たようなことは何度もあった」


 栄さんは淡々と語ります。彼女の中ではもう何百回も反芻された話なのでしょう。


「折からの雪ん中、ミツルは九州自動車道で事故ば起こしたと。ハンドル操作のミスで路肩に突っ込んだちゅう話。幸いふたりとも命に別状ば無かった。ただ直後の翔子は喘息の発作が併発して、ばり危なかったって聞いとぉ。ばってんそれだけじゃなかったと。彼女はそん事故で、左脚ば無うなってしもうた」


 私は息を呑みました。

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