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第22話 笠司、大寒(四) ―杜陸 2023.1.27~28―

 独り部屋に篭って、来週に予定されている卒論報告発表会用のスライドを作りながらも、頭の中は今後の来し方の模索でぐるぐるしている。


 ここを引き払って横浜に戻る。いや、横浜は無いな。実家に帰ったら、それは逆戻りだ。これから頑張るとか言って、ずるずるとだらけて過ごすのは目に見えてる。僕は寝正月の体たらくを思い出した。

 引き払う、まではいい。最初にくる問題は、そのあとどこに住むか、だ。バイトで貯めたお金は多少ならある。と言って、イキって都内で一人暮らしなんか始めようものなら、最初のひと月で底が見えてくるのが確実のお寒いレベルだ。実に悩ましい。奥の手が無いわけではないが、先の保証が見えない中でそいつを使うのはメンタル面でのリスクが大き過ぎる。どうしたもんか。

 そもそも引き払うにしても、来月前半には不動産屋に伝えとかないといけない。でも、次の住居が見えない中でそれをしてしまうのはまさに死活問題だ。この歳でホームレスにはなりたくないよ。


 なんらかのブレイクスルーが無い以上先に進むことのない悩みをとりあえずでも切り上げるには、無心にメシでもつくるのが一番だ。そう結論付けて、僕は腰を上げる。てきとーパスタでもつくるかな。


          *


 宵越しの銭は多ければ多いほど安心だ。稼がせてもらえるうちは稼いどかないと。というわけで、今日二十七日はひさしぶりのバイト。明日明後日の土日に開催される町興しイベントの会場設営だ。

 身体を動かす仕事は良い。途切れなく動いている限り、余分なことを考えないで済む。勝手知ったる僕は職人さんたちの行動を先回りして、次に必要な建材や道具を適宜運んでいく。調子はいい。


「きみ、元気がいいね」


 会場端の床に座り込んで支給された弁当を食べていると、見慣れないおじさんから声を掛けられた。スーツに作業ジャンパーを羽織った四十代くらいのひと。恰幅は良い。あざっす、と短く応え、僕は自分の食事を続ける。今回のような寄せ集めの展示会ではそれぞれのブースで入ってる業者が違ってたりするので、あまり見かけない人たちも普通に作業してたりする。まして発注元であれば、それこそ千差万別だ。今回のイベントでは県内だけでなく東北他県や中部、北陸の自治体も参加するようだから、初見も当たり前というものだ。

 それでもこうはっきりと見られているとなにやら気持ちが悪くなる。早々に食べ終えてペットボトルの緑茶をひと口飲み、僕は立ち上がった。少し早いから他所の作業状況でも回って眺めてこよう。

 おじさんは追ってくることもなく、その場から逃亡する僕を見送っていた。


          *


 会場が出来上がったのは朝六時をとうに過ぎていた。テープカット前三時間を切っている。なんとか間に合わすことのできた僕たちは、安堵の溜息をついてから道具の片づけに入った。

 今回はかなりぎりぎりだった。会場入り口に設置するモニュメントの搬入が雪の所為で遅れたうえに、仕上がり寸法も間違っていた。おかげで午前二時から急遽門柱をつくり直す羽目となり、最終仕上げも担当しているうちのチームが大いにあおりを食ったのだ。



「社長、この時間って時給に入れてもらえたりするんですか?」


 ひたすら待機するだけの午前三時過ぎ、僕は隣りでしゃがんでいる社長に尋ねてみた。もちろんだが、当てになどしていない。だが社長からの返答は予想外だった。


「今回のは完全に向こうのミスだから、人件費分くらいはきっちりふんだくってやる。なんならお前の退職金も上乗せしてやるか」


「え、マジでそんなもん出たりするんスか?!」


 口の端を上げて社長が笑いかけてきた。その代わり二月いっぱいはこき使わせてもらうからな、と付け加えて。


          *


 きんきんに冷えた土曜日の朝七時、社長、菅原さん、僕の三人は通用門から屋外の駐車場に出た。完徹の目には曇り空でも十分に眩しい。会社の軽に向かおうとする僕を呼び止めて、社長は正面口へと歩いていく。話が通っているのか、菅原さんはひとりで車に向かっていった。しばし逡巡したものの、僕は社長の後を追う。



 会場エントランスには昨夜のおじさんが待っていた。羽織っていた作業ジャンパーは、仕立ての良いコートに変わっている。


「株式会社ムラモト工芸の風間かざまです」


 おじさんは名刺を差し出してきた。慌てて両手をズボンで拭ってから、僕はそれを受け取る。


「今日一日、仕事ぶりを見せてもらいました。菱沼社長のご紹介通り、よく考えた動きをしていましたね」


 横から社長が挟んできた。


「こちら風間さん。ムラモト工芸の業務課長さんだ。俺のムラモト時代の後輩」


 え、社長、ムラモト工芸にいたんですか? そんな話、ぜんぜん聞いてないですよ。

 ムラモト工芸の名前は業界に疎い僕でも知ってる。イベントや展示会を設置運営する会社としては国内屈指だ。最近ではヒト型巨大ロボットのモニュメントづくりでも有名な会社である。そのムラモト工芸に、社長が在籍していたなんて。


「今回の展示会で一番大きい魚沼市ブースを風間……さんが手掛けるって云うんでな」


「昔と同じの『風間』でいいですよ、菱沼先輩」


 そういうわけにもいかんだろと苦笑いして、社長は話を続けた。


「ちょっとお前を見て貰おうって思ってお願いしてみたんだよ。どうだい風間、丸三年俺が面倒を見たこの皆川は?」


 あんぐりと口を開けた間抜け面の僕をスルーして、風間さんは社長の投げかけに応える。


「流石は菱沼先輩の秘蔵っ子です。とてもいい、と思いました。皆川さんさえ良ければ、是非ともプッシュさせてもらいたい」


「ムラモト工芸本体でないのは残念だが、直系の子会社で社員募集をしてるそうなんだよ。風間さんも頻繁に使うとこで、そっちの社内事情なんかもよく知ってる。で、お前をどうかなって思ってな」


 してやったりという貌の社長は胸を反らせて僕を見下ろしている。ふんす、という鼻息まで聞こえてきそうだ。風間さんのソフトな声が、それに被さってくる。


「どうです皆川さん。再来週、東京に出てきてその会社、エムディスプレイの面接を受けてみては貰えませんか?」


 あまりの急転直下に、僕の頭はついてこれていなかった。

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